「神のお告げ」グリーンウェル、「浅草観光」ミセリ…プロ野球界の記憶に残る“トホホ助っ人”列伝

「神のお告げ」グリーンウェル、「浅草観光」ミセリ…プロ野球界の記憶に残る“トホホ助っ人”列伝

バースら華々しく活躍した助っ人の陰には数々のドラマが…… ©?文藝春秋

 オリンピックを前に「海外選手の来日」がクローズアップされる昨今。異国の地で開催される大会で実力を発揮する難しさは、もしかしたらプロ野球界が一番よく分かっているのかもしれない。「助っ人選手」の活躍が各チームの命運を握っているからだ。

 1936年に日本プロ野球が始まった時点で「外国人選手」は存在していた。そもそも野球はアメリカ由来のスポーツだから、外国人選手がいるのは自然なことだった。以来、85年、日本とアメリカが戦争していた時代も含めて、外国人選手が日本プロ野球から消えることはなかった。

 三冠王を取ったランディ・バース、ブーマー・ウェルズなど成功した外国人選手もたくさんいるが、その陰で鳴かず飛ばずの「トホホ」な外国人選手もたくさんいた。外国人選手は1000人を超えているが「トホホ」な外国人の方がはるかに多い。今回はそんな「トホホ助っ人列伝」だ。

■「アキレス腱痛で欠場」したのに六本木のディスコで踊りまくっていた男

 ジョー・ペピトーンはヤンキースで一時期は「ミッキー・マントルの後継者」と言われた外野手。ゴールドグラブを3回受賞。めっぽう勝負強く7本の満塁本塁打を打った。ヤクルトは1973年、このペピトーンの獲得を発表した。

 しかし球団は、もう少し彼の身辺調査をすべきだっただろう。王貞治と同じ1940年にニューヨークのブルックリンで生まれた都会っ子のペピトーンは若い頃から「野球よりもナイトライフに情熱的」と言われ、大きな負債も持っていた。また乱闘騒ぎをしばしば起こした。

 1973年6月に来日したペピトーンは23日の巨人戦で一塁手として出場し新浦壽夫から決勝タイムリーという上々のデビュー。28日の広島戦では外木場義郎から初本塁打。球団は喜んで6月30日の中日とのダブルヘッダーを「ペピトーンデー」にするが、当のペピトーンは第1試合で4タコに終わると2試合目を前に球場を後にし、アメリカに帰ってしまった。

 球団職員が問いただすと「離婚裁判がある。終わったら帰ってくる」とのこと。8月に帰ってきたが、今度はアキレス腱が痛いと言って欠場。しかし六本木のディスコで踊りまくっているのを発見され、評判は地に落ちた。2年契約だったが1年目はわずか14試合の出場、2年目は結局来日せず。

 ペピトーンは引退後も薬物騒動や暴力事件を起こしている。アメリカのMLB選手データベースには「日本では“最悪の外国人選手”と言われている」と記されている。

■「明日は先発だ」「任せておけ」…で、球場に来なかった男

 前評判がほとんどないまま来日し、活躍せずに消えた「トホホ外国人」は枚挙にいとまがないが、1974年4月に入団したバル・スノーほど「何もしなかった」選手は珍しい。

 スノーは1966年、67年とメッツ、インディアンス傘下のマイナーで投手としてプレーしたが通算2勝10敗、防御率6点台。来日当時は大学野球部のコーチをしていたとのことだが、日本ハムのテストで合格。中西太新監督以下首脳陣の期待は高く、何とエース背番号の「18」をもらった。二軍で調整を続け杉山悟二軍監督が「明日は、二軍戦で先発してもらう」と告げると、スノーは「任せておいてくれ」と力強く答えたが、翌日球場には姿を現さず。

 1か月目の給料をもらっただけで、姿を消してしまった。スノーは公式記録を一切残すことなく、まさに「雪のように」消えてしまったわけだ。

■阪神球団史上最高額! 満を持してやってきたグリーンウェル

 トホホ外国人といえば「阪神タイガース」の話題が多い。筆者が思うに、これは「ランディ・バースの呪縛」だと思う。1985、86年と2年連続で三冠王を獲得し、チームの21年ぶりの優勝にも貢献したこの選手の印象があまりにも強烈で、ファンの「外国人選手」の期待度のハードルが跳ね上がってしまったのだ。阪神ファンが失望し、罵声を浴びせた選手を見ていこう。

 バースが阪神を去って6年。1994年、MLB通算226本塁打のロブ・ディアーが阪神にやってきた。三振かホームランかの荒い打者ではあったが、高知県安芸の春季キャンプでは特大の一発を左中間に叩き込んだ。驚いた球団は急遽、左翼外野席の奥にネットを張った。ファンはこれを「ディアーネット」と呼んだが、いざ開幕してみるとバットにボールが当たらず三振の山を築き、結局70試合で8本塁打。三振数は試合数を上回る76を記録して1年で退団した。

 3年後の1997年。次こそはと満を持して阪神に来たのが、マイク・グリーンウェルだった。

 レッドソックス生え抜きの外野手としてオールスター2回出場、通算打率.303という成績を引っ提げて来日。200万ドルの3年契約は当時、阪神球団史上最高額だった。

 しかし安芸キャンプの施設が気に入らなかったようで、わずか10日で「背中に痛みが走った」と帰国。

 4月30日に再来日し、5月3日の広島戦で2安打2打点、続く4日も2安打2打点と活躍し、吉田義男監督らを安堵させたが、10日の東京ドームの巨人戦で自打球を当てて右足甲を骨折。グリーンウェルは「これは“野球から身を引け”という神のお告げかもしれない」と言い出した。球団は慰留したが、聞き入れず14日に引退記者会見が行われた。

 実はグリーンウェルはアメリカでアミューズメントパーク事業を始めていて、春先の帰国はその打ち合わせのためだったという説もある。出場わずか7試合。200万ドルの年俸は返還されなかった。

 その後も受難は続く。2009年、レンジャーズの中軸を打ち、メジャー通算89本塁打の実績を引っ提げて来日したケビン・メンチ。2006年には右打者としては史上初となる7試合連続本塁打の快挙を達成し、一躍脚光を浴びた男だった。

 ところが、開幕戦にスタメン出場したものの無安打。その後も調子が上がらず、15試合0本塁打、打率.148と散々な記録に終わった。まじめな人柄で、打てないとなると一塁にヘッドスライディングするなど必死のプレーを続けたことは、ファンにとってせめてもの救いだったのかもしれない。そり上げた頭で少なくとも威圧感はバッチリだった。

 春先、阪神には毎年のように「バースの再来」がやってくるが、シーズンが始まるといつの間にか消えてしまう。「バースの亡霊」の存在感は今も大きい。

■「巨人のクローザー」を期待されたミセリ

 21世紀にはいると、「大物来日」が加速。日本のMLBファンも良く知っている選手の入団が相次いだ。

 そのひとり、ダン・ミセリは9球団を渡り歩いた「ジャーニーマン」。2003年には4球団でプレーしたタフな救援投手で、巨人がクローザーとして期待して2004年のオフに契約した。ただ、2005年2月に来日したミセリを見て「写真よりも太っている」と感じた関係者もいたようだ。春季キャンプでも、ミセリのセットポジションは「日本ではボークになる」と指摘された。思えば暗雲は早くから立ちこめていた。

 そして迎えた広島との開幕戦、2-1とリードした9回表にミセリは初登板。3番嶋重宣は初球に手を出して左飛。「なんだやれるじゃないか」と堀内監督以下ベンチは胸をなでおろしたが、ミセリがこの日取ったアウトはこれだけ。続くラロッカが同点本塁打、ミセリは自責点3で負け投手に。

 その後3試合に投げるも、まさに「出れば打たれる」状態で防御率は実に23.63。挙句にミセリは右肩痛を訴えたが「同意なしに二軍降格できない」という契約を結んでいたため、球団は困惑し4月19日に解雇が決まる。放出されたミセリは浅草で人力車に乗ったことが報じられ、さらに顰蹙を買った。

 アメリカ帰国後「俺は引退するはずだったんだ」と語ったミセリだったが、6月にはロッキーズでメジャー復帰。2008年春まで現役だった。プレーした球団だけでなく本人の気持ちもよく変わったようだ。

■「四球のギリシャ神」の「ユークは何しにニッポンへ?」

 同じ頃、マイケル・ルイス著「マネー・ボール」が2004年のベストセラーになった。アスレチックスのビリー・ビーンGMが、年俸は安いが出塁率の高い選手を起用してチームを優勝に導く話だ。

 この本の中で、レッドソックスのケビン・ユーキリスは「四球のギリシャ神」と称えられた。2007年、松坂大輔がレッドソックスに移籍すると、好守、好打で松坂を支える頼もしいチームメイトとして日本でも人気になった。

 楽天の三木谷浩史オーナーは、ハーバード大学大学院修了。地元ボストン・レッドソックスの熱烈なファンで、イーグルスのチームカラーもレッドソックスと同じクリムゾンレッドにしたくらいだ。

 2013年オフにFAになると楽天はさっそくユーキリスを獲得。MLBファンは熱狂したが、ユーキリスは腰部の故障が悪化しまともにプレーできる状態ではなかった。西武の菊池雄星から本塁打を打ったが、5月に足の故障で戦線離脱しアメリカに帰国。そのまま引退してしまった。年俸は3億だったが出場は21試合にとどまった。

 愛称はユーク。人気番組に引っ掛けて「ユークは何しにニッポンへ?」と揶揄された。本人はいたって誠実な性格だったが、残念な結果に終わってしまった。

■「メジャー通算何本塁打」という触れ込み

 もはや日本のファンは「メジャー通算何本塁打」という触れ込みはほとんど信用していないのではないか? MLBでいくら実績があっても、NPBで通用するかどうかは別の話だ。

 巨人のゼラス・ウィーラーはMLBではたった2本塁打しか打っていないが、楽天に入団するとはつらつとした動きで外国人初の副キャプテンに選ばれた。昨年、巨人に移籍。今季はテームズ、スモークという大物外国人の入団で控えに回る予定だったが、テームズの負傷でチャンスが回ってくると、驚異的な打棒で今や打線の中心となっている。

 タイムリーを打てば大喜びし、外野でも内野でも一生懸命のプレーを見せる。どの球場でも彼への拍手はひときわ大きい。

「置かれた場所で咲きなさい」と言う言葉はウィーラーのためにあるようだ。彼の活躍は、我々に、仕事をする上で一番大事なものは何なのかを教えてくれる。

(広尾 晃)

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