下北沢には最強の流れ星☆、かもめんたる……野田クリスタルが“地下時代の師匠”と中野へ流れた理由

下北沢には最強の流れ星☆、かもめんたる……野田クリスタルが“地下時代の師匠”と中野へ流れた理由

“地下芸人”時代のマヂカルラブリー・野田クリスタル(左)とモダンタイムス・としみつ(モダンタイムス提供)

「野田クリスタルが組みたがったもう一人の天才がいた!」地下時代のマヂカルラブリーを見出した“師匠”を直撃 から続く

「M-1グランプリ2020」で優勝し、一躍人気となったマヂカルラブリーの野田クリスタル(34)。その彼がピン芸人時代から出演して独特の芸風を育んだインディーズライブ、通称“地下ライブ”がいま注目を集めている。

 野田が高校時代から師匠とあがめる“地下芸人”界のレジェンド「モダンタイムス」のとしみつ(42)と川崎誠(42)に、多くの人気芸人たちを生み続けてきた“地下ライブ”の歴史を語ってもらった。(全3回の2回目/ #1 、 #3 を読む)

◆◆◆

■地下の文化が始まった2000年代?

――モダンタイムスがデビューしたのは2005年。その頃のお笑いライブの世界ってどんな感じだったんですか?

としみつ 90年代は、事務所ごとのライブか、事務所に出演オファーがあって出る形のライブが普通でした。

川崎 芸人が自分でライブをやる地下の文化が徐々に生まれていったのは、2000年代前半から。その前は、事務所に所属していない芸人はお金を払ってライブに出演するしかなかった。ワンフォール・ウエスト(芸能プロダクション)が主催してるシアターD(渋谷にあった劇場)のライブもそうで、最初のうちはそれに出たんです。

■「下北の流れ星☆、中野のハマカーン」という時代

――ワンフォール・ウエストってどんな芸人さんがいたんですか?

としみつ オレらの同期だと、ゴー☆ジャス(42)とかになりますね。まだ、あの派手なキャラクターになる前です。サッカーボールで一人コントとかやってる時代。ゴー☆ジャスも長いことライブができなくて、初めて出演するってなった時は「やっと出られたぞ!」って一緒になって喜びましたね。クソほど高いノルマを払って出るライブなのに(笑)。

 ワンフォールに出ると、次のライブを紹介される流れがあって。それで出たのが、野田クリスタルと出会った「松みのるライブ」。それが終わると、「なかの芸能小劇場」に出られるみたいな感じでランクアップしていくイメージだった。

 当時は毎月1回、なかの芸能小劇場で「お笑いゼロワンライブ」があって、ハマカーンさんが出て盛り上がってましたね。ほかにインディーズでは、流れ星☆さんがすごい人気だった。

――ハマカーンさんや流れ星☆さんもインディーズ出身だったんですね。

としみつ 流れ星☆さんは下北をメインに活動していたんですよ。かもめんたるさんが所属してた「WAGE(早稲田大学のお笑いサークル)」とかヴェートーベンさんとかもそう。事務所に入る前のインディーズ時代に、下北ですっごく人気だったんです。一方で中野に行くと、響、キャン×キャン、ハマカーンが最強みたいな盛り上がりもあって。

 だから、ワンフォールのライブに出た後は「中野と下北、どっちに行くのお前ら」みたいなやり取りが、地下芸人の間にはあったんです。それでオレらや野田は、中野のほうに行った。

■バナナマンはレベルが違う。混じり合わない

――それぞれにテリトリーみたいなものがあったんですね。バナナマンさんも駆け出し時代から下北でライブをしていましたよね?

としみつ バナナマンさんはもうレベルが違います。おぎやはぎさん、いまは放送作家のオークラさんとかは、あくまで事務所に入ってますから。

川崎 絶対に混じり合わないです(笑)。

としみつ あの頃、流れ星☆さんは下北で路上ライブとかをやってたんですよ。

川崎 伝説の路上ライブ。毎回人が集まり過ぎて、警察がきて終わる。最後は流れ星☆さんがタクシーに乗って、ファンから逃げるんです。

としみつ いま流れ星☆さんって「仲が悪い」って話題になってるじゃないですか。オレらはそれ見てビビりますもんね、あの時代のすごさを知ってるから。怖かったです、流れ星☆さんは。

 こういうこというと怒られるかもしれないけど、TAKIUEさん(42、当時は瀧上伸一郎さん)のほうがちょっと力あったんですよ。オレらからすると、2000年代のインディーズのライブシーンはTAKIUEさんが中心。今は、ちゅうえいさん(42)のほうがバーッと行ってるから、「テレビの世界はそうなんだ」って感じちゃいますね。

 流れ星☆さんもハマカーンさんも、もう上のステージに行こうとしている人たちって感じでした。オレらはその下のほうにいて、そこがたぶん「地下」って言われてる原点なんじゃないですかね。

 実際にハマカーンさんはすぐケイダッシュステージに、流れ星☆さんも浅井企画に所属した。そこで、一旦インディーズがなくなるんです。それまで応援してた人たちが、メインのほうに行ったから。問題は取り残された、オレらとか事務所に入れない芸人たちですよね。

■「すみません、全部カメラ下げてください」

――若手のライブというと、コント赤信号・渡辺正行さん(65)が主催する「ラ・ママ新人コント大会」、ブッチャーブラザーズさんの主催ライブは有名ですが、2000年代の地下ライブはまったく別の文脈だったんですね。

としみつ ラ・ママもブッチャーさんも一段上なんですよ。地下じゃない。事務所にオファーがきて、スタッフさんから「ネタ見せに行ってください」と声が掛かって初めて出演できる。だから、まずオレらには話が届かないし、もし率先してエントリーしたとしても、相当勝ち上がっていかないと出られないんです。

川崎 ラ・ママなんて、ネタ見せするまで何年待ちみたいな世界ですよ。

としみつ 事務所に入っていれば毎月呼ばれるようなライブなんですけど、オレらはフリー枠じゃないですか。各事務所には「何組きてください」っていうオファーがあるのに対して、フリーは百何十組が1枠のために電話して並んでるような状態。当時は今みたいにネットもないですから電話です。予約して待ってやっとネタ見せしても、まったくハマらないではじかれるみたいな感じでした。

川崎 あの頃は、そういうライブにちょっと興味なかったのもありますけどね。

としみつ オレら、いろんな事務所にネタ見せに行ったんですね。全部落とされて、ちょっとヤケになってた時期があるんですよ。「どうせ受かんねぇだろ」みたいな。

川崎 だんだんヤバい感じになってきて、オレらも。「もうめちゃくちゃやってやろう」みたいな(笑)。

としみつ ちょうど『エンタの神様』(日本テレビ系)が始まった2003年頃って、インディーズライブのほとんどにカメラが入ってたんですよ。片っ端から芸人のネタを撮って、その映像を『エンタ』の演出をしていた五味(一男)さんに全部持っていくみたいで。当時、オレらは尖り過ぎてたので、カメラを見つけると、「すみません、全部カメラ下げてください」って言ってね。

川崎 『エンタ』がつまらなそうだったからね。嫌だなぁと思って。それ以来20年間、カメラが下がったまんまです(笑)。当時は23、24歳の頃だし、生意気だったんですよ。( #3 に続く)

「野田クリスタルが巧みだった大宮セブンの見せ方」地下からブレークする条件と“次に来るコンビ” へ続く

(鈴木 旭/Webオリジナル(特集班))

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