モネやピカソの時代に、色彩感覚を武器にした画家が胸に留めたこと

モネやピカソの時代に、色彩感覚を武器にした画家が胸に留めたこと

《黄昏》1892年 オルセー美術館

 画家というよりも、色彩家。

 19世紀後半から20世紀前半にかけてのフランスで、際立つ色彩感覚を武器にして、独自の存在感を発揮したのがピエール・ボナールだった。彼の大規模な回顧展がはじまっている。東京・国立新美術館での「ピエール・ボナール展」。

■色彩がゆらめいて見える

 ボナールが生きた時代にはモネやルノワール、セザンヌにピカソ、マティス、モディリアニ、シャガール……。美術史上に名を残す画家がごまんといた。革新性とオリジナリティに溢れるそうしたレジェンドに伍して、ボナールは彼だけが描き得る黄、紫、赤、青といった色でキャンバスを埋め尽くし、いちど観たら忘れられない画風を確立した。

 ボナールの色彩は、だれよりも明るく鮮やかというわけじゃない。色の組み合わせが群を抜いて緻密だったり、斬新というのでもない。それなのにかくも強い印象を残すのは、彼の描く色だけがチラチラ、キラキラと永遠にゆらめいているように見えるから。

 私たちにものの色が見えるのは、天から降り注ぐ光のおかげ。無色に思える光にはじつのところ、それぞれ異なる波長を持つさまざまな色が含まれている。光が事物に当たったとき、どの波長を反射し吸収するかによって、その事物の色が決まる。つまり色とは光の波長であって、肉眼には映らぬまでも、跳ね返ったり吸い込まれたりと、至るところで盛大に運動しているのだ。

 そうした光の氾濫と複雑な動きが、ボナールには見えていたとは言わないまでも、筆致や配色を駆使してそうした光のダイナミズムを、だれよりも生き生きと写し取っていたのはたしか。それでボナール作品の中でのみ色彩はゆらめいて、画面全体には生命感が溢れる。ボナールのどの絵からも「生きる歓び」のようなものが放散されているのは、ゆらめく色彩がもたらす効用なのだろう。

■ボナールが「親密さ」を表現できた理由

 ボナールが生涯に描いた題材は、かなり限定されている。花などの静物。彼が暮らす室内の様子。緑豊かな庭といった窓から見える風景。そして恋人や妻ら身近な女性の姿などなど。身の回りにあるささやかなものばかり。

 それらを彼は、ひとつずつ丁寧に描き出していった。ときにもののかたちがぼやけていたりするので、かなりの早描きなのかと思ってしまうが、実際にはいつもたっぷりと時間をかけて、それぞれの絵を仕上げたという。

 花、室内、女性たち……、描かれたあらゆるものが親密さを伴って観る側に迫るのは、描き手であるボナールの視線がそこに強く感じられるからだ。事物の姿を忠実に写そうという客観性よりも、ボナール自身の主観や対象への思い入れのほうが、ここでは優先されている。

 ボナールは絵を描く際、追求すべき方針をひとつ、いつも胸に留めていた。

「不意に部屋に入ったとき目に映るもの、そのすべてを描く」

 というものだ。ある光景を一瞥したときに、自分の視覚が受け取った感覚。それを忠実に絵にしようとしていたのだ。じっくり細部まで観察しながら描くのとはずいぶん違った絵柄になるかもしれないが、一瞬のうちに自分が受け止めた色やかたち、印象を描いたほうが、対象の真実に近づけるんじゃないかと考えた。

 そんな描き方だから、ボナールの画面では細部が解けるようにぼんやりしていたりもする。その代わり、描く対象のうちで彼が最も惹かれた部分については、その魅力を余すところなく描写してある。それでボナールの絵画にはいつも、対象への親密な愛情が溢れんばかりに表現されることとなった。

 絵画を通じて結ばれる、描かれるものと描き手の幸せな関係がそこにはある。ボナールの名品がずらりと並ぶ会場で、その強い絆を実地にたしかめてみたい。作品を観る側たる私たちにも幸福のお裾分けがもたらされて、きっと温かい気分に浸れるはず。

(山内 宏泰)

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