今やまともに一人で立つこともできず……“地位”も“名誉”も失った「住友銀行の救世主」はいま何を思うのか

今やまともに一人で立つこともできず……“地位”も“名誉”も失った「住友銀行の救世主」はいま何を思うのか

(※写真はイメージ)©?iStock.com

「怪文書紛いが国会で取り上げられた」“イトマン事件”の告発で“住友銀行の救世主”になった男の告白 から続く

 戦後最大の経済事件“イトマン事件”を内部告発し、住友銀行の救世主となったバンカー、國重惇史氏。しかし、あることをきっかけに銀行を追われ、その後に務めた楽天副会長の座もスキャンダルで辞任。現在は家族を失い、地位も名誉も失い、家も失い、まともに一人で立つこともできないほどの体調不良にも見舞われ、赤坂のワンルームマンションでの暮らしを送っている。國重氏はいま何を思って生きているのだろうか。

 ここでは、ノンフィクション作家の児玉博氏の著書『 堕ちたバンカー 國重惇史の告白 』(小学館)を引用。國重氏とおよそ20年の付き合いを続ける著者だからこそ知ることのできた、「住友銀行の救世主」の現状を紹介する。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

◆◆◆

■國重に残された“けもの道” 

 春から初夏に向かっていた。その日も赤坂に國重を訪ねた。部屋の乱雑ぶりは相変わらずだ。部屋にはやはり、微かな尿の臭いが漂う。國重はといえば、酷く汚れてはいたがお気に入りだった赤のダウンジャケットを脱ぎ、Tシャツ1枚のリラックスした姿になっていた。お決まりのように、部屋をざっと掃除して、國重の近況を聞く。

 元気に過ごしていたという國重は、やたらと「仮想通貨」に強い関心を持っていた。聞けば、政治家、二階俊博の周辺で「仮想通貨」市場に乗り出そうとしている人間たちに会い、知恵を授けているとも話していた。

「ヘー、國重さん、仮想通貨の仕組みとか理解できているんですね。たいしたもんじゃないですか?」

 國重は筆者の言葉をバカにされたと思ったのか、ややムッとした表情になって、

「俺にだって仮想通貨ぐらいはわかるよ。元銀行家なんだよ、これでも」

 と口を尖らせた。

 そして、國重が最近、接触を繰り返している人間としてあげた名前は、1人は大手消費者金融に深く関与している人物であり、もう1人は何でもダボハゼのように利権にすることで有名な政治家だった。いかにも怪しげだった。

「國重さんは、こうした輩は好きですよね。銀行の時代から変わらないですよね」

「面白いからね。普通のサラリーマンとは違って……」

「やっぱ色々動いてるのは、カネなの? Mさん(國重の元妻)への(慰謝料の)支払いも大変だもんね」

 國重はその通りと言わんばかりに、小さく頷いていた。

■元妻へは毎月200万円を送金

「必要なんだよね。ほら、Mちゃんは、厳しいからさ、少しでも遅れたら弁護士からギャンギャン言ってくるんだよ」

 こう言って苦笑いしながら、國重は何としても元妻への送金をせねばならないと思っていたようだった。その額毎月200万円。尋常な金額ではない。普通の人ならとても工面できない金額、ましてや身体の自由が利かなくなっている今の國重が、どうやって毎月200万円もの大金を調達するのか? そう思えば先にあげた怪しげな人物たちと接触するのも致し方ないかと、納得する以外ないのだが。國重に残されたのは“けもの道”なのだ。その道に縋って生きることしか國重にはもう残されていないように思える。本人がそれを自覚しているかどうかは別ではあるが。

 國重が個人として支払わねばならないカネは毎月、ゆうに500万円を超える。この尋常でないカネを工面せねばならない。普通の人間ならば、絶望してしまいそうな額だ。けれども、國重の口から、そうした言葉、絶望や諦めを臭わすような言葉をついぞ聞いたことはない。

「國重さん、本当にたいしたもんだよね。こんな身体になっても毎月、何百万円もカネを作ってくるんでしょう? たいしたもんですよ。國重さんじゃなければ、できない芸当ですよ」

 すると國重はじっとこちらを見つめていたが、

「どうやってお金を作ってんですか?」

 と聞くと、

「へへへ……」

 と言いながら、

「それは秘密だよ」

 と笑ってみせた。

 そうした國重が背負う、数々の支払いの中の1つに、実母が入院している病院への支払いがあった。大正11年(1922年)3月生まれの國重の母英子は、10年ほど前から鎌倉にある老人養護施設に入所していた。

 國重は母英子への思慕を隠そうとはしない。話が肉親、特に母英子に及ぶと、時には涙を流すこともあった。自らの身体の不調、不自由さに触れては、

「まだおふくろが生きているから……、俺が先に死んじゃうわけにはいかないんだよ」

 と漏らして、涙を流した。最近は身体の不調もあり、母がいる鎌倉に顔を出せていないことが心にわだかまっているようだった。

■國重を守ろうとした西川善文という人物

 ひとしきり母の話をしていた國重が、ふとこう話題を変えた。母のことから、思い出したようだった。

「児玉さん、最近、西川さんの様子は何か聞く? まだ死んだりしてないよね」

 國重が口にした西川とは、三井住友銀行頭取だった西川善文のことだ。強烈な個性で三井住友銀行だけではなく、金融界を代表する顔であった西川は、専務であった当時、國重が子会社に飛ばされる時、身体を張って頭取、巽外夫にそれを思い止まらせようとするなど、最後まで國重、そして國重の妻を守ろうとした。

 西川の自著『 ザ・ラストバンカー 』(講談社)にこんな一節がある。

『私が磯田さんの墓参りをしたのは、このときが初めてである。磯田さんの秘書を長らく務めた女性の方がいて、私の元部下と結婚したために親しく連絡を取り合っていたのだが、その方から「磯田さんのお墓参りに一緒に如何ですか」とお誘いがあって行くことにしたのだ。「住友銀行の天皇」とまで言われ、アメリカの金融専門誌で「バンカー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた金融界の大立て者の墓にしては、実に質素なものだった』

 この中に出てくる磯田の元秘書が國重の元妻なのである。

 西川が住友銀行に入行を決めるきっかけとなったのは、磯田だった。面接に来た大阪大学の学生だった西川を住友銀行に強く誘った。また、銀行家となった西川も終生、磯田を尊敬し続けた。生涯、西川の目標は磯田だった。

 住友銀行からほっぽり出された國重にとって、西川の存在は何よりも強力な守護神だった。楽天入りした國重の背後には、いつも西川という後光がさしていた。

 その西川がアルツハイマーに冒されたのが2014年(平成26年)のことだった。ある月刊誌に筆者は次のような原稿を書いた。

『静かに一つの時代が終わろうとしている。

?

「ラストバンカー」と異名を取った辣腕金融マンで、三井住友銀行頭取や日本郵政社長を歴任した西川善文が、アルツハイマー病による認知症に冒された。

?

 1938年(昭和13年)生まれでまだ70代半ばだが、異変のきっかけとなったのは昨年4月、長年連れ添った妻晴子を亡くしたことだった。異様とも思えたのは、その情報を一切外に漏らさなかったことだ。西川が愛してやまなかった古巣、旧住友銀行の多くの関係者さえも後日知らされて慌てふためいたほどだ。

?

 本誌が知るところでは、西川は住友銀行の最前線に立ち続け家庭では苦労をかけた妻を「バンカー西川の妻」ではなく、「西川善文の妻」として見送りたかったという。

?

 異変が起きたのは妻の葬儀を終えたあたりからだったようだ。昨年夏、西川が懇意にしている外資系証券会社の幹部らが彼を囲むゴルフコンペを開催した。長い付き合いでもあり軽口を叩き合えるこの会を西川は愉しみにしていて、毎回欠かさずに顔を出していた。ところが、出席はしたものの、西川は往年の生気がなく、ビールに唇を湿らす程度で早々と姿を消した。弱々しい姿に幹部等はショックを受けたという。(中略)

 國重が住友銀行本体から体よく追い払われ、傘下の証券会社に転出する際、西川は國重を守れなかったことを詫び、そして号泣したという。

 後に國重が楽天に入社すると、当時、三井住友銀行頭取だった西川はあまたの有力取引先からの社外役員要請を断わり、楽天証券の社外取締役だけ受けて國重に報いた。楽天証券役員会には必ず顔を出し、國重や三木谷浩史社長とともに鰻を食べた。愛弟子國重の不名誉な墜落を、今の西川が知ることはもうないだろう。不幸中の幸いとも言えるが、余りに寂しい幕切れではないか』

 國重の不倫騒動が週刊誌に書かれた後に書いたものだ。

■アルツハイマーを恐れていた最大の庇護者

 西川はどんなに忙殺されていても毎月25日の楽天証券の役員会には毎回顔を出し、その後、國重、三木谷とともに鰻を頬張るのを愉しみにしていた。それは、國重を守れなかったことへの西川の贖罪でもあったのだろうか。

 西川は間違いなく國重の最大の庇護者だった。國重の後ろには、三井住友銀行の西川がついている、これはある種、水戸黄門が掲げる葵の御紋が入った印籠と同じだった。

 それだからというわけではないが、西川の凋落と歩調を合わせるように國重も墜ちていった。

 西川の庇護を受け続けた國重が、アルツハイマーとなり入院生活を続けている西川を気にかけるのは当然だった。

「西川さんはどうしてるのかな?」

 國重によれば、西川はいつの日か自分が認知症になるのではないかということを酷く気にかけていたという。

「西川さんは、自身の父親が認知症になっていたことと、親族にも認知症になった人がいたことから、もの凄く認知症になることを恐れていたんだよ」

「遺伝ってことですか?」

 國重はしかつめらしい表情で頷いてみせた。

「そう。西川さんは本当に怖がっていたんだ」

 西川は零落した國重の姿、境涯を知ることはなく東京都下の病院で余生を送っていた。

【前編を読む】 「怪文書紛いが国会で取り上げられた」“イトマン事件”の告発で“住友銀行の救世主”になった男の告白

(児玉 博)

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