複数人で家に押し入り、銃とナイフで女性を拉致…米兵による性暴力の嵐が吹き荒れていた沖縄の“生々しすぎる現実”

複数人で家に押し入り、銃とナイフで女性を拉致…米兵による性暴力の嵐が吹き荒れていた沖縄の“生々しすぎる現実”

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月収300万円もあった時代からスーパーで残飯を拾って食べる生活に…沖縄の“売春街”で働いた女性の“哀しすぎる証言”とは から続く

 2010年代初め、「沖縄の恥部」とまで言われた売春街が、浄化運動によって消滅した。その街は、戦後間もなく駐留する米兵たちによる性犯罪や性病の蔓延を緩和するための色街だったという。しかし、沖縄には米兵による凄惨な性犯罪の記録が数多く残されている……。

 ここではノンフィクションライターの藤井誠二氏の著書『 沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち 』(集英社文庫)の一部を抜粋。元那覇市議で、沖縄の米兵の性犯罪を告発し続けてきた高里鈴代氏へのインタビューのもようを紹介する。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

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■「兵士はむしろ町中で自由に誰か襲う相手を見つけています」

 私は今回の取材をスタートさせた当初(編集部注:2010年末頃)に高里の事務所を訪ねて、米兵による性暴力の嵐が吹き荒れていた時代の空気と状況をさらに生々しく知るためにインタビューを試みた。白髪の凜とした佇まい。高里は私の取材動機を一通り聞くと、米兵性犯罪のリストもふくめ、膨大な資料の中からいくつもの書類を手渡してくれた。高里の言葉とそれらの資料は、その先の私の取材活動の一つの道しるべとなった。

──高里さんたちが作成された記録を読むと、米兵による目を覆いたくなるような性犯罪が毎日のように起きていたことがわかりますが、大半は「容疑者不明」となっていますね。

「容疑者不明となっているのは、犯人は私たちでは知り得ないということです。米兵が住民の生活圏の中に入ってくるわけです。そうすると部落の入り口で鐘(酸素ボンベ)を叩いて、米兵が来たと叫んで住民たちは逃げるとか、そういう時期もありました。占領直後の時期は銃とナイフで女性を拉致したんです。しかも2人とか、時には6人とかの集団で土足で家の中に入ってきた。住民は自衛手段を講じて、米兵が地域に入ってくることを物理的に食い止めようとしました。

 現在、沖縄駐留の兵士の数はベトナム戦争の時などよりは少ないですが、今は兵士はむしろ町中で自由に誰か襲う相手を見つけています。売春防止法ができて、売春は違法だと決まりましたと言ったところで、米兵の行動や欲求はまったく変わらない。1980年代に入った頃から沖縄の中高生を騙して基地の中に連れ込むという事件が起こるようになったんです。ある時期からは、沖縄市のディスコがファーストドリンクは無料となり、米兵たちは最初のビール1杯を無料で飲みにくるようになりました。そうすると、彼ら目当ての観光客の女性たちも来るので、米兵は客寄せにも使われるわけです。そして米兵はそこで相手を見つける」

■真栄原新町の女性は借金でがんじがらめ

──沖縄で売春に従事する女性についてもうかがいたいんですが、真栄原新町など、近年は米兵相手ではなく、沖縄の男性や観光客相手に商売を成り立たせるようになっていたと聞きます。

「真栄原新町で働いている女性が言うには、お相撲さんも来た、芸能人の誰も来た、彼も来たって。みんな同じホテルの傘を持って来たということもあるそうです。真栄原新町は一時サラ金がものすごく問題になりました。サラ金規制法が改正されて悪質な取り立てが規制されるようになりましたが、それでもあの界隈にはまさに悪質な金融業者が入っていたんです。経営者が直接おカネを貸すと『管理売春』になってしまうから、売春防止法を巧妙にかわすために、経営者は直接貸金はしない。女の子はおカネに困って真栄原新町に行くわけだから、その時に経営者は女の子に金融業者を紹介する。するとその女の子は100日がけの借金をして、業者は毎日、回収に回るんです。私は女性の相談を受けているからわかりますが、100日がけというのは、たとえば1日3000円を100日で返すように組まれたカードがあって、支払済の小さな印鑑を押していくんです。

 それが、今日は3000円を返せた、ところが翌日は雨が降ってお客も少なくて3000円を返せなかった、そうすると翌日は6000円になる。その次も具合が悪くて休んだら9000円になるんです。だんだん貯まっていくと、また貸してあげるよと金融業者が声をかけて、さらに借金が増えるという構造です。真栄原新町の女性は借金でがんじがらめです。しかも貸すのは金融業者なのでお店の人は保証人になるんです」

──事実上の悪質な管理売春がまかり通っていたということですね。

「そうです。ある時、真栄原新町で倒れた女性がいて、その人を病院に見舞いに行ったら、病室にいない。どうしたかと思ってさがしたらトイレにいたんですが、借金があるから病院を出て新町に帰らなきゃいけないと言う。街は一見、すごく華やかに見えますが、実態は凄まじい。真栄原新町へ小学校6年の子が連れて行かれた事件が起きたとき、私たちが救出に関わった経験があります。その店に警察の捜索が入るまで、店から経営者が逃げてしまわないように私たちが監視したんです」

■街の奥底に横たわる、獣のような性犯罪

──売買春地域をつくり、一般女性や子どもを米兵の性暴力から守るという、終戦直後から喧伝された「性の防波堤論」がありますよね。それが今でも地縛霊のように沖縄社会を縛っていて、新町がなくなると米軍の性犯罪が増えるのではないかという意見をあちこちで私は聞きました。それをどう思われますか?

「当時は、戦争で家を焼かれ、住むところも食べるものもなく、沖縄戦で男の数は3分の1にまで減少してしまう中で、生きる手段として売春をせざるを得なかった女性が大半だったと思います。だから一般の女性たちを米軍の凄まじい性暴力から守るために、一部の女性を防波堤にしようという発想が生まれたのです。性の防波堤にされた女性たちの大半は、生きる手段として売春をせざるを得なかったのです。買春は暴力ですから、新町がなくなることはいいことだと思います。性の防波堤としての機能はまったくといっていいほど果たされてこなかったのではないでしょうか。1995年に起きた女子小学生強姦事件(編集部注:米兵3名が女子小学生を拉致し、集団強姦した強姦致傷および逮捕監禁事件)の犯人の米兵たちは、『売春街に行こうか』『あそこは薄暗くて汚くて、自分の貧しい子ども時代を思い出すからいやだ』と会話していることがわかっています。それに、復帰前も復帰後も新聞記事に載っただけでも膨大な米兵の強姦事件がありますから、売春街がなくなると米軍犯罪が増えるのではないかという懸念はまちがっている」

 高里は、「性の防波堤」どころか、逆に性犯罪を誘発しているのではないかという指摘をした。1995年の米兵による小学生暴行事件の加害者の心理に、売春街のネガティブなイメージが影を落としていたとは知らなかった。

 高里の主張は買春は暴力であるという視点で一貫している。沖縄の戦後を「生き延びた」特飲街は、その暴力が行使される場であったのだから、なくなることはいいことだと断言した。2000年以降数年間の官民一体となった運動によってこの街はあっけなく消えたが、それらの街の歴史の奥底に、獣のような米兵による性犯罪が横たわり続けたことは間違いない。それは実は現在も途絶えることがないのである。それを記録し、告発し続けた高里らの地道な活動がなければ、いまだ終わらぬ「レイプの軍隊」の実態がクローズアップされることはなかっただろう。

(藤井 誠二)

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