上沼恵美子が語った、“笑ってくれない”笑福亭仁鶴さんが共演10年でようやく認めてくれた瞬間

上沼恵美子が語った、“笑ってくれない”笑福亭仁鶴さんが共演10年でようやく認めてくれた瞬間

上沼は「“ニカク”やなくて“ニヒル”」

「仁鶴さんはカメラが回っていない時はとにかく寡黙。たまにオール巨人さんとゴルフの話をするくらいで、ほとんど誰とも喋らないんです。かといって陰気な感じではなく、読書好きでとてもインテリチック。だから、私は“ニカク”じゃなくて、笑福亭“ニヒル”やと思って見ていました」

「週刊文春」にそう明かすのは、タレントの上沼恵美子(66)だ。

■どうにかして仁鶴さんを笑わせたい

「四角い仁鶴がまぁ〜るくおさめまっせ〜」

 お馴染みのフレーズで、NHKの長寿番組「バラエティー生活笑百科」の司会を務めてきた笑福亭仁鶴が8月17日、骨髄異形成症候群で亡くなった。享年84。番組で長く共演していたのが、上沼だ。

「私が姉と漫才を始めた10代の頃、四国で仁鶴さんの前座をするという営業の仕事があったんですね。会場の体育館は仁鶴さん見たさで超満員。私自身も生で仁鶴さんを見られるのを楽しみにしていたら、なんとヘリコプターに乗ってやってきたんです。さすが大スター、とにかく忙しくしていて、移動手段もえげつなくて格好良かった」(同前)

 その後、上沼は姉とのコンビを解散。86年、「生活笑百科」で仁鶴と再会を果たす。だが、そこには目に見えない大きな“壁”があったという。

「毎年バレンタインデーになると楽屋にチョコを持っていくんですけど、仁鶴さんは喜ぶ顔ひとつ見せずに『あぁ、はいはい』で終わり。本番でも仁鶴さんは営業スマイルばかりで、私が『大阪城が実家や』『姫路城は別荘や』なんて言っても決して笑って下さらなかった。だから、私はどうにかして仁鶴さんを笑わせたいと思っていつも本番に臨んでいたんです」(同前)

■ようやく認めてもらえたのかなぁって…

 その思いがようやく実ったのは、番組での共演が始まって約10年が経った頃だ。

「何を喋ったのかは忘れてしまったんやけど、アドリブで何か言ったら仁鶴さんが涙を浮かべて『あはははは!』と大笑いして下さって。本当に嬉しくて、思わず心の中でガッツポーズしちゃいましたよ」(同前)

 同じ頃、こんなこともあったという。

「私があげたチョコの10倍くらいする値段の豪華なクッキーをホワイトデーに頂いたんです。しかも奥様からの長文の手紙つき。『生活笑百科は上沼さんで持っている番組です』みたいな感じで、私を凄く褒めてくれる内容で感動しました。奥様のご配慮やったと思いますが、仁鶴さんと共演して10年、ようやく認めてもらえたのかなぁって……」

 愛妻家としても知られた仁鶴。17年に先立たれた妻・隆子さんとは夫婦で番組の司会を務めたこともあった。そんなおしどり夫婦の“秘密”を、同じ吉本興業所属で親交の深かった中田カウス(72)が語る。

■スペアタイヤを入れるスペースに札束がギッシリ

「僕がまだ随分と若かった頃、給料日前でお金がなくて。それで師匠に頼んだら『ええで』と言って車庫に連れていかれましてね」

 車好きの仁鶴が当時、乗っていたのはフォルクスワーゲン「ビートル」だった。

「そしたら車のトランクをおもむろに開け、シートをめくったら、スペアタイヤを入れるスペースに札束がギッシリ。400万円ほどあったんちゃうかな。それで『なんぼや?』って聞かれて、5万円と答えたら『ほんなら10万円持ってけ! ただ、タカちゃん(隆子さん)に言うたらアカンでぇ〜』って(笑)」(同前)

 この頃、すでに吉本の稼ぎ頭になっていた仁鶴のヘソクリだったわけだ。

「『こんなとこにお金入れて、盗まれたらどないするんですか』って聞いたら、『そしたらカウス君、君しかおらへんがな。君しか知らへんのやから』と。師匠にはそういうお茶目なとこもあったんです」(同前)

■妻が亡くなり、2階の自分の部屋から下りて来なくなり…

 だが、そんな仁鶴も隆子さんが亡くなってからは塞ぎ込むことが増えたという。

「奥さんが亡くなって家に行った時、師匠は2階の自分の部屋から下りて来なかった。それ以来、ちょくちょくお弟子さんに『(師匠の調子は)どうや?』と聞いていたんやけど、『ちょっとまだ会うのは無理ですね』と。結局、それから一度も会えないまま亡くなってしまった……。でも師匠も、やつれている笑福亭仁鶴は見せたくなかったんだと思うんです」(同前)

 そうして、最愛の妻のもとへと旅立っていった仁鶴。取材の最後、前出の上沼にこう尋ねてみた。

――果たして、仁鶴さんの人生はまぁ〜るくおさまったんでしょうか?

「楽屋を拝見している限り、お喋りをする仕事なんてとんでもない。だから、仁鶴さんの人生はまぁ〜るくおさまってないと思う。お笑いの神様みたいになって、頂点に立てば立つほどしんどかったんやと思います。本当なら、学者になってノーベル賞を取ってもおかしくなかったと思う。1人で何か一つのことを研究して、没頭していきたい人生やったんですよ。ま、本人にはそんなこと聞いたことないですけどね(笑)」

(「週刊文春」編集部/週刊文春 2021年9月2日号)

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