松田、明石、千賀らの入団に携わり…こけしバットの4番打者・山崎賢一さんの今

松田、明石、千賀らの入団に携わり…こけしバットの4番打者・山崎賢一さんの今

2015年ドラフト 山崎賢一スカウトと高橋純平 ©時事通信社

 2年ぶりに開催されている交流戦。

 今夜のホークスは、横浜スタジアムでベイスターズと試合を行う。

 この期間の文春野球コラム対決では「共通テーマ」が設けられ、今回はこのカードでの思い出を書いてほしいとのこと。すなわち「ホークス×ベイスターズ」だ。

■記憶に残る交流戦ならではのシーン

 交流戦猛者のホークスはセ6球団を圧倒してきた。なかでもベイスターズ戦は最も多くの勝ち越しを記録している。一昨年までの対戦成績は40勝17敗2分で、勝率にすると.702にもなる。

 ちなみに、その初対戦は2005年5月24日。舞台は横浜スタジアムだった。あの日のホークスは1番・大村直之がベイスターズ先発の門倉健から初球先頭打者ホームラン。5回にもバックスクリーン弾を放ち1試合2発で勝利の立役者となった。また、先発した杉内俊哉が8回1失点で7勝目。なんと156球も投げていた。

 交流戦ならではのシーンで憶えているのが、2008年の対戦だ。ベイスターズ主催で大分、北九州での2連戦が同年5月28日、29日に行われたのだが、大分ではリック・ガトームソンが、そして北九州では大隣憲司がそれぞれ打席に立ちホームランを放ったのだ。

 ガトームソンの一発にはこんなウラ話がある。5点リードの4回1死からベイスターズのエースの三浦大輔(現ベイスターズ監督)から左翼場外へ大ホームランを放ったのだが、この日はひどい雨模様でいつ試合が中断しても不思議ではなかった。当時の王貞治監督はいち早く試合を成立させるために「三振して帰ってこい」とガトームソンに伝えたのだが、まさかのホームラン。これには王監督もベンチで苦笑いを浮かべていた。ちなみに、試合は7回コールドでホークスが勝利。球団関係者によればグラウンドに撒く砂の在庫が切れたため、どうしようもできずにコールドゲームになったとのことだった。

 そして、ホームランといえば2015年6月3日の横浜スタジアムで生まれた伝説を忘れてはいけない。柳田悠岐のスコアボード破壊弾だ。推定飛距離145メートルの打球が直撃した部分の電光表示が一時的に消えてしまったのだ。

 柳田は「真芯というわけじゃなかったけど、よく飛んでくれた」とコメントして、また周囲を驚かせた。

 もちろん、ホークス×ベイスターズといえば2017年の日本シリーズでの激闘も忘れられない。特に日本一を決めた第6戦でデニス・サファテが3イニングも投げた熱投はすごかったし、川島慶三の日本一決定サヨナラ安打も劇的だった。

■「なんで変なバットを使ってるんだろう?」

 こうして過去を振り返ってみるのも結構楽しい。ベイスターズというキーワードで記憶を辿ると、面白いように色々よみがえってくる。

 思えば、小学生の頃は熊本・藤崎台球場にベイスターズの試合を何度も観に行った。いや、当時は大洋ホエールズだった。80年代後半から90年代前半にかけて巨人と大洋がそれぞれ九州シリーズを毎年のように行っていたのだが、巨人戦はプラチナチケットでまったく手に入らなかった。一方で大洋戦は当日券でも買えたのだ。外野席を子供料金の数百円で購入して、チケットを握りしめて入場する。クスノキの下の日陰部分は先客でいっぱい。芝生席を右往左往して、腰を下ろして、年に一度しかやってこないプロ野球をわくわくしながら見た。今では「野球は仕事」になっているので、正直そんな気持ちを忘れてしまっている。だからこそ、あの頃の大洋はとても懐かしく思えた。

 試合内容も誰が出場していたのかも曖昧だ。しかし、大洋の4番打者のことだけは憶えている。

「なんで変なバットを使ってるんだろう?」「短く握るしホームランも1桁なのに、どうして4番?」

 その選手の名は山崎賢一。

 藤崎台で4番を打った試合は、調べてみると1989年のヤクルト戦だった。今は制度にないドラフト外でプロ入りし、最初の4年間は一軍出場がなかった苦労人。9年目だったこの年に大きく飛躍し打率.309、7本塁打、56打点の成績を残した。オールスターゲームにも出場。この年はベストナインとゴールデングラブ賞にも輝いた。

 何よりも特徴的だったのは「こけしバット」。グリップエンドが極端に大きく、こけしの頭のような形をしたバットだ。その重量は1キロを超えていたという。

 まさに個性たっぷりの野球選手。子供心をくすぐられたというわけだ。

 その山崎選手。じつは現役の晩年はダイエーホークスで1994年から3年間プレーし計167試合に出場していた。そして1996年に現役引退した。

■今はホークスで大ベテランのスカウトに

 あの人は今――。

 じつは25年前にホークスで引退をした山崎さんは、それからずっとホークスに籍を置いている。スカウトに転身。1998年シーズンは二軍打撃コーチを務めたが、1年限りでスカウトに戻り、今もその道を歩み続けている。

 大ベテランのスカウトだ。山崎スカウトが惚れ込み、それが縁となってホークスのユニフォームを着ることになった選手はもちろん大勢いる。

 いまの現役選手でも松田宣浩、明石健志、千賀滉大、森唯斗、高橋純平のホークス入団に携わってきた。現在は中四国地区の担当をしており、2年前のドラフト1位の佐藤直樹(JR西日本)やその前年のドラフト2位の杉山一樹(三菱重工広島)も担当選手だ。

 以前に、ホークス球団公式サイトの企画で「スカウト座談会」が行われ、その進行役を務めたことがある。スカウト業の本音が垣間見えて非常に面白かった。

 その中で山崎スカウトに「選手のどこを見ますか?」と問うと「ビビッとですよ」と笑って答えてくれた。説明のしようがない直感が働くのだという。

 ちなみに山崎スカウト。一見ちょっと強面だ。大洋時代のニックネームはなんと「番長」だったらしく、ベイスターズ現監督は2代目だったのだ。しかし、非常に生真面目で妥協を許さない性格として周囲からは一目置かれていた。スカウト業でもこんな逸話を話してくれた。

「一番印象に残っている選手は寺原隼人投手でした。とにかく毎日のようにグラウンドに通いました」

 甲子園で158キロの剛速球を投げてドラフトの目玉となった寺原のもとには、当時のダイエーのほかに巨人、中日、横浜のスカウトも訪れていた。現在ホークス九州担当の岩井隆之スカウトはその頃は横浜スカウトとして寺原に注目していたのだが、「いつグラウンドを訪ねても山崎スカウトはいました」と振り返る。「山崎さん、『毎日いるの?』って声を掛けても『ん? うーん、そうですね〜』とはぐらかすんです(笑)」。その言葉を受けた山崎スカウトは「あの年は日南に200泊はしたかもしれませんね」と豪快に笑っていた。

 スカウト業に就いたときに目標としたのが、寝業師とまで呼ばれた根本陸夫氏だった。「根本さんに一歩でもいいから近づきたい。根本さんのような人脈といっても、どうすれば広がるのか。近道はないと思うが、自分を偽らず、正直に自分のキャラクターを出して理解してもらうしかない」と現役引退時にスポーツ新聞の取材に対して答えていた。

 今夜、自身もプレーした横浜スタジアムで、想いを込めて獲得に尽力した鷹ナインたちが力一杯にグラウンドで輝きを放つ。山崎スカウトはどんな気持ちでそれを見つめるだろうか。

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(田尻 耕太郎)

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