「わしゃ、今が花よ」原爆被害、夫の死去… 70歳で初めて画家になった女性が約700点の作品を描くまで

「わしゃ、今が花よ」原爆被害、夫の死去… 70歳で初めて画家になった女性が約700点の作品を描くまで

《せみが鳴く》1952年  原爆の図丸木美術館蔵

 それは遠き日の夏休みの思い出に浸るような、懐かしさと心地よさに満たされる体験だった。静岡県長泉町のベルナール・ビュフェ美術館で開かれている、「わしゃ、今が花よ 丸木スマ展」のことだ。

■観る側もおおらかな気分で包む絵

 たとえば出品作のひとつ《せみが鳴く》は、描き手たる丸木スマが住んでいた家の庭に植えられた、ニガウリを画面いっぱいに描き出している。

 タネから芽が出て蔓を伸ばし、黄色い花を結んで青い実をつけ、それが割れるとオレンジ色のタネが顔をのぞかせる。ニガウリという生命のライフサイクルが、丸ごと一枚の絵のなかに描き出されている。そこに大きな時間の流れがあることを、ひしひしと感じる。

 タイトルにある「せみ」はどこにいるか? 画面に2匹だけ潜んでいるから、鳴き声に耳を澄ませながらゆっくり探してみてほしい。

《めし》も印象的だ。無心とはまさにこのこと。中央に置かれたエサにかぶりつく動物たちの表情にはよけいなものなど何もなく、ただ「生きる」ことに集中している潔さがある。

 この上なく無防備な肢体をさらけ出している4匹は、はてネズミかネコか、それともイヌか。判別しかねるけれど、観ていると種別なんてどうでもよくなってくる。何にせよ、みずからの生をまっとうせんとしている生きものであることには違いなく、その姿がひたすら愛おしい。

 そもそも動物たちが一心不乱にめしを食うこの空間が、どこなのかも一向にわからないし、画面の向きだっていかようにも変えられそう。いま観ているこの置き方で向きが合っているのかどうかも怪しい。

 丸木スマの絵に向かい合っていると、こまかいことなどどんどん気にならなくなってくる。きっと描き手が存分に楽しみながら筆を進めたのであろうことだけははっきりと伝わってくるので、それでじゅうぶん。自分がずいぶんおおらかな人間になれた気がして、うれしくなる。

■70歳を過ぎて画才が爆発!

「描く歓び」のかたまりのような丸木スマは、70歳を過ぎるまで画家ではなかった。美術教育を受けたことがなかったのはもちろん、絵筆を握った経験すら皆無だったのである。

 1875(明治8)年に広島で生まれたスマは、山深い土地で自然に親しみながら育った。22歳で結婚すると、畑仕事や家業の船宿運営、4人の子育てなどに勤しんだ。子のうちのひとりが、のちに画家となる丸木位里である。

 伸びやかな暮らしではあったが、70歳で原爆の被害に遭い、翌年に夫を亡くすという体験もしている。戦後に穏やかな日々を過ごしていたところ、家族に勧められて広告の裏や学習ノートに絵を描き始めた。周りがたいそうおもしろがってくれた。すると自分でもおもしろくなってきて、大きな紙に次々と描くようになっていった。

 女流画家協会展などにも出品し注目され、77歳で初個展。没する81歳までに、約700点もの作品を残すこととなった。

■慈しみと調和に満ちた作品世界

 草木や動物たち、田舎の風景。丸木スマが描くのは、彼女の身近にある大好きなものばかり。感情を込めてそれらを描き、観る側も同じ気持ちになってもらえたらと純真に願った。

 画面を通して「好き」の伝播をもくろんでいるのが、丸木スマの作品と言えそう。これは絵画の根源的なありように適っていると思われる。だからスマの絵は、これほど直接的に人の心を打つのだ。表現をするのに技術だの知識だのは二の次だと、はっきり示している。

 80歳で描いた《簪》は縦175p横182pと、スマの絵のうちでも一番の大作。ネコ、イヌ、ウシ、トリ、サル、トンボや色とりどりの花、枝葉を伸ばす草木と大好きだった生きものがぎっしり描き込まれている。

 大画面に収まりきらないほど身の回りに大好きなものが溢れていたとは、なんて幸せなことか。素朴なことこの上ない、けれど慈しみと調和に満ちた作品世界に、いつまでもいつまでも浸っていたくなる展示である。

INFORMATION

わしゃ、今が花よ 丸木スマ展?
4月24日〜9月28日
ベルナール・ビュフェ美術館
https://www.tokyoartbeat.com/event/2021/039D
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(山内 宏泰)

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