「1、2、3…曲がれ!」社会現象になった超能力ブーム…異常な熱気を生み出したTV各局の“オカルト倫理観”を振り返る

「1、2、3…曲がれ!」社会現象になった超能力ブーム…異常な熱気を生み出したTV各局の“オカルト倫理観”を振り返る

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 1973年、ユリ・ゲラーの登場によって火が付いた超能力ブーム。異常なほどの熱狂はなぜ生まれ、どのように世間から忘れられていったのか……。

 ここではメディアと宗教をテーマに研究活動を続ける高橋直子氏の著書『 オカルト番組はなぜ消えたのか 超能力からスピリチュアルまでのメディア分析 』(青弓社)の一部を抜粋。超能力がどのようにメディアに取り上げられてきたのかを振り返り、ブームの盛衰について考える。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

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■空前の超能力ブーム

 超能力ブームといわれた社会現象をテレビ番組の展開から描出してみると、次のようになる。まず、ブームの火付け役になったユリ・ゲラーが日本のテレビ取材に初めて応じたのは、1973年12月214日放送の『11PM』である(*1)。ディレクター(矢追純一)の面前で金属製品(パイプ用コンパニオン)を曲げ、切断してみせた。翌74年2月、初来日。この間、1月24日放送の『13時ショー』「スクープ!超能力少年日本で発見」に関口淳(当時11歳)が出演し、スプーン曲げを披露していた(*2)。2月25日、『11PM』にユリ・ゲラー生出演。司会の大橋巨泉やアシスタントの松岡きっこの前でスプーン曲げを実演し、関口少年と対面する(*3)。翌日、ユリ・ゲラーは日本を去る。

*1 ユリ・ゲラーが日本で放映されたテレビ番組に登場したのは、これより少しさかのぼる。関口少年は、12月上旬に放送された『まんがジョッキー』(日本テレビ)でユリ・ゲラーのスプーン曲げを知り、真似してみたという(?田司雄「メディアと科学の〈聖戦〉――1974年の超能力論争」、2006年、青弓社『オカルトの帝国』所収、267ページ)。

*2 ?田司雄は「淳は人柱なのかも知れない!?“超能力”関口少年父親の手記」(読売新聞社編「週刊読売」1974年5月4日増大号、読売新聞社)、関口甫「超能力者を息子に持てば」(文藝春秋編「文藝春秋」1974年6月号、文藝春秋)、「科学万能主義への警鐘」(潮出版社編「潮」1974年6月号、潮出版社)をもとに、関口少年が超能力少年となる経緯を整理している。以下、『13時ショー』(NET)出演に至るまでを引用する。

「少年が最初に指で曲がったティー・スプーンを父親のところに持ってきたのは1973年12月中旬頃のことで、ユリ・ゲラーが11月24日、ロンドンのテレビに出演したときに9歳の女の子もスプーンを曲げたのを12月上旬、NTVの“まんがジョッキー”という子ども向けのテレビで見て、真似をしたらしいという。12月24日、ユリ・ゲラーを紹介した『11PM』を家族で見て翌25日、1家揃ってスプーンをこするが、そのときは誰も曲がらなかった。しかし、翌年1月5日、長野の斑尾高原スキー場から帰ってきて再び一家揃ってスプーンをこすると、「ママ、気持ち悪いよ、曲がったよ!?」と90度以上大きく曲がったスプーンを淳少年が見せた。1月6日、デザート・スプーンを曲げ、1月7日、さらに切断にも成功。1月21日、『13時ショー』(NET)に出演してスプーン曲げを披露」(?田司雄「メディアと科学の〈聖戦〉」267ページ)

*3 この日、関口少年は昼に『13時ショー』に出演、そして夜に『11PM』でユリ・ゲラーと対面するという活躍ぶりだった(?田司雄「メディアと科学の〈聖戦〉」268ページ)。

 続いて、1974年3月7日午後7時30分、日本テレビで『木曜スペシャル』「驚異の超能力!!世紀の念力男ユリ・ゲラーが奇蹟を起す!」が放送される。番組前半は離日前の公開録画で、ユリ・ゲラーがフォークを曲げてみせた。彼は念力を発揮するのに、観客や視聴者に助力を求める。「さあ、みなさん。僕に力を貸してください」「テレビを見ているみなさんも、僕と一緒に念じてください…曲がれ…と!」「1、2、3…曲がれ!」――こうしたパフォーマンスに、テレビの前の視聴者は引き込まれた。後半はカナダのトロントからの生中継で、彼は日本に念力を送るという。視聴者はスプーンや動かなくなった時計を手にするよう促される。スタジオにはスプーンを手に念じる司会者とゲスト、視聴者からの電話を受ける一群の女性スタッフ――すると、司会の三木鮎郎の止まっていた古時計が動きだし、視聴者から「うちのスプーンが曲がった」「止まっていた時計が再び時を刻み始めた」などの電話が相次いだ。「当夜だけで1万件の電話があり、局の電話交換機が焼けただれたという(*4)」

*4 東京ニュース通信社『テレビ60年』(東京ニュースムック)、東京ニュース通信社、2012年、160―161ページ。なお、視聴者からの電話の件数1万件は誇張と思われるが、「電話線が焼けただれた」などとともに、決まり文句の一つになっている。

 以降、超能力番組を列記すると、同年4月1日『アフタヌーンショー』(NET)で「スプーン曲げ超能力を徹底解剖!」。4月4日『木曜スペシャル』で「特集!!驚異の超能力・ユリ・ゲラーのすべて」。今度は北欧(ヘルシンキ)からテレパシーを送り、ブラウン管を通して再び奇跡を起こす。4月8日『アフタヌーンショー』で「超霊!ヒミコが日本の謎を語る」。4月11日『アフタヌーンショー』で「火花散る超能力!女武道家の対決」。同日『奥さん!2時です』(東京12チャンネル)で「スプーン曲げ超能力少年新実験に挑む」。4月13日『朝のティーサロン』(TBS)に関口少年が出演してスプーンを曲げる。4月15日『アフタヌーンショー』で「生か死か!これが密教超能力」。4月18日『奥さん!2時です』で「都はるみもアッ!?と驚く念力刀」。4月26日『ミセスのタウン情報』(NET)で「超能力に挑戦!」。4月29日『アフタヌーンショー』で「無限記憶術」。同日『奥さん!2時です』で「超能力チビッ子集合!!」。5月3日『3時にあいましょう』(TBS)で「対決!超能力対天才少年」。5月4日『土曜奥様ショー』(NET)で「超能力!?チビッ子腕くらべ大会」。5月5日『NOW ヒットパレード』(日本テレビ)で「超能力コーナー」がレギュラー化。5月6日『小川宏ショー』で「現代のミステリー」超能力実験や円盤目撃者が取材される。同日『3時のあなた』(フジテレビ)で関口少年がスプーン曲げ。『アフタヌーンショー』で「霊犬、霊鳥の超能力を探る」。『奥さん!2時です』で「超能力のヒミツを探る」(*5)。

*5 東京ニュース通信社『テレビ60年』(東京ニュースムック)、東京ニュース通信社、2012年、160―161ページ

 超能力ブームをテレビ番組で追ってみると、4月から5月初旬(ゴールデンウィーク)がブームの最盛期だったと看取できる。超能力への関心が社会的話題となった4月から5月上旬、ワイドショーは3日にあげず超能力を出し物としていた。

■ブームの過熱と収束

 超能力番組への批判は、4月初旬から新聞紙面に見いだされる。4月6日付「読売新聞」に掲載された囲み記事は、石川雅章からの手紙を紹介しながら、子どもたちが超能力者に祭り上げられる状況に対する懸念を示す。

〈「私にもできます」「うちの子だって…」といった種類の電話は、新聞社にも数多い。念力少年・関口淳くんも出演した4日夜の日本テレビ特集番組を見ていたら、この番組についての電話お断りというテロップが流れたから、テレビ局にはもっと激しいのだろう。そして目下、超能力のスターには、なぜかチビッ子が多い。(略)少年や少女はこれらの不思議をメルヘン的興味で受け取り、自らも試みるわけだが、たまたまその“冒険”に成功したように見えると、金のタマゴのように目をつけた大人たちが、少年少女の一生を狂わせることにならないか……。戦前、山田喬樹という男は娘をテレパシー(暗号によるアテモノ奇術、と石川氏は言う)の霊能少女に仕立て、9歳から15歳までの大切な少女期の彼女を、生き神さまとして御簾(みす)の中に閉じ込めた。そしてぜいたくな暮らしをしていた山田が昭和12年7月に福岡県で愛妾(あいしょう)と共にサギ罪で捕えられた時、娘の方は「これでようやく人間に戻れました」と喜んだ。これは当時、大きく報道された事件だったらしい。これは極端な例にしても、やはりテレビに登場した某少年のところには、身の上相談的な客が日に何十人か押しかけているという。石川氏の指摘する危険性なしとしない(*6)。

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*6 「読売新聞」1974年4月6日付夕刊〉

■朝日新聞は「イワシの頭も信心だから…」

 また、4月20日付「朝日新聞」「天声人語」は、「イワシの頭も信心だから、大騒ぎしている人に水をさすのもどうかと思うが、ばかばかしい話としか言いようがない」と、次のように論じた。

〈「科学で解けぬ奇跡」と麗々しい触れ込みで、テレビは視聴率を上げる。本気でそう信じているのなら困ったことだし、そうでないなら無責任な話である。手品師が「タネも仕掛けもありません」と口上よろしく、シルクハットからハトや金魚ばちを出すのも不思議なことだが、だれもこれを「超能力」とは思わない。タネがあるのを知っているからだ。ただそれを見破れないから手品師は商売になる。「超能力」のタネが見破れないのは手品と同じだろうが、それに「奇跡」やら「神秘」やらともっともらしい言葉をつける。トリックさえトリックして、集団催眠術にかけようとするところがなんともいただけぬ(*7)。

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*7 「天声人語」「朝日新聞」1974年4月20日付朝刊〉

 およそ1カ月後、5月16日付「朝日新聞」「天声人語」は再び超能力ブームに言及するが、そのなかで「先日、このコラムで『手品を超能力だと称するところがいただけぬ』と書いたら、たくさんの投書をいただいた。ほとんど全部が『科学盲信の独断だ』という反論だった(*8)」と明かしている。超能力を率直に否定する言説に対して、受け手(読者)が反発を示すマスコミュニケーション状況があったことがうかがえる。

*8 「天声人語」「朝日新聞」1974年5月16日付朝刊

 以下は、「週刊文春」1974年6月10日号にある記事の冒頭である。

〈 超能力を信ぜざる者は人にあらず、から一転して、スプーンを曲げるなどといおうものなら、白い目で見られかねまじき雰囲気だが、この一大キャンペーンの先頭に立つのが大朝日。その威力のほどをまざまざとみたり、といいたいところ(*9)。

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*9 文藝春秋編「週刊文春」1974年6月10日号、文藝春秋、148ページ〉

 超能力ブームは、「超能力を信ぜざる者は人にあらず」という空気が醸成されるほど過熱したが、「週刊朝日」1974年5月24日号(朝日新聞社)が関口少年のスプーン曲げのトリックを捉えた写真を掲載、「衝撃スクープ」「科学的テストで遂にボロが出た!」「“超能力ブーム”に終止符」と報じると、ブームは一転する。「週刊朝日」のスクープ以降、超能力ブームは急速に下火になって収束する。

■自粛した局と続けた局

 以下は、東京・大阪の二局が超能力番組の自粛を決めたことを報じる1974年5月23日付「朝日新聞」の記事(リードを除く本文)である。超能力番組に対して当時なされた批判の要点を把握できる内容なので、長くなるが、全文を引用する。

〈 自粛を決めたのは大阪の毎日放送で、このほどNETなどネット局にも配慮を求める申し入れをした。大阪府教委から「スプーン曲げには、トリックを使っている子どもがおり、テレビで取り上げるのには教育上問題がある」との申し入れがあったからだという。

 TBSも「局員を拘束してはいないが、新しい事実が出ない限り放送しない」という。同局の宇田テレビ本部長は「もともと民間放送連盟がつくった“放送基準”103条で心霊など、科学を否定するものは扱わないことになっている。手元が映ると念力が出ないなど、超能力者を自称する人たちの撮影条件を受け入れた形で番組を構成すると、どう解説してみても、テレビ局が超能力演出の片棒をかついだとみられるからだ」という。

 しかし、これまでたびたび超能力番組をやってきた日本テレビは、さる20日の記者会見で「番組としてはとにかくおもしろいんだから、これからも続ける。科学でも証明できないことはいくらでもある」と動じない。

 超能力番組が多くなったのは昨年秋ごろからで、はじめは外国の超能力実演をフィルムで紹介する形で始まった。その後、外国の超能力者の一人といわれるユリ・ゲラーのスプーン曲げを放送したところ「私もスプーンが曲がる」という人が大量に現れ、ブームが頂点になった。

 各局は、こうしたスプーンを曲げられる少年少女たちを番組に出演させた。しかし、もともとスプーンは手で曲げることができることや、この“超能力者”たちは「視線が直接当たると力が出ない」などと、さまざまな条件を付けるため、本当に念力で曲がったかどうかはとても証明できない。このため超能力か、そうでないかは曖昧なままで、子ども番組やワイドショーが競って超能力番組をつくり、20数回出演したという超能力タレントまで現れた。

 あるテレビ局のプロデューサーは「インチキ超能力者が多かった。科学では理解できない現象も目撃したが、なにしろ“自分だけの空間をつくってほしい”という彼らの要求を入れると、直接目で見ることができないため、どうしてそのような現象が起きるかは解明できるはずがない。出演した子どもたちがみんなウソつきとは思えないし、むしろ自己催眠にかかって、力で曲げていたように思う」という。〉

〈 23日、渋谷などの街頭で1500枚のビラ配りをする「超能力番組を告発する会(*10)」(仮称)は、「あいまいなものが、テレビを通じると、いかにも真実になってしまう魔性」を問題にしている。このグループは若手のアングラ映画制作者らが発起人となったもので、26日午後8時から、東京渋谷区桜ケ丘三丁目の「ポーリエ・フォルト」で超能力番組を考える討論会を開く。

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*10 超能力番組を告発する会の発起人は7人(記事に後出する伊東の友人や彼が経営するスナックの常連たち)。会の発端について、発起人の一人(和田稔)は、次のように話す。「売りコトバに買いコトバですよ。スナックで超能力番組が話題になっていて、7人の仲間もそれぞれ半信半疑。それに対して店にくるある客が「あれはウソに決ってる」というんだね。「テレビでウソを流すというのに腹が立つなら、実際に抗議したらいいじゃないか」というんで、よし、それならっていうことになったんですよ。若さ、いやバカさかな」「田中政府よりだれしもテレビの方が信じられますよねえ。ボクらだって、テレビがあんなに不確実とは思わなかった。だからこの会で、テレビを信じきっている人たちに、テレビの問題の多い体質を気づいてもらえば、それでいい」。彼らは最初、民事訴訟に持ち込もうと、知人である「朝日新聞」の記者に相談した。訴訟は困難と断念したが、相談に乗った記者が運動を起こすという彼らを記事にしたため、「超能力番組を告発する会」(仮称。正式名称は「メディアを考える会」となる)は、誕生と同時に社会に知られる存在になった(同誌149ページ)。

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 会の発起人の一人、伊東哲男さん(25)は「超能力を信じる人がけしからんなどとはいえない。しかし、一連の超能力番組は、実体が不明確なものを、視聴率がいいからと、いかにも本当らしく見せ、テレビの性格を巧みに使った手品の疑いが濃い。たかがスプーンなどといっていると、もっとこわい視聴者操作が起きたときに防げなくなる。視聴者への影響を安易に考えてほしくない」という(*11)。

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*11 「朝日新聞」1974年5月23日付朝刊〉

■放送基準に抵触する問題性については論議されなかった

 子どもへの悪影響を懸念する声に対しては自粛を決めた放送局もあったように、放送局に反省・配慮の対応が見られた。しかし、「放送基準」(103条「占い、心霊術、骨相・手相・人相の鑑定、その他迷信を肯定したり科学を否定したりするものは取り扱わない(*12)」)に抵触するという指摘やテレビが非科学的な事柄を真実のように放送することの問題性については、論議の進展が見られない。

*12 日本民間放送連盟「放送基準」(1970年〔昭和45年〕1月22日改正)

 前記の記事で言及されている「20日の記者会見」は、日本テレビの社長会見(定例)であり、「週刊朝日」によると、同席した津田昭制作局長(当時)が次のように語っていた。

〈「インチキの超能力を放送するのはやめた方がいいという声もあるが、超能力については、まだ科学で否定しきれない未知の部分がある。まあ、人命にかかわるとか、国家社会に重大な影響をもたらすとかいうことじゃないし、スプーンを曲げたり、折ったりする程度の、単なるお遊びだから(*13)……」

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*13 朝日新聞社編「週刊朝日」1974年5月31日号、朝日新聞社、20ページ〉

「単なるお遊びだから」という認識によって、「放送基準」(103条)は乗り越えられていたとしても、「放送基準」(103条)に抵触することは否定できない。しかし、テレビが超能力など非科学的な〈オカルト〉を真実のように放送すること、科学を否定しかねない番組を放送することに対する批判・非難は高まらなかった。

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「凡人にはない力をもっている」「やらせは一切ない」“驚異の霊能力者”こと宜保愛子が変えたオカルト番組の“常識”とは へ続く

(高橋 直子)

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