虐殺、強制収容所、美容整形…海外アニメが抉り出す「実写では描けない“社会のリアル”」

虐殺、強制収容所、美容整形…海外アニメが抉り出す「実写では描けない“社会のリアル”」

Les Films d'Ici-Bac Cinéma-Lunanime-ithinkasia-WebSpider Productions-Epuar-Gaoshan-Amopix-Cinefeel 4-Special Touch Studios © 2018

「海外アニメーション」に、実は戦争や難民の姿、社会の実態を描いた作品が多いことは知られていない。実写映画では描けないアニメの世界こそが社会の実態をリアルに表現できるのだ。

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 2010年代、世界の長編アニメーション・シーンは一気に成熟し、表現の多様性を獲得した。表現手法も、絵柄も、取り上げるテーマも様々で、しかし共通して、現実社会への確かな眼差しと態度を持った「大人向け」の作品が増えてきている。それに伴走するかのように、日本のミニシアターで配給される海外長編作品の数もまた増えてきたが、一方で、観るべき人に、まだまだ届いていないとも感じる。この原稿はなによりも、それがアニメーションであるからという色眼鏡があるせいで「生涯の一本」になりえる作品に出会いそこねているあなたに向けて、書いてみたい。海外アニメーションの世界は、いま、映画表現全般でみても、相当エキサイティングな時期を迎えつつあるので、見逃すのはもったいないのだ。

 大人向け海外アニメーションの面白さ――それはたとえば、ある時代・社会に限定された物語を語りながらも、しかしそれを観る人に、その「遠い」はずの世界をひとごととして感じさせないところにある。パーソナルな出来事を描きつつ、それが普遍的にもなるという矛盾する性質を、「絵」であり「記号」であるアニメーションは内包しうる。

 昨年末公開された『FUNANフナン』がその最適な例である。この映画は、クメール・ルージュ下のカンボジアで、突如として平和な日常を失い、虐殺の危機に生を脅かされた家族のサバイバルの物語を描く。

 ドゥニ・ドー監督の長編デビュー作である本作は、監督の母と兄が体験した実話が元になっている。キャラクターデザインをお互いに似せ、「匿名」の人々のドラマとして徹底して描くことで、市井の人々である彼らの必死なる生存(そしてそこに付随する無数の不条理な死)が、よりリアルに突き刺さってくる。

 実在の場所の空気感の表現に長けた本作は、自分がその場にいあわせたような気分にさせもする。カンボジアの山林に吹く「風」(本作の重要なテーマである)を感じたとき、この遠い時代・場所の悲惨な出来事が、本当にあったことなのだということを実感させ、背筋を凍らせる。

『FUNANフナン』:
1975年カンボジア。ポル・ポト率いるクメール・ルージュに支配され、農村へ強制移動される途中で息子と離れ離れになってしまった母親の激動の日々を描く。監督はフランス生まれでカンボジアにルーツを持ち、自身の母親の体験をもとに本作を描いた新鋭ドゥニ・ドー。長編初監督ながら世界中から絶賛された。

 日本とインドネシアの国際共同製作によるCG長編というユニークな作品『トゥルーノース』(今年6月4日公開)も、似たようなテーマを描く。脱北者の証言を元に、北朝鮮の強制収容所における過酷な生と死を語るのだ。本作のキャラクター造形や物語の展開はかなりメロドラマ的なものであるのだが、そういったフォーマット――エンタメという「糖衣」――によってこそ、観客は、この残酷な現実の姿をようやく自分ごととして飲み込み、その苦味を身体に染み透らせることができる。他人事が、自分ごとになるのだ。

 アニメーションは、寓話のような形態によって、社会のあり方を総体として浮かび上がらせることにも長けている。

『トゥルーノース』:
金正日体制下の北朝鮮で両親と暮らす幼い兄妹、ヨハンとミヒ。父親が政治犯として逮捕され母子も強制収容所に連行される。極寒の収容所の生活は凄惨を極めた。ドキュメンタリー映画『happy-しあわせを探すあなたへ』メインプロデューサーの清水ハン栄治の初監督作品。収容体験をもつ脱北者などにインタビューを行い10年の歳月をかけた。

■社会の姿を変えようとする意志を描く

 昨年公開され、のんが吹替版の声の主演を務めることで話題となった『マロナの幻想的な物語り』は、犬のマロナの死の瞬間から始まり、その生を回想する作品となっている。本作の監督アンカ・ダミアンは、過去、アニメーション・ドキュメンタリーというジャンルで2本の長編を制作した。外国における不当逮捕に反対しハンストを行った一般人、そしてアフガニスタンでムジャーヒディーン(ジハードを遂行する民兵)となったポーランド人と、ともに、社会体制が生み出す抑圧や欺瞞の果てに自らの人生を賭してそれに抵抗した人々の人生を描いてきた。

 だから、『マロナ』は子供向けの作品として作られつつも、その本質にあるのは社会の告発である。マロナは複数の飼い主のもとを遍歴し、どの人間もそれぞれ自分勝手な理由でマロナを見捨てる。しかし、純真無垢な犬の目から眺められたとき、その飼い主の不幸は彼らが住む社会がもたらすものであること――彼らには不幸になる選択肢しか与えられていないこと――が、次第にわかってくる。飼い主たちの(不)幸せな人生を描くオムニバス的な構造は、社会構造そのものが人の人生を台無しにしているということを、エモーショナルに描き出す。社会のあり方を浮かび上がらせ、告発するのだ。

 今年夏頃の公開を控える『カラミティ』もまた、ある社会の枠組みを浮かび上がらせる。監督はレミ・シャイエ。生前の高畑勲が激賞していた長編デビュー作『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』に続く待望の作品だ。シャイエ監督の作風は、輪郭線のない色面によるドローイング・アニメーションを用い、少女が苦難のなかで自分自身の運命を切り開いていく物語を語るというものである。『ロング・ウェイ・ノース』は、19世紀を舞台に、行方不明の祖父を探して北極探検に乗り出すロシア人少女の奮闘を描くものだったが、本作『カラミティ』は、西部開拓時代のアメリカを舞台に、伝説の女性ガンマンであるカラミティ(疫病神)・ジェーンの子供時代を描く。

 レミ・シャイエの作品が日本で受け入れられているのは、本作の持つ空気感やキャラクターのあり方が、かつてのファミリー向け日本アニメの良質な伝統――たとえば高畑勲が手掛けたテレビシリーズのような――を蘇らせるような感触を持つものであるからかもしれない。

 そんな感触の中で『カラミティ』が描くのは、強い意志が周囲を動かし、社会の姿を変えることができるという、そんなポジティブなエナジーだ。

『カラミティ』:
リアルな表現で話題を集めるレミ・シャイエ監督による最新作で、西部開拓史上、初の女性ガンマンとして知られるマーサの子供時代の物語。家族とともに大規模なコンボイ(旅団)で西に向けて旅を続けるが、マーサは家族の世話をするために少年の服装をすることを決心する。女性は女性らしくという時代にあって、マーサの生き方は、古い慣習を大事にする旅団の面々と軋轢を生む。

■韓国はアニメも必見作揃い

 2010年代後半、アジアからは、ヨーロッパとはまた別種の面白い流れが生まれている。社会性・ドキュメンタリー性を感じさせながらも、それがエンタメとしての強度を上げる方向に活用されている作品群だ。

 その先陣を切ったのは、ヨン・サンホだ。『新感染 ファイナル・エクスプレス』の大ヒットでいまや実写映画監督として著名な彼は、元々は個人制作に近い小規模なCG長編アニメーションで頭角を現してきた存在だ。『豚の王(日本未公開)』『フェイク 我は神なり』『ソウル・ステーション パンデミック』……そのどの作品も、韓国社会が直面する社会的な行き詰まりを毒のあるエンタテインメントに昇華していく骨太の構造を持っており、低予算のCGであるがゆえのぎこちない動きも、その社会のなかでゾンビのように生気をなくした人々の表現として「活きて」いる。

『ソウル・ステーション パンデミック』:

監督ヨン・サンホが実写映画デビューをした、列車内で発生した感染パニックを描く『新感染 ファイナル・エクスプレス』の前日譚となる作品。恋人とケンカし夜のソウルの街をひとりさまようヘスン。その頃、ソウル駅では息絶えた血まみれのホームレスが生き返り、人を襲い出した。襲われた人がゾンビとなり、へスンにも危機が迫る。(DVD発売中)

■美容整形をめぐって繰り広げられるホラー

 今後の公開が期待される韓国作品のなかに、その遺伝子を引き継ぐような作品がある。

 韓国の人気ウェブコミックを原作とする『奇々怪々整形水(日本未公開)』である。本作は、韓国の社会問題のひとつである美容整形をめぐって繰り広げられるグロテスクなホラーだ。身を浸せばまるで粘土のように自分自身の肉を自由に変化させることのできる「美容水」がもたらすホラー表現は、CGアニメーションでなければできないみたことのないものであり、突き抜けすぎて笑うしかないラストも含め、必見の異色作だ。

 いまやメジャーなアニメーション・シーンのなかでも無視できない存在となった中国はもちろん、アジアからは「ポップな」作風の作家たちが羽ばたきはじめている。台湾からは昨年スマッシュ・ヒットとなった『幸福路のチー』のソン・シンイン監督、フィリピンからは 『ニャンてこと!』がネットフリックスで観られるようになったラブ・コメディの名手アヴィッド・リオンゴレン監督も注目しておきたい。

 2010年代以降、映画界について考える上で無視できない存在となった配信プラットフォームは、アニメーション界にも大きな影響を与えている。映画祭やアワードとも合わせて、先鋭的かつ硬派な長編アニメーション作品が生まれ、観られていくための重要なインフラを作っている。

 代表的な存在として、アイルランドのスタジオ「カートゥーン・サルーン」を挙げておきたい。このスタジオの長編作品は、過去4作すべてがアカデミー賞長編アニメーション部門にノミネートしている。その中心的な人物トム・ムーア監督は、共同監督のロス・スチュアートとともに、昨年、Apple TV+の出資により、自身3作目の長編アニメーション作品『ウルフウォーカー』を完成させ、現在、世界中の賞レースを席捲している。

 カートゥーン・サルーンは、ともすると消えてしまいがちな小国の想像力・物語を子供向けのアニメーションというかたちで全世界に密輸していくスタジオである。『ウルフウォーカー』は、イギリス侵略下のアイルランドで繰り広げられる、人間とオオカミとの関係性をめぐる物語だ。ファミリー向け作品としてエンタテインメント性あふれるものでありながら、本作の侵略者と被侵略者の関係性は、アニメーションならではのメタファー性や実に多彩な手法の混交が作り出すきわめて複雑なレイヤーによって、単純な勧善懲悪には堕することなく、現代社会が抱える複雑さ――どの立場にもそれぞれの正義があり、だからこそそれがぶつかりあうこと――を浮き彫りにするものとなっている。

『ウルフウォーカー』:
オオカミハンターを父に持つロビンが、森で出会ったメーヴと交わした約束は父を窮地に陥れるものだった。アイルランドのアニメスタジオ、カートゥーン・サルーンの最新作。監督のトム・ムーアは映像作品で最高権威であるIFTAを受賞している。

■アニメを後押しするミニシアターの役割

『失くした体』は、アニメーション映画としては初めてカンヌの批評家週間でグランプリを獲得し、ネットフリックスが独占配給権を得た。1990年代のパリを舞台に、切断された手がその持ち主を探して街を彷徨うというアニメーションでしか可能でないやり方で(原作は『アメリ』の脚本家ギョーム・ローランによる小説である)、アフリカ系移民の少年と白人の少女のあいだの関係を描く本作は、短編アニメーション作家として長年評価を受けてきたフランスのジェレミー・クラパン監督による初の長編作品だ。

 Blenderというゲーム制作のためのソフトウェアを使い、2Dと3Dを混ぜ合わせたハイブリッド・スタイルで作られた本作は、3Dアニメーションが実写も含む「映画」全体に、新たな表現の可能性をもたらしていることを実感させる。

 現実的な頭身で、解剖学的に正しいプロポーションで描かれるキャラクターたちは、あえて枚数の少ない作画で動き、隙間を感じさせる。その表現の選択が、物語のテーマ――今とは違う可能性の自分へと飛躍しうること――を雄弁に物語る。アニメーションは、表現形式と物語とが一致したときに強力なものとなることを、本作は教えてくれる。

 もうひとつの新たに開かれるアニメーション表現として、ラトビアの若手監督ギンツ・ジルバロディスがたったひとりで作ったCGアニメーション長編『アウェイ』も挙げておきたい(日本では昨年末に公開された)。

 飛行機事故で無人島に不時着した少年が謎の黒い影に追われながら島を横断していくロードムービーである本作は、アニメーションや映画のみならず、映画的なゲーム(日本人では小島秀夫や上田文人らの影響を公言している)からも大きな影響を受けている。ゲーム制作にも使われるデジタル・ソフトウェアを使って制作をするジルバロディス監督は、様々なジャンルの表現がボーダレスに混じり合う次世代の映画の姿をうかがわせる。作品のそのキャッチーさもあり、次作以降でのブレイクが期待される。

『アウェイ』:
ラトビアのギンツ・ジルバロディスが監督・編集・音楽など3年半をかけてひとりで完成させた。飛行機事故で一人生きのびた少年は森で地図を見つけ、オートバイで島を駆け抜ける。全編セリフはなく、美しい映像であふれた本作は高い評価を獲得した。

■配信プラットフォームとの理想的な共存

 これらの先鋭的な作品の受け皿となるのも、日本においてはミニシアターである。配信プラットフォームとの理想的な共存が、ミニシアターという環境を通じて成立しているわけだ。

 ミニシアターの役割として、オルタナティブなかたちで表現の可能性を探り、次世代の表現を先取りしうるものをいち早くピックアップするというものがある。

 いま日々進化しつつある海外アニメーションの世界は、そんなミニシアターの世界の本分に、とても合っているのだ。 

(土居 伸彰/週刊文春出版部 週刊文春CINEMA!)

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