“横浜集団離脱”を救った三浦大輔「全開バリバリ物語」

“横浜集団離脱”を救った三浦大輔「全開バリバリ物語」

三浦大輔 ©文藝春秋

 なかなか阪神、巨人相手に勝てないベイスターズ。しかも内野の要・柴田竜拓に続き倉本寿彦まで戦線離脱の大ピンチ。2人のケガはどちらも防げたんじゃ……と思えるだけに余計に痛いが、せっかく開幕直後のどん底状態から多少持ち直してきたのだ。ここでズルズル行かずねちっこく勝ちを奪いに行きたいところである。

 他チームを見ても坂本勇人の骨折アクシデントや大野雄大のコンディション不良など今季は主力級の離脱が多い気がするし、日本ハムに至っては新型コロナ感染で10選手不在の緊急事態に陥った。コロナ禍のプロ野球で最も恐れていた集団感染によるチーム活動停止、いざ目の当たりにするとやっぱりショックだ。

 のちのち世界的パンデミックを経験するなんて思ってもみなかった頃、わが横浜ベイスターズにも「集団感染事件」が起きたのを覚えている同志はいるだろうか。1996年4月、四半世紀も前の話だが少しお付き合いいただきたい。

■チーム内に病がまん延した季節外れの「風邪」

 前年の95年、22年ぶりの勝率5割以上を達成したチームは、大矢明彦新監督のもと開幕から連敗もカード負け越しもなく首位を快走した。しかし好事魔多し、4月20日頃からチーム内に病がまん延するのだ。季節外れの「風邪」である。この年の4月はなかなか春らしい陽気に恵まれず、横浜も最高気温が20度に届いたのは20日までに1日のみ、最低気温はずっと10度以下で、11〜14日には4日連続で最低気温5度以下を記録する寒空続きの中ナイターを戦った。その結果主力選手がことごとくダウンしてしまう。

 22日に大魔神・佐々木主浩が入院して登録抹消。打撃陣は前年レギュラーの座を掴んだ波留敏夫をはじめ、石井琢朗以外の全員が見舞われたキッツい風邪の猛威。それでも23日からの阪神戦は初戦を鈴木尚典、石井琢、R・ローズ、G・ブラッグス、佐伯貴弘、駒田徳広、谷繁元信、進藤達哉、先発野村弘樹の強力オーダーで先勝したが、2戦目はローズにブラッグス、進藤まで欠場する事態に見舞われてしまう。ついでに言えばベイスターズの内野応援団員も7人中5人が風邪で球場に来れなかったという。

 この試合、ローズ&進藤の穴を川端一彰と永池恭男の若手守備固めコンビが埋め、ブラッグスに代わり畠山準がクリンナップに入った。どうにも見劣りするオーダーだけどそれでも6−2で勝っちゃうのがイケイケベイスターズ。ちなみに先発投手は中継ぎから急遽先発に回った島田直也。その島田が5回2失点でしのぎ、ヒゲ魔人・五十嵐秀樹が4回をゼロに抑え見事佐々木の代役を務めた。98年の鉄壁リリーパーの印象の強い五十嵐だが、95年までは先発陣の一角を占めておりこの年はロングリリーフで投げる機会が多かったのだ。

■救世主のようだった若きエース・三浦大輔

 4月25日の3戦目。先発は前年8勝8敗をマークし、96年の開幕2戦目も託された22歳の三浦大輔である。好調なチームの勢いに乗り三浦自身も開幕2連勝中。なおも鈴木尚、ローズらを欠き、この年限りで退団するベテラン大洋戦士・高橋眞裕が八番二塁を務める中、「風邪で少し痩せた」波留がスタメンに復帰し、怪人ブラッグスも「モウダイジョウブ」と鼻水をすすりながら四番に戻った。この年新婚ホヤホヤ、当時のスポーツ紙風に表現するなら奥さんの手料理パワーで風邪知らずだった若きエースが燃えぬ筈はない。

 三浦大輔の1歳下の筆者と悪友は、この日も寒風吹く中「さみー、さみー」と言いながらスタジアムの内野自由席で初めて三浦のピッチングを目の当たりにしていた。この日の三浦はまさに救世主。3回まで無安打4奪三振、4−0で迎えたその裏二死満塁では走者一掃の二塁打を放つ猛打ぶり。その後も阪神打線を完璧に抑え、6回終了時で被安打0与四球1のノーノーピッチング。そのフォアボールも5回、レフト佐伯がフライを捕る際に阪神ファンから食べかけのカップラーメンを投げつけられる「守備妨害」により試合が中断してリズムが狂ったためだった。前年、同じ横浜で新庄剛志のホームラン性の飛球を阪神応援団の大旗がフェンス際で包み込んでキャッチ、協議の結果二塁打になる事件があったが、当時の外野スタンドは今の数倍荒れていた。

 7回に初安打を許し快挙は逃したものの、三浦は見事158球1失点完投で3勝目を挙げる。先発陣の盛田幸妃と斎藤隆がリリーフで待機する中、「オレに任せろって」とばかりに余裕で投げ切り、風邪っぴき打線の中で4の3、4打点を挙げた男気。我々は「三浦ってすげえなあ」「バンバン打ちに行くし昔の遠藤(一彦)みたいだな」と同世代の次期エースの台頭にワクワクしながら野毛で安酒を飲んだ。

■「“ハマのオートバイ”と呼ばれる三浦にエースの風格」

 翌4月26日のサンケイスポーツはまだ高校生っぽさの残る笑顔でガッツポーズする三浦が一面を飾り、“三浦全快祝い”“虎も風邪もぶっ飛ばす”の見出しが躍った。記事には「オートバイ野郎・三浦を筆頭に若い力がエンジン全開」「“ハマのオートバイ”と呼ばれる三浦にエースの風格」と書かれていたが、我々ファンが三浦大輔をオートバイ野郎と称した覚えはない。ハマの番長と呼ばれるようになったのは少なくとも雑誌フライデーで清原和博の『番長日記』が始まった1997年以降、98年の優勝後だろう。三浦が“番長”になる少し前の過渡期を象徴する表現である。

 96年のベイスターズは4月を15勝6敗の首位で駆け抜けたものの、5〜9月はすべて負け越して結局借金20の5位。三浦大輔も7連敗を喫するなど5勝10敗と不本意な成績に終わった。だがチームも三浦も翌97年から確変状態に入ったのは皆さん知っての通り。96年春の快進撃は、その助走だったのだ。

 47歳になった三浦新監督は今のチーム状況にしんどい思いをしていることだろう。かつての自分のように完投できるピッチャーを、と思っても一朝一夕にはいかないし、作戦はうまくハマらない。ケガ人も多いしチームは未成熟だ。

 だけど四半世紀前から何度も何度もベイスターズを色んな意味で救ってきた男が船頭となって戦っている。96年4月25日、寒空のもと三浦大輔に感じた“意気”を僕はずっと信じていたい。

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(黒田 創)

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