お笑いファンだった私は『笑う側』になりたかった…五輪辞任・解任ドミノが露わにした90年代の「不都合な真実」――東京五輪の光と影

お笑いファンだった私は『笑う側』になりたかった…五輪辞任・解任ドミノが露わにした90年代の「不都合な真実」――東京五輪の光と影

東京五輪開会式でスピーチをするトーマス・バッハIOC会長 ©時事通信社/Rob Schumacher-USA TODAY Sports

 開会式直前の関係者“辞任ドミノ”に始まり、メダル候補のまさかの敗戦やダークホースによる下馬評を覆しての戴冠劇、コロナ禍で開催され、明暗含めて多くの話題を呼んだ東京オリンピック。ついにその長い戦いも閉幕しました。そこで、オリンピック期間中(7月23日〜8月8日)の掲載記事の中から、文春オンラインで反響の大きかった記事を再公開します。(初公開日 2021年7月25日)。

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 大会組織委員会前会長・森喜朗さんの持論「女の話は長い」に見事な体当たり反証を行ったバッハ会長のロングロングスピーチ。

 その後の演目が全て後ろにズレ込んだ結果、とんでもなく深い時間に聖火ランナーの子どもたちを出演させることになり、Twitterのタイムラインに児童福祉法を心配する声があふれるという、あまり類を見ない開会式となりました。?

 思い返せば、公式エンブレムの盗用疑惑、新国立競技場のデザイン白紙撤回、オリンピック招致をめぐるJOC竹田恒和前会長の汚職疑惑、トライアスロン会場となる東京湾の水質問題、笠地蔵的かぶる日傘、トイレに金の装飾を施した中世の選手村、はじけることを運命とされたバブル方式の崩壊、止まらない感染拡大、チケット購入者の個人情報流出、森喜朗の性差別発言、前演出統括・佐々木宏のオリンピッ“グ”etc。

 大映ドラマでもここまでトンチキな展開は見たことないので、事実は『スクール・ウォーズ』より奇なり、ということなのでしょう。?

 次から次へと信じられないことが起きる。今日起きたアンビリーバブルを翌日のアンビリーバブルが超えていく。不祥事や問題、炎上の数だけが世界新記録を更新する。?

 開会式での楽曲を担当していた小山田圭吾の辞任が報じられたのは、19日。開会式のわずか4日前。原因はクラスメイトに対する壮絶ないじめを得意げに語っていた過去のインタビューでした。その衝撃的な内容は瞬く間に拡散され、批判が続出。謝罪文を公表したものの、炎上は治まる気配を見せず、ついに辞任という運びになりました。?

 そしてその直後、インターネットを駆け巡ったのは、開会式の「ショーディレクター」小林賢太郎が過去に結成していたラーメンズのとあるネタ動画。「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」というフレーズにユダヤ人人権団体が抗議し、開会式前日である22日に「解任」が決定。サブカル・ウォーズ。わずか数日のうちに、開会式の音楽家と演出家が消えてしまったのでした。?

「こんなにひどいものがなぜ出版(VHS化)されたのか」音楽家と演出家の炎上に、多くの人がショックをあらわに。「こういうのが許された時代だった」「人権感覚が狂ってる」二つの真逆の意見がネットに散見されました。

 1976年生まれである私は「しょうがない」と「許せない」の間でグラグラと揺れ動いています。そして当時のサブカルに挫折した記憶がありありと蘇ってくるのです。?

■美大卒コンビとして存在感を放っていたラーメンズ

「尖った笑いの時代」と称される90年代。『ボキャブラ天国』が90年代中盤から後半にかけて大ブームを迎え、ナインティナインや雨上がり決死隊が参加していたユニット『吉本印天然素材』が爆発的人気を博し、ほとんどチケットが取れないほど。

 天素(吉本印天然素材)はいいけど天素の弟分ユニット・フルーツ大統領は認めないと謎に息巻いたり、通っていた大学の学園祭でロンブーに依頼したらロンブーは忙しいからその代わりにDonDokoDonと雨上がり決死隊とガレッジセールが来るらしいと聞きつけ、急遽手伝いを申し出たり。

 暇でミーハーな学生時代の私はこのお笑いブームに飛びつき、できたばかりの銀座7丁目劇場や新宿Fu-や新宿ビプランシアター、シアターDなどにこれまた暇な妹と通うようになりました。?

 ラーメンズを初めて見たのもその頃。単独ではなく大手事務所主催の合同ライブだったと記憶しています。まだ『爆笑オンエアバトル』は放送する前で、でもライブシーンでは美大卒の異色のコンビとして存在感を放っていました。一方の私はまだお笑いライブ独特の雰囲気にも慣れておらず、緊張しながら初めてラーメンズの演目を見ました。

 ?初めてのラーメンズは、過激で差別的なブラックジョークが強く正直私はめんくらっていました。だけど会場からは笑いが起こっている。これは笑いなのか。これは面白いのだろうか。どういう態度を取ればいいのかわからなくなって、混乱していました。ライブ終わり、生まれて初めてアンケートに少しのクレームを書き、それもまた気まずい記憶として残り、そこから何となく私とラーメンズの接点は途絶えてしまいました。

 なぜ私は混乱したのか。ブスを笑うネタ、過激な下ネタ……当時はそういうのが当たり前にあって、でもそこに強い「怒り」はありませんでした。怒りというよりは「混乱」と「焦り」だったと思います。自分が「女」であること、「ブスな女」という「笑われる側」であることへの焦り。なんとか「笑う側」に行きたいのに、そうはなれない自分への焦り。?

 と同時に、当時ジェンダーという概念を初めて知り、幼少期からあった疑問を解消する糸口を見つけたような清々しさも感じていたのです。男は男らしく、女は女らしく。そういうものは後天的に社会が個人に貼り付けようとしている、単なるラベルであることを。

 フェミニズムに勇気づけられながら、好きなお笑いの現場にいけばチクチクした感覚を持ち帰ることになる。障がい者を揶揄するネタを、外国人を、ブスを笑うネタを、ちんちんネタを、心から笑えない自分は「お笑いファン」として認められないのではないか。

 せっかく見つけた趣味の場所で、どこかで自分が傷つけられるのではないかとビクビクしながら、それを悟られないように淡々と振る舞う癖がついていたように、今振り返ると思うのです。ジェンダーや差別への感覚を麻痺させないと、楽しめないと思ってしまった。?

 これはラーメンズのネタに限らず、もしかしたらそういう混乱した気持ちで当時のお笑いシーンを見ていた方は多かったのかもしれません。感覚を麻痺させなくなって、我慢しなくなって、2021年にやっと「あれはダメだと思う」と言葉にできるサブカルチャー好きの方もいるのではないかと。?演者自身もそうなのかもしれない。その葛藤に20年以上の歳月がかかってしまった。

■間違いが放置され、「熟成」されてしまった

 今であれば、例えば芸能人が差別的なフレーズを使えばすぐに批判の目に晒され、演者側はなんらかのアクションを取ることになるでしょう。そしてその期間が短ければ短いほど、傷は浅くて済む。

 今回のことがここまで大きな問題となったのは、平和や平等を看板に掲げた国際的なイベントの仕事をするという「公人」の立ち位置というのも大きいでしょうが、それだけではないと思うんです。音楽家が過去の犯罪的とも思えるいじめを公言したこと、演出家が人類史上類を見ない陰惨な事件を笑いのフレーズに用いたこと、それらは長い時間をかけて熟成し、彼らを「カリスマ」に持ち上げる一つの推力としてどこかしら作用してしまった事実。

 ダークな一面はサブカルチャーの中での抗えない魅力の一つとして作用、もしくは「でも作品は素晴らしい」というギャップを形成する要因として存在し、その結果彼らが今回のような大きな仕事を任される人気と知名度を下支えしたとも言えるのではないかと。そして同時代に生きる私は、無自覚にその「熟成」に力を貸してきたのです。?

■ほんの2ヶ月前の出来事だが……

 90年代サブカルチャーの「辞任」と「解任」を目の当たりにして、東京オリンピックは幕を開けました。

 多様性多様性とうるさいくらいに連呼する解説アナが国名を読み上げ選手たちを会場に迎え入れる、そのBGMはすぎやまこういち作曲の『ドラゴンクエスト序曲』。すぎやまこういちは2015年に公開された『チャンネル桜』の番組で「生産性がない同性愛の人達に皆さんの税金を使って支援をする。どこにそういう大義名分があるんですか」と発言した杉田水脈議員(2015年当時は落選中)に「男性からは言いにくいことをガンガン言っていただくのはありがたいですね」「正論ですよ」と同調したことで知られています。

 そして伝統芸能の代表として登場した歌舞伎役者・市川海老蔵は、新作『KABUKU』に含まれた人種差別的な表現が問題視され、その後の公演では内容が変更されたと報じられました。それはほんの2ヶ月前の出来事です。

 差別とは。多様性とは。「公正」とは。?

(西澤 千央)

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