戦力外通告ーー「野球をやらなくていい生活」の本当の辛さ

巨人・杉内俊哉、広島・新井貴浩、中日の浅尾拓也、荒木雅博、岩瀬仁紀ら引退表明

記事まとめ

  • 栃木の村田修一、巨人の杉内俊哉、脇谷亮太、広島の新井貴浩、西武松井稼頭央が引退へ
  • ロッテ岡田幸文、大隣憲司、中日の浅尾拓也、荒木雅博、岩瀬仁紀も引退を表明した
  • DeNA後藤武敏、加賀繁も引退表明したが高森勇旗氏が戦力外通告を受けた時のことを語る

戦力外通告ーー「野球をやらなくていい生活」の本当の辛さ

戦力外通告ーー「野球をやらなくていい生活」の本当の辛さ

トライアウトを受ける選手たち ©文藝春秋

 あれだけ暑かった夏も、気がつけば一気に秋である。プロ野球は佳境に入り、熾烈な3位争いを経てCS、日本シリーズへと一気に流れていく。プロ野球の醍醐味はここから始まると言っていい。いよいよ本格的に盛り上がる時期にきた。

 そして、盛り上がりの裏でこの時期に活発になるのが、「引退」である。これまでにすでに、村田修一、杉内俊哉、新井貴浩、後藤武敏、加賀繁、脇谷亮太、岡田幸文、大隣憲司、浅尾拓也、松井稼頭央、荒木雅博岩瀬仁紀といった、プロ野球の一時代を築いてきた選手たちが引退を表明した。時代は流れている。急に寒さを増した天気と相まって、寂しさを増幅させる。

 寒さを感じるのは、暑い日々を過ごしてきたからである。今日も暑い、暑いものだ、と思って家を出ると、思ったよりも肌寒い。実際はそこまで寒いわけではないのだが、思い込みによるギャップが、秋になったことをより実感させる。そこに当たり前に「ある」と思っていたものがなくなる時、なくなるということを知った時、妙にセンチメンタルな気分になる。それが、秋だ。空の高い感じ、冷たい風に乗って不意に香る金木犀の香りを嗅ぐたびに思い出す。そう、秋は戦力外通告の季節でもある。もうすぐ、10月1日がやってくる。

 2008年にNPBとプロ野球選手会の取り決めによって、第1次戦力外通告の日付が10月1日と決まった。もともと、戦力外通告を受けたり、自由契約になったりする時期は球団ごとに違っていた。それは、早々に優勝争いから離脱したチームと、日本シリーズを最後まで戦ったチームでは、選手の起用法、来季の構想などを考える時間軸が違うためである。早いタイミングで戦力外通告を言い渡された選手は、他球団との契約を得るために動く時間が多く残されているのに対し、ギリギリになって戦力外通告を言い渡された選手にはその時間が少ない。この機会の差をなくすためにも、戦力外通告は10月1日に全球団で行う、という取り決めがある。

■戦力外通告を受けてから

 あれは6年前の2012年。前日の9月30日は確か2軍の最終戦だった。10月1日は休養日で、10月2日から秋季練習が始まり、間もなくして宮崎に移動し、フェニックスリーグが始まるというスケジュールだった。休養日のため家にいた。午前10時30分頃だったと記憶している。普段電話がかかってくるはずのない球団職員から電話が鳴った。直感で、「クビだな」とわかった。というより、前日から少し準備はしていた。詳細は告げられなかったが、とにかく明日はスーツで来てくれとのことだった。

 選手はそもそも入団する時に、「結果が出なかったら来年はいないかもしれない」ということを承知で入ってきている。「非情な通告」と言われるが、選手からすると、いつ通告されてもそれを受け入れる準備はどこかでできているものだ。球団側、選手側双方から見ても、「非情」という世界はない。少なくとも私は「非情」だと感じたことは一度もない。それぞれに事情があって、戦力外通告は交わされるのだ。

 だからと言って、戦力外通告を受けることが全く辛くないかというと、それは違う。非常に辛い。しかしそれは、思っていたのと違う辛さとなってやってくる。

 戦力外通告を受け、トライアウトに向けて準備をする期間はいい。それは、まだ希望があるからという理由ではなく、日常がまだ野球中心だからだ。トライアウトを経て他球団と再契約できる確率が限りなくゼロに近いことなど、わかっている。それでも、トライアウトを受けると決めればそこまで練習をすることができる。その日々は、これまでの日常とあまり変わらない。トライアウトが終わると、他球団から声がかかるのをひたすら待つ。私の場合は、11月いっぱいまで声がかからなかったら、そこで野球をやめることを決めていた。だからこそ、トライアウトはある種の引退試合のような気持ちだった。幸いなことに、野球に未練を残すことなくやり切れた。だからこそ、やめるということ自体には前向きだった。

■「野球をやらなくていい生活」の辛さ

 12月になり、野球をやめることを決めた。そこから、人生で初めてに近い「野球をやらなくていい生活」が始まる。小学校3年生で野球を始めて24歳で野球をやめるまでの約15年、1日として野球のことを考えない日はなかった。2日続けて休んだことはないし、休日でも頭の中は基本的に野球のことを考えていた。プロに入ってからは、24時間365日野球のことは頭の中に必ずあった。それが仕事なのだから、当たり前である。

 野球をやめると決めた今、今日も、明日も、明後日も、その先もずっと、野球のことは考えなくてもいいし、練習もしなくていい。それは、ある種15年ぶりに手に入れた自由なのだけど、いきなりやってきた自由を簡単には受け入れられなかった。

 一日に一度も心拍数が上がることもなく、寝る前に体のどこかが張っている感覚もなく、朝起きて肩の可動域をチェックする必要もない。バットを振る必要もなければ、明日対戦するピッチャーのことを考える必要ももちろんない。ただ、あまりにも長い時間そのことを繰り返していたため、クセが簡単に抜けてくれない。それが、非常に辛い。寝る前にはバットを触らなければ落ち着かないし、目を閉じれば自分がホームランを打つイメージが自然と始まる。そのイメージや習慣が生かされる舞台はもう来ないのだ。そのことに気がつくのが怖くて、目を開ける。眠れなくなって、結局バットを振るとようやく眠りにつける。目を閉じれば、目の前にピッチャーがいる。15年も、毎日やってきた習慣なのだ。「やめる」と頭で決めただけで体が同期してくれるわけではない。その習慣を繰り返してしまう自分が、辛いのだ。

■「もう恋なんてしない」に重ねる思い

 プロ野球選手でいた期間が6年間。プロ野球選手を辞めてから今年で6年が経つ。今でも、目を閉じるとたまには野球のことが浮かぶ。しかし、それは辛いことではなく、今では非常に楽しみなことである。「150キロって、どんな軌道だったっけ?」とか、「千葉マリンの風って、こんな感じだったかな」という具合に、もはや断片的になってしまった記憶を大切に手繰り寄せている。

 そうだ、戦力外通告は、失恋に近い。15年好きだった恋人に振られることに置き換えれば、突然恋人としての関係は終わってしまうけれど、好きであることとその日々は突然終われない。そんなことを考えていたら、槇原敬之の「もう恋なんてしない」の歌詞を思い出した。

一緒にいるときは
きゅうくつに思えるけど
やっと自由を手に入れた
ぼくはもっと淋しくなった

 あの歌に、戦力外通告を受けた後の日常が妙に重なる。

本当に 本当に
君が大好きだったから
もう恋なんてしないなんて
言わないよ 絶対

 佳境に向けて盛り上がるプロ野球の一方で、誰にも気づかれずそっと引退していく選手もいる。それもまた、プロ野球。ドラフト、ポストシーズンというイベントとともに、戦力外通告にもまた同じようにドラマがあることを知ると、プロ野球の面白みがより一層深まるだろう。

「もう恋なんてしない」
作詞・作曲/槇原敬之

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(高森 勇旗)

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