「男子とプレーするのが普通でしたから」 日本初“男子と同一チームでプレーした女子プロ野球選手”が振り返る「あの頃」

「男子とプレーするのが普通でしたから」 日本初“男子と同一チームでプレーした女子プロ野球選手”が振り返る「あの頃」

吉田えり選手 ©?文藝春秋

 日本初の女子高生プロ野球選手――。

 身長155cmの小柄な彼女は“ナックル姫”と呼ばれ、好奇と興味の入り混じった注目を浴びていた。2008年末、関西独立リーグのドラフト会議で神戸9クルーズから指名を受け、翌年3月の開幕戦で初登板。そんな彼女の様子は連日メディアを賑わせ、ちょっとした“ナックル姫フィーバー”を起こすほどだった。

 しかしまだ高校生。数カ月前までまったく無名の存在だったにも関わらず、自分に注目し盛り上がる世間を見て、当の本人である吉田えりは何を思っていたのだろうか。

「まさかプロになれるなんて思っていなくて嬉しかったのですが、すごい注目されて、これはもうどうなっちゃっているんだろうって。本当に大丈夫なのかなって思いましたね」

 当時を振り返り、吉田は苦笑した。(全2回の1回め/ 続き を読む)

■中学時代に悩んだ「男子との体格差」

 彼女が野球を始めたのは小学校2年生のときだ。大好きな2歳上の兄に影響を受け、地元のチームに入団した。今でこそ野球をプレーする女子は当たり前にいるが、当時は少数派であり、吉田のチームには本人も含め2名しかいなかった。男子と同じ土俵で競い合いながら、吉田はいつしか野球に魅了されていったという。

 中学生になっても野球熱は収まることなく、部活は野球部を選んだ。女子生徒の加入は前例がなかったというが顧問が女性の先生だったこともあり、また試合にも出場できるということで白球を追う日々を選択した。だが、ここで以前とは異なる現実を突きつけられる。

「小学生のときは感じなかったんですけど、中学生になると男子と体格差が出てきて、どんどん抜かされていくんです。体力的な部分を受け入れるのに時間がかかったというか、同じメニューをやっているのに差がついてしまって正直、野球を辞めたくなったこともありましたね」

 埋めきれぬフィジカルの差。その後、吉田はこの大きく立ちはだかる壁を克服するための戦いを強いられることになる。

■“魔球”ナックルボールとの出会い

 そして運命の出会いが訪れる。部活を引退し進路や今後野球をつづけるか迷っているとき、父親からある映像を見せてもらった。

 それはボストン・レッドソックスのティム・ウェイクフィールドのピッチングだった。力感のないリラックスしたフォームからふわっと投げ出されると、ボールは不規則な軌道を描いた。まるで打者を手玉に取るような魔球。そう、ナックルボールである。ウェイクフィールドはこの無回転ボールを武器にメジャー200勝を達成した名投手であり、その姿に吉田は天啓を受けた思いだった。

「ナックルだったら女性でも投げられるかもしれない。それにこの変化球があれば、男性と勝負できるかもしれない」

 女子野球がまだ一般的ではなかった時代であり、吉田の頭のなかには男女の壁は存在しなかった。またナックルを知ったことでNPBやメジャーで投げることを夢見るようになる。

 高校に進学すると、吉田はクラブチームに所属し、理解ある大人たちに見守られとにかくナックルを投げまくった。

 誰も投げたことがないから教えられる人間はいない。

■高校2年生にしてプロ野球選手に

 教科書は雑誌の変化球特集だった。暗闇を無灯火で進むかのごとく吉田は試行錯誤し、ついに高校2年生のときボールは無回転で不規則に変化した。ナックルをものにしたのだ。

 これをきっかけに吉田の野球人生は大きく花開いたといっていいだろう。発足されたばかりの関西独立リーグのトライアウトにチャレンジするとドラフトで指名され、高校2年生にしてプロ野球選手になった。

 冒頭で述べたように“ナックル姫”はメディアの寵児となったものの、現実はそう甘いものではない。吉田は2009年のデビューイヤーで主にリリーフとして11試合に登板し、防御率は4.63。決して芳しいものではなかった。

「1年目は右も左もわからない状態で、野球をしながら野球以外のことにも追われ、頭のなかが整理できませんでした。一番はすごく応援してもらっているのに結果を出せなかったことですよね。これまで野球をやってきて一番苦しい時期だったかもしれません……」

■米「アリゾナ・ウィンターリーグ」への挑戦

 高校生が抱えるにはあまりにも大きな期待とプレッシャー。奇しくもシーズンが終わるとチームの親会社が撤退し、監督も解任。吉田もチームを去ることになった。あまりにも大きなダメージだったが、前例や慣習などあまり気にしない行動力で、吉田は新たな道を切り拓くことになる。

「アメリカで『アリゾナ・ウィンターリーグ』というのをやっていると聞いたんです。約1カ月間、試合をするんですけど、そこでは独立リーグの監督が指揮を執っていて、目にとまれば独立リーグでプレーできるということでした。ツテがあった? いえ、インターネットで検索したら募集要項が出てきて自分でエントリーしたんですよ」

 まさに運命を手繰り寄せるのは自分次第。吉田は、尊敬するウェイクフィールドのいるアメリカのマウンドに立ちたいと切に思ったのだという。日本から来た小柄な女性ナックルボーラーはウィンターリーグで存在感を示すと、チコ・アウトローズのGMであるマイク・マーシャルに気に入られ、同球団に加わることが決定した。

■初打席で初安打と初打点!

 2010年5月、公式戦で先発として初登板すると3回5安打4失点。苦しいデビューであったものの、一方で打撃において初回の第1打席、満塁のチャンスでライト前タイムリーを放ち、初打席で初安打と初打点を挙げる離れ業を演じた。これは女性選手として歴史的意義があったことから、試合で使用したユニフォームとバットはニューヨークにあるアメリカ野球殿堂博物館に展示されることになった。

 アメリカでの経験を吉田は次のように言う。

「アメリカは広いのでバスでの移動が大変で、どこに行くにも15時間ぐらいかかるんです。選手たちは日本以上にハングリーでしたし、這い上がってやろうっていうエネルギーを強く感じました。そういう意味では本当に経験できて良かったなって思っているんです。本当に少しの期間ですけど結果を残せた時期もあったので、それをつづけることができたらなって思ったんです。もっとナックルの精度を高めることができたら、もう少しやれたんじゃないかって」

 その後、吉田はアウトローズをはじめ、マウイ・イカイカなどの米独立リーグのチーム、関西独立リーグの兵庫ブルーサンダーズ、BCリーグの石川ミリオンスターズなど、男子選手と一緒にプレーをした。

■2017年にエイジェック女子硬式野球部に加入

 そして2017年11月、吉田は現在の所属先でもある、栃木県小山市を拠点に新たに設立されたエイジェック女子硬式野球部に加入。選手兼任監督(現在は兼コーチ)などを務め、プレーヤーとしてはもちろん後進の指導に当たっている。

 ナックルという他にはない武器を手に入れたことで男女の垣根を越えてプレーしてきた吉田いわく、現在の女子野球のレベルは非常に高いという。

「私の時代は高校に女子野球部があったのは全国で5校しかなかったのが、今では30校以上あり更に増えつづけています。中学生で120キロを超えるボールを投げるピッチャーもいるぐらいですからね。女子のプロ野球ができたのは、私が高校生でプロになった翌年だったんですけど、もし高校時代に女子野球があったらそっちを目指していたかもしれませんね」

■競技人口は増えても、受け皿が少ない女子野球

 自分の時代とは比べものにならないぐらい競技人口は増えているが、吉田が憂えているのはその受け皿がまだ少ないということだ。

「女子プロ野球が活動を休止してしまったので、やはり小さい子どもたちは何を目指せばいいのか、あるいはこのままつづけていても大丈夫なのかって考えると思うんです。例えば西武ライオンズと阪神タイガースといったNPBの球団が女子チームを作りましたが、小さい子が憧れるようなリーグや組織ができればいいのかなって思うんです。そういった道筋ができるように、少しでも女子野球を盛り上げることができればいいなって」

 現在の目標は、所属するエイジェックで全国制覇すること。吉田は昨年肘の手術をして実戦から離れているが、まだまだマウンドに立つつもりだ。

「ちょっとずつ投げられるようになっているので、もう一度チャレンジしたいと思っているんです」

 道なき道を進み日本とアメリカを渡り歩いた“ナックル姫”は、瞳を輝かせ頂点を目指す――。( 後編 に続く)

撮影=末永裕樹/文藝春秋

“ナックル姫”こと吉田えり選手に聞いてみた 「“魔球”がマスターできれば女子でもプロ野球で活躍できますか?」 へ続く

(石塚 隆)

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