なぜ大迫傑はアメリカを離れケニアに行ったのか「知りたくないことまで耳に…」「平穏な気持ちではいられなかった」

なぜ大迫傑はアメリカを離れケニアに行ったのか「知りたくないことまで耳に…」「平穏な気持ちではいられなかった」

2月27日〜28日の大迫選手の日記:最近の悩み事は競技以外、SEであったり、他の人を動かして仕事をすること。競技内で実践しているシンプルに必要なことに今集中する事であったり、目標から逆算して自分のやるべき事(仕事)を見つける事であったり、こういうことって自分をフカンして見る事を意識すればそんなに難しいことではないと思うが……(一部抜粋)

 高校駅伝や箱根駅伝で活躍し、昨年の東京マラソンでは、自身の持つ日本記録を21秒縮める2時間5分29秒をマークした大迫傑選手。  

 大迫選手は東京オリンピックに向けて、日誌を付け始めた。そのノートには、ケニアで練習する難しさやSNSのストレス、競技以外の悩みなど、揺れ動く感情が赤裸々に書きとめられている。『 決戦前のランニングノート 』(文藝春秋)より一部抜粋して、大迫選手の日誌を紹介する。(全2回の1回目/ #2 を読む)

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■僕がケニアに来た理由。

 東京オリンピックの準備のため、2021年1月、僕はケニアにやってきました。いつもは練習のレベルが上がってから高地トレーニングに入ることが多かったのですが、今回はトレーニング初期からケニアに入ることにしました。

 ケニアで合宿をするのは今回が2回目。1回目はほぼ1年前。東京オリンピック出場の最後のチャンスだった、東京マラソンの前にやってきました。

 それまではアメリカのボルダーで高地トレーニングを行うことが多かったのですが、何度も通ううちに環境にも慣れて、マンネリ化している自分に気がつきました。違う環境に身を置いて、新しい刺激が欲しい。そんな思いでケニアを選びましたが、実際こちらの環境はとても自分に合っていて、東京オリンピックに向けてここで長期合宿をしようと決めました。

 ケニアはボルダーよりも標高が高く、世界中からランナーが集まってくるので練習パートナーも多い。そして何より落ち着いて練習ができるのが魅力です。

 コロナの感染者数、IOCやJOCの対応、オリンピックは開催されるのか……日本にいても、アメリカにいても、毎日テレビやネットから色々な情報が流れてきて、自分が知りたくないことまで耳に入ってくる。その情報の波に勝てるほど、僕は強くないし、その場にいたら、少なからずのみ込まれてしまって、平穏な気持ちではいられなかったでしょう。

 ケニアでは自分から情報を求めにいかないと何も入ってきません。欲しくない情報は見なくていいから、雑念が少なくてすむ。競技を妨げる情報から逃れて、速くなることだけに集中する。ノイズキャンセリングのためというのがケニアを選んだ一番の理由です。

 ケニアに来てから1カ月が経って、前回来たときよりもだいぶリラックスをしていると自分でも感じています。日本でも同じような距離やスピードで走っていましたが、あれをしなきゃ、これをしなきゃと余計なことを考えてしまって、どうしても気持ちが散ることが多かった。今は良くも悪くも気持ちに波がないし、なんだかフワフワとした気分でいます。

■「いろいろなものを捨ててこなくてはいけませんでした」

 気持ちに波がなくなったことで、練習にも集中できるようになりました。そもそも陸上が好きで、速くなりたいのだから、100%集中できる環境に身を置くのは当然で、シンプルなことをシンプルにできるようになった。それだけのことなんですよね。

 今回の合宿は7カ月を予定しています。コロナ禍で気軽に移動できないこともありますが、こんなに長く高地でトレーニングをしたことはありません。この選択が良いのか、悪いのか。この先どうなるのかも正直分かりません。けれどもこの新たなチャレンジは、東京オリンピックがあっても、なくても、自分の経験値として絶対に残るものだと思っています。自分ではコントロールできない未来の心配をしながら、東京やアメリカで今までと変わらないトレーニングをするよりも、東京オリンピック以外のオプションも見据えて、自分が進歩するために今できることに集中する方が意義があるし、それが自分らしい選択だと思っています。

 日本を出るときは、家族や友人との時間、おいしい食事や快適な生活など、いろいろなものを捨ててこなくてはいけませんでした。だけど、いざ捨ててみると、すごく落ち着いた気持ちで走ることができている。僕に唯一特別な能力があるとしたら、「捨てる勇気を持てる」ことじゃないでしょうか。

 ケニア合宿の拠点は標高2390mにあるイテンという街。標高が高いので年間を通して朝晩は肌寒いくらい涼しいです。日中は天気が良ければ暑いですが、日本やナイロビと違って、優しい暑さです。

 1週間のスケジュールは大体決まっています。月・水・木・土はイージーラン。日清食品にいたバルソトン・レオナルドとスバルにいたランガット・クレメントがこちらで小さなチームをつくっているので、宿舎近くのオフロードを一緒に走ったり、日によっては自分だけで走ったりしています。

 ケニアにはそのときの体調で、設定タイムを守らずにスピードアップする選手がたくさんいます。そのような状況を求めていたわけではありませんが、どんなときでも自分のペースでちゃんと走りきるというのは、すごくメンタルの面で活きていると思います。

 とはいえ、誰かがちょっとペースを上げようとすると、やっぱりイラつくこともあって。意外と走りながら会話をすることも多いので、考え事をしたいとき、自分のリズムで走りたいときは、一人で走るようにしています。 

■大迫選手が主宰するシュガーエリートのキャンプ

 火曜日と金曜日はワークアウトの日。車で15分くらい行ったところにあるロードコースか、車で1時間行ったところにあるトラックで練習をしています。

 土曜日か日曜日はロングラン。朝から2時間半〜3時間ぐらい走って終わる日もあれば、午後も軽く走ることもあります。

 月に1度は、飛行機で1時間ほどのところにあるナイロビに1週間ぐらい滞在します。標高が1700mとイテンよりも低くなるので、ここでは、1000mを2分30秒ペースで12本行うなど、主にスピード練習をしています。ナイロビには日本食レストランもあるし、滞在中はマイレージを落とすので、半分は息抜きの時間にもなっています。

 ハードな練習を続けるにはモチベーションも大切です。練習が終わると大体1時間ほどサウナに入るのですが、この後のビールが僕の最高のご褒美です。最高すぎて、最悪なぐらい(笑)。ただしケニアは標高が高いので、酔いやすいし、リカバリーも遅い。先日、標高3100m地点にあるニュージーランド人のゼーンのキャンプで飲んだときは、すごく酔っ払ってしまって、その後数日間は本調子じゃありませんでした。そんな失敗もしましたが、普段はなるべくダメージが残らないように水もたっぷり摂って、ビール1〜2本に抑えるようにしています。

 今回は僕が主宰する「シュガーエリート」のキャンプ地をケニアにつくりたいと思い、練習の合間に物件探しもしています。正直、ケニアじゃないと学べないようなことはないと思いますが、日本を飛び出すことで学べることはすごくあると思っているからです。

 僕の場合は、前回ケニアで合宿をしたとき、トレーニングや日常生活でいろいろな人にお世話になって、彼らのおかげで日本記録を更新することができました。ところが彼らはなかなか雇用がないため、生活が安定しない。コロナ期間中、2カ月に1度ほどクレメントの生活費のサポートをしていたのですが、もっと長い目で見て、僕は彼らに何ができるのだろうと考えていました。

 結果、こちらにシュガーエリートのキャンプを作れば、日本人選手の強化にもなるし、ケニア人アスリートの雇用や生活保障、社会貢献にもつながると気づきました。

 こういうことは日本にいたら知ることができないし、言葉で伝えても、自分が経験しないとなかなか響かないと思っています。トレーニングはもちろん非常に大切なことですが、人としても豊かになれる貴重なきっかけを与えてくれるのがケニアなのです。

 もちろん同じ環境にいても、気づく選手、気づかない選手がいると思いますが、若い選手たちにも何かを感じてもらえることができるのではないでしょうか。

 ただ物件探しは金額をふっかけられたりして、現地以外の人がキャンプ地をつくる難しさも痛感しました。これは今後、僕がケニアで解決すべき課題になるでしょう。

『 決戦前のランニングノート 』の刊行を記念して、スペシャル読書会“決戦前の大迫傑ナイト”を開催いたします。詳しくは こちら をご覧ください。

「僕たちアスリートは可哀想ですか?」「家族に会いたい気持ちにも…」大迫傑が日誌に綴った東京五輪への“思い” へ続く

(大迫 傑/Sports Graphic Number)

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