「同じandでも微妙に違う…」 東大英文学教授が教える英文中の「今にもわからなくなりそう」な感覚が重要なワケ

「同じandでも微妙に違う…」 東大英文学教授が教える英文中の「今にもわからなくなりそう」な感覚が重要なワケ

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「言葉の勉強に圧倒的に有効なのは読むこと」 東大教授が『老人と海』をモチーフに教える英語の“おいしい”読み方 から続く

 英語の勉強中、挫折した経験がある人は多いでしょう。英語という言葉の「おいしさ」を感じることなく、モチベーションを維持するのはなかなかたいへんです。英語を楽しく、そして英語の「おいしさ」を感じながら勉強する方法をまとめたのが東京大学文学部教授である阿部公彦氏の『 英文学教授が教えたがる名作の英語 』(文藝春秋)です。  

 文学作品の文章は言葉の「おいしさ」を知るのにもってこいです。ここでは同書を引用し、アーネスト・ヘミングウェイの『老人と海』から、「おいしい」読みどころを紹介します。(全2回中の2回目。 前編 を読む)

◆◆◆

〈『老人と海』をより深く読む〉

■心の声の描き方

 本書に収められている他の文章と比べると、ヘミングウェイの作品は語彙からしても明らかに平易に見えるでしょう。熟語や構文の知識がためされるような難読箇所もほとんどありません。また氷山理論とは言っても、少なくともこの引用箇所はそれほどの省略は感じられないので、作品を通して読んできた人なら文脈は理解できます。

 ただ、シンプルですっきりしているからといって、さらさらっと斜め読みしてしまうと、大事な部分を読み飛ばしてしまうかもしれません。たとえば次のような箇所です。

 You are killing me, fish, the old man thought. But you have a right to. Never have I seen a greater, or more beautiful, or a calmer or more noble thing than you, brother. Come on and kill me. I do not care who kills who.?

 Now you are getting confused in the head, he thought. You must keep your head clear. Keep your head clear and know how to suffer like a man. Or a fish, he thought.?

 “Clear up, head,” he said in a voice he could hardly hear. “Clear up.”

 お前、俺をやっつけようっていうんだな、老人は思った。お前なら権利はあるさ。こんなデカくて、きれいで、静かで品のある魚は見たことがないぞ、兄弟。よし。やれるもんならやってみろ。俺をやれ。誰が誰をやっつけようと同じだ。

 おやおや、頭がおかしくなってきた、と彼は思った。しっかりしなくちゃいかん。しっかりして男らしく受難だ。それとも魚らしくか、と彼は思った。

「おい、頭、しっかりしろ」彼はかすかな声でつぶやいた。「しっかりするんだ」

 老人がマカジキとの格闘に疲れ果て、頭が朦朧としてきた場面です。大海原に浮かぶ小舟には、老人が一人乗っているだけ。そんな極限状態の孤独な環境で発せられる言葉は、ふつうの状況で発せられる言葉とは明らかに何かがちがうでしょう。

■「内面の声」を区別する

 たとえばここでは発せられている声と、実際には発せられていない声との区別がかなり不分明になりつつあります。You are killing me, fish, the old man thought. というところは、これが「内面の声」だということが明示されています。そのあとにつづく部分も、このthe old man thought の続きと考えられるでしょう。

 Never have I seen a greater, or more beautiful, or a calmer or more noble thing than you, brother. Come on and kill me. I do not care who kills who.

 こんなデカくて、きれいで、静かで品のある魚は見たことがないぞ、兄弟。よし。やれるもんならやってみろ。俺をやれ。誰が誰をやっつけようと同じだ。

 しかし、このように老人の心の声が引用符もないままつらなっていくと、まるで、それが直接話法で語られた声のようにも感じられてきます。

 なぜこのような誤解を招くような書き方がされているのでしょう。作家はこのあたりの「心の声」をよりはっきりと「ここは心の声にすぎないのですよ。実際には老人は口に出していないのですよ」と示すこともできたはずです。たとえば合間に老人の動作や事物の描写を増やせば外界がくっきりと際立ち、内と外という対立が明瞭になる。あるいは「声」の方に、ちょっと抽象的で思考のプロセスを示唆するような言葉を入れることで、ふつうの発話とは異なる、いかにも「心の声」らしい内面性が表現される。そういうやり方でも、内と外の対立はわかりやすくなるでしょう。よりストレートにはit seemed to himとかIt o ccurred to himといった、視点や境地など「心のジェスチャー」を示す言葉を増やせば、区別ははっきりする。

 しかし、少なくともこの場面では心の内と外の区別はかなり曖昧になっています。読者としては、少々慎重に読まざるをえない。不便です。にもかかわらずこうした叙述になっているのは、内と外の区別を曖昧にすることで表現されるものがあるからです。まず一つ目として、この曖昧さを通して作品の基調にある硬質の読み心地が形作られる。そこには、読者に手取り足取り状況を説明する親切な語り手はいません。まるで「ほらよ」とぞんざいに料理の皿を出してくるような、ちょっと不機嫌で、寡黙な料理人のようです。はじめは読者も面食らうかもしれませんが、慣れてくると、まさにそれがこの作品の味わいだとわかる。

 シンプルで、ドライで、荒削り。それだけにインパクトも強い。細やかな情緒より、荒っぽい動きや、生死の境を垣間見せるような緊張感。『老人と海』を読む体験から得られるのはこのような感覚でしょう。

■文章の「乱れ」の効果

 しかし、もう一つ注目したいことがあります。これは必ずしも『老人と海』に限ったことではありませんが、物語が佳境に至ったことを示すのに、登場人物の知覚や思考に異変が生じている様子を描くということはよくあるのです。実際、この場面でも老人が尋常ならざる心理状態にあることは示されています。

 Now you are getting confused in the head, he thought. You must you’re your head clear. Keep your head clear and know how to suffer like a man. Or a fish, he thought.

 "Clear up, head," he said in a voice he could hardly hear." Clear up."

 おやおや、頭がおかしくなってきた、と彼は思った。しっかりしなくちゃいかん。しっかりして男らしく受難だ。それとも魚らしくか、と彼は思った。「おい、頭、しっかりしろ」彼はかすかな声でつぶやいた。「しっかりするんだ」

 あれれ、オレ、変だな、と自分でもわかっているようです。だからこそ"Clear up"と「声」を物理的に発し、内面にとめどなく広がる錯乱気味の「心の声」を抑えつけようとしているようにも見えます。

 しかし、そうした老人の自覚はよけいに危機感を際立たせます。物語がさらに緊張感を高めるにつれ、文章には絶妙な形で「乱れ」が組み込まれていきます。

 He took all his pain and(1) what was left of his strength and(2) his long gone pride and(3) he put it against the fish's agony and(4) the fish came over onto his side and(5) swam gently on his side, his bill almost touching the planking of the skiff, and(6) started to pass the boat, long, with purple and(8) interminable in the water.

 彼は自分の痛みも、わずかに残った力も、なけなしの誇りも、ぜんぶ一緒くたにして魚の苦難にぶつけた。魚はわきにやってきて、静かにそのまま泳いでいる。魚の鼻づらはほとんど小舟の板張りに触れんばかり。舟のわきを、長く、深く、広く、銀色の上に紫の線を引いた胴体が、果てしなく水を行く。

■微妙にレベルの違うand

 下線で示したようにandが次々に出てくるのですが、微妙にレベルの違うandが混在しているため、ここも読者がやや混乱しがちです。and(1)とand(2)はtookの目的語を併置、and(3)は「彼」の一連の行為を併置、and(4)は「彼」から「魚」への焦点の移行を示し、両者の行為を対照、and(5)は「魚」の二つの行為を併置、and(6)は「魚」の行為を一つ追加、and(7)は色の描写を併置、and(8)は「魚」についてのlong, deep...というひと連なりの修飾語をまとめる(A, B and Cのように)という形で、何となく読んでいると、どれとどれが併置されているのかやや混乱してきます。今にもわからなくなりそうです。

 しかし、このような、「今にもわからなくなりそう」だという感覚こそがここでは重要なのです。さきほどの「声」の所在の不明瞭さと同じで、境界が「今にもわからなくなりそう」なことを文章のレベルで表現することで、事態の切迫が示されるからです。

 ここではバランスが大事でもあります。いくら危機が訪れているからといって、文の構造を崩壊させたり、老人が狂気に陥ったりすれば、読者はついていけなくなって興ざめでしょう。ここでは文章も心理も、危機的な状態ではあってもこちら側に踏みとどまっています。そのぎりぎりの感じ、「今にもわからなくなりそうだけど、まだ何とかわかる」という感覚がこの場面を力のあるものにしています。そのようにぎりぎりの理性につなぎとめられていればこそ、決めの一節も生きてきます。老人がついにマカジキを仕留める場面は次のように描かれています。

■極端な心理世界の表現

 Then the fish came alive, with his death in him, and rose high out of the water showing all his great length and width and all his power and his beauty.

 すると魚は内に死を抱え持ったまま生き生きと現れ、高く水面から飛び出して長く広い体の力と美しさとを見せつけた。

 ここは文章としては簡潔に見えるかもしれませんが、the fish came alive, with his death in himとか、showing all his great length and width and all his power and his beautyという部分には、日常感覚の超越が見られます。常識的な感覚では理解できない境地が描かれているのです。しかし、これまでの「境界の曖昧さ」や「乱れ」をへてきた読者は、こうした感覚を十分に受け入れることができます。まさにこのような地点にまで上り詰めるためにこそ、今までの「乱れ」があったとさえ言えるのかもしれません。

『老人と海』の主人公は孤高の人で、そう簡単に他人には弱みを見せません。心のうちを明かさない。素朴な言い方をすれば、何だか愛想がない。しかし、どうもこの人は何かを隠し持っていて見せないというわけでもなさそうなのです。というよりは、内側と外側の境界の作られ方がふつうの人とはちがうらしい。その内面は実は巨大で、人間などはるかに超えて魚や海にまで及び、それらと混じり合ってしまう。そんな極端な心理世界をこの一節は表現しえているのではないでしょうか。

(阿部 公彦/ノンフィクション出版)

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