《2008年M-1ファイナリスト》U字工事に聞いてみた 「どうして栃木ネタ一本でここまで生き残れたんですか?」

《2008年M-1ファイナリスト》U字工事に聞いてみた 「どうして栃木ネタ一本でここまで生き残れたんですか?」

©文藝春秋

 2008年のM-1決勝戦。栃木訛りで繰り広げられる作りこまれた漫才で一躍有名となったU字工事のふたり。漫才終盤で放つ「ごめんね、ごめんね〜」のギャグは一世を風靡した。

 あれから13年。コンビ結成22年目を迎えた2人だが、ネタは当時と変わらない栃木ネタだ。競争の激しい芸能界で、栃木ネタ一本でも飽きられることはなく、常にテレビの世界で笑いをとり続けている。

 ドラマでいう主役のような華々しいポジションではない。だが、名バイプレイヤーのように息の長い活躍を続ける2人に、芸能界で生き抜く術を聞いた。(全2回の1回め/ #2 を読む)

◆◆◆

■栃木ネタ以外に挑戦してみたこともあるけれど…

――デビューしてから今年でもう22年目になるんですね。

益子 本当にありがたいことですよ。コンビ結成したばっかりの時は、どっかの事務所にさえ入っとけば栃木に帰った時に「俺ら芸能人だったんだぜ!」って自慢できるからってくらいの気持ちで始めたんですよ。それがまさか、こんなにも長く続けさせてもらえるとは思っていませんでしたね。

福田 東京の芸能事務所入っていたら、それだけで栃木ではもうスターですから。

――スターのハードルが低い(笑)。でも、いまやお2人は名実ともに栃木が生んだスターですよね。栃木ネタ一本で、飽きられることなく活躍し続けられているのは、本当にすごいことだと思います。

福田 いや、もう飽きられてると思いますよ。後輩のカミナリからも「おめぇら、かんぴょうと餃子ばっかで新しいことなんもやんねぇな」って言われてますから(笑)。でも、僕らはそれしか出来ないんですよね。何度か栃木ネタ以外に挑戦してみたこともあるんですけどね。

益子 あったなぁ。俺が「何にでも感謝する」っていうネタ。ツッコまれても「ありがとな、俺の間違ってぇとこ教えてくれて」って感じの。

福田 そのネタができた時は、もう2人でハイタッチするくらいの手応えがあったんですよ。「新生U字工事の誕生だ」っていうくらいに(笑)。ネタおろしは、K-PROさんっていうお笑いイベント会社が主催するライブで、サンドウィッチマンさんなんかも出ていて。今でも覚えてますね。M-1王者のサンドさんに「僕ら今日、新ネタおろすんで」って自信満々に言ったんですよ。

益子 で、いざやったら、今までの中で一番ってくらいスベったんですよ。お客さんが、口をポカーンって開けてましたからね。「この人たち、栃木ネタの人じゃねぇの?」って感じで。

福田 サンドさんにも普段は「アドバイスください」みたいなこと言ってたんですけど、その日は見つからないようにすぐ帰りました。それからK-PROさんのライブは一度も呼ばれてませんね(笑)。

■かんぴょうも餃子も実は…県の南のほうのもの

――今のぺこぱさんの漫才に近いような気もしますが、少し時代が早過ぎたんですかね。でも、『マツコ&有吉かりそめ天国』の番組内では有吉さんからは「栃木ネタ一本でずっとおもしろい」と絶賛されていました。

福田 それ言われて、すっごい焦ってますよ今。もう栃木ネタねぇぞって。かんぴょうと餃子、使いまくってますからね。やっぱり、かんぴょうはイジリやすいんですよねぇ。実は、栃木はいちごの生産量も日本一なんですけど、いちごはあんまりバカにできない。

益子 かんぴょうもできねぇよ! おめぇ、かんぴょう利権なめんなよ。

福田 確かに。僕らはかんぴょう関係者とズブズブなんですよ(笑)。かんぴょう協会の会長さんが、僕らのこと知ってくれていて、かんぴょう祭りの営業の仕事とかもらったり。

益子 ただ、これ大きな声では言えないんですけど、ザ・たっちの2人も栃木なんですよ。で、実家がかんぴょう農家なんです。俺らは栃木の北部の人間なんですけど、2人は南部のかんぴょうが名産の地域。だから、ザ・たっちがかんぴょう利権を主張しはじめたら、俺らは終わっちゃうんですよ。

福田 誰も気が付いてないと思いますけどね(笑)。

益子 いや、栃木の一部の人間からは、「あいつら、節操ねぇな」って言われてるんですよ。「北部の山からのこのこ出てきたくせに」って。

福田 まぁ、確かによくネタにしてるかんぴょうも餃子も、レモン牛乳も全部、県の南のほうのものなんですよね。なので、子供の頃からよく食べてたとか、嘘は言わないようにしています。

■栃木ネタで活動を続けられる秘訣は「変に無理をしない」

――栃木も内部で、いろいろな縄張りがあるんですね(笑)。ただ、こういった栃木ネタで、息の長い活躍を続けられる秘訣はなにかあるんですか?

益子 ちょっとわかんないっすね…。なんでなんかな?

福田 う〜ん。まぁ、変に無理はしないようにしてますね。うちの事務所の方針が、“芸能界、波風立てずに生きていく”というのなんで。俺らが積んでるエンジンは50ccくらいで、ほかの芸人さんが250ccとか400ccのバイクで飛ばしていくのを見ながら、原付で下道を通っている感じなんですよ。なんとか事故んないようにって(笑)。だから、ウケなかったらすぐにハンドルを切り替える。さっきの感謝するってネタのときも、変に意地を張ったりせずに、スベったらすぐに栃木ネタに戻しました。
益子 確かにずっと低空飛行を続けてる感じですね。08年にM-1の決勝に行った直後なんかには、「全然、寝れていないでしょ?」みたいによく聞かれてたんですけど、結構普通に寝てたんですよね…。大きな事務所じゃないので、そんなに細かい仕事はなかったですし。まぁでもそう考えると、あの時あんまり仕事を詰め込まれていたらヤバかったかもしれないですね。排気量が50ccしかないんで。

福田 あとはやっぱり運が大きいですよね。たとえば最初、運よく『いきなり!黄金伝説。』に出させてもらって、それが終わったと思ったら今度は『陸海空 地球征服するなんて』に呼んでもらったり…。定期的に出演させてもらえる番組が終わるたびに、そうやってラッキーっていうんですか? 次の番組にも呼んで頂けて。ひとつひとつの企画は正直、自分らの中でも「これでいいのかな?」と思いながらやっているんですけどね。

益子 エンジンちっちぇえからなぁ。

■自分の出た番組を見るのは「今でも恥ずかしい」

福田 俺ら、「絶対にMCになってやる!」みたいな向上心がないんですよ。お笑い番組とかもあんま見ないですしね。家で家族とご飯食べてるときに、たまたま流れてたら「見るかなぁ」ってくらいで。

――普通のサラリーマンですね。そういった一般人の感覚が視聴者にとっては親近感を持ちやすいということになるのかもしれません。ちなみに、ご自身が出られた番組とかはチェックされないんですか?

福田 一応、録画はしてありますけどね。やっぱり、恥ずかしいんですよ。見るときは勇気を出して…酒の力を借りないと見れないですね。

益子 それはわかるな。俺もよっぽどの手応えがあったやつは見ますけど、そうでもないやつは酒飲んでないと見れないっすね。

■コロナ前でも「率先してステイホーム」していた

――テレビ出るようになってから13年ですよね。それでもまだ、恥ずかしさがあるっていうのはとても意外です。

益子 あんまり研究心がないんじゃないんですかね。芸人仲間の飲み会とかもほとんど行かないんですよ。いまは、こういうご時世なんで飲み会自体がないですけど、コロナ前でも、率先してステイホームしてましたね(笑)。福田も率先して帰るよな?

福田 大変申し訳ないんですけど、正直10回誘われて、1回行くかなくらいですね。

益子 いや、20回に1回だべ? 福田はM-1決勝進出の発表の時なんかも「電車がねえから帰る」って帰ったりしてますから。

――それは筋金入りの家大好き芸人ですね。

益子 福田ほどじゃないですけど、俺も家が好きですね〜。平日、昼間にみんな仕事してるくらいの時間帯に、横になって甲子園見ながら家でコーヒーを飲んでると、「自分、最高の仕事してんなぁ」って思いますね(笑)。「今日は16時に浅草いって、1本漫才やるだけだな。だから、俺座ってていいんだよな」って。それで劇場に30分前に入って、15分漫才やって家に帰る。それが最高ですねぇ。

福田 その反面で早いときもありますけどね。ずーっとアマゾンに行ってる時期とかもありますから。俺らの世代はまだギリギリ、「芸人なんていかに楽して生きるか」みたいなヤクザな世界観が残っていた感じでしたから。「腹が減ったらネタを作る」ぐらいの無頼な感じというか…。俺らはそこまでじゃないですけど、向上心っていう意味では今でもそっちよりの感覚なのかもしれないです。

( #2 に続く)

写真撮影=文藝春秋/深野未季

U字工事/益子卓郎(ボケ担当)と福田薫(ツッコミ担当)のコンビ。益子は1978年6月16日栃木県出身。福田は1978年5月12日栃木県出身。栃木県立大田原高等学校の同級生だった2人によるコンビで、主に栃木弁による漫才を行う。

『M-1グランプリ』では、2003年から2007年にかけて5年連続準決勝進出。2008年には初の決勝進出を果たし、5位。そこから多くのバラエティ番組などに出演し、活躍。最近も『有吉ゼミ』『有吉の壁』(日テレ系)、『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレ朝系)などで存在感を見せている。

「栃木の人は東京のテレビに出てると喜んでくれるんで」 U字工事が20年間漫才を続ける“予想外の理由”とは? へ続く

(味道苑)

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