驚異の19歳、藤井聡太 三冠達成直後に控室で話しかけると柔和な青年だったが…

驚異の19歳、藤井聡太 三冠達成直後に控室で話しかけると柔和な青年だったが…

振り駒の結果、藤井の先手番となった 写真提供:日本将棋連盟

藤井聡太は「強い」というよりも「恐ろしい」 豊島将之との激闘で明らかに進化した から続く

 6月末から行われている、豊島将之竜王・叡王と藤井聡太王位・棋聖による「夏の十二番勝負」。お〜いお茶杯王位戦七番勝負は、藤井王位が4勝1敗で防衛を果たした。一方の叡王戦は、藤井にとって5度目のタイトル戦で初となるフルセットとなった。

 史上最年少三冠がかかる藤井、初めて番勝負で藤井に土をつけるチャンスを得た豊島、どちらにとっても大一番だ――。

■9月13日、叡王戦五番勝負第5局

 最終局はあらためて振り駒となり、先手となった藤井はまたも相掛かりを採用した。先手番では、王位戦第5局から4局続けて相掛かりの連投だ。対して豊島は、その第5局と同じ1歩損作戦にし、藤井が先に手を変えて、前例ある将棋になる。

 ここで豊島は、右の銀に続いて左の銀も中央に繰り出すという研究手を見せる。相掛かりで歩越し銀を2枚並べるなど前例はなく、この勝負の命運を賭けた手だ。

 藤井もこの手は想定外で長考に沈む。銀を出て中央の均衡を保つのが普通だが、藤井は約30分の長考でじっと飛車を引いた。まただ。またも藤井は相手に手を渡した。中央の制空権を放棄し、攻めていらっしゃいと誘ったのだ。十二番勝負の開幕戦、王位戦第1局では飛車が前線に飛び出てカウンターを食って完敗したが、それとは真逆の手を指している。

 短期間にこれほどまでに戦い方を変えることができるとは――。

 豊島は66分の長考で銀を前線に繰り出した。

 だが藤井の対応は巧妙だった。金を前に上げ、端角で一旦銀を押し返して休憩に。昼食注文は豊島のうな重に対し、藤井は海老天重とがっつりしたもの。プレッシャーで胃が痛くなる……なんてこととは無縁なようだ。

■解説も控室もAIも予想していなかった継ぎ歩

 午後に入って、藤井は玉を中住まいにして戦場から遠ざける。私は午後3時ころに連盟に行き控室に。立ち会いの塚田泰明九段と話をした。塚田は飛車を縦横に使って歩を取りに行く革新的な戦法「塚田スペシャル」を編み出し、相掛かりの常識を覆した棋士だ。私はその塚田スペシャル1号局の1986年王将戦、中原誠名人戦の記録係だった。今のDL流相掛かりはそれを改良したものとも言える。

「今の相掛かりはある意味発展形ですよね。飛車先の交換を保留し、タイミングを計るところが。ただ一方で、本局の豊島さんのように歩を守ることができるのに、わざと歩を取らせる作戦が出るところも面白いですよね。6四の歩を取られるのは痛いけど(塚田スペシャルは6四歩を取る戦法)、7四歩を取られるのはたいしたことがなく手得が大きいと」(塚田)

 さて、豊島は再度2枚の銀を前進させるが、そこでアベマの解説も控室もAIも予想していなかった藤井の継ぎ歩が絶妙の反撃だった。2筋を押し込んでから一転して攻めの銀を引いて相手の銀を追い返す。

 そして、代わりに金を前線に繰り出したのがうまいポジションチェンジ。この金は中央に横滑りし、さらに飛車を切って相手の金を消して中央にぐいと出た。そして金は前進を続けついに敵陣に。金を攻めに繰り出すのは藤井の得意ワザとはいえ、なんという駒運びだ。金の進出に私はなぜか既視感を覚えた。

■再びの端桂

 さて大詰め、金2枚を手にして藤井優勢となったが、1分将棋の中、豊島も玉の早逃げで粘る。攻めることができなかった2枚銀を守りの駒として使おうとしたのだ。藤井も時間を使い切って両者1分将棋に。

「こう粘られると焦るよね」と塚田がつぶやき、さあ角を飛び出そうか金をにじり寄ろうかなどと話したときに藤井が掴んだ駒は、桂だった。王位戦第5局に続いての▲9七桂の端桂が叡王戦の終幕を告げる1手だった。

 なぜこんな場面で桂を使おうと考えたのか? 天才の思考は凡人にはわからない。桂が銀を奪って天使の跳躍をし、最後は金捨ての王手が決め手となった。玉が逃げると簡単に必至がかかる。豊島は潔く金を取って詰まされる順を選んだ。

 対局室は寒かった。設定温度はなんと23度だった。しかし、2人は寒いどころか暑そうにしている。大勝負に体中が燃えていたのだろう。関係者に聞くと、昼は20度にしていたそうだ。

 感想戦では、いつもどおり藤井の高速変化手順が炸裂していた。相手が指すとノータイムで手を返す。普通の相手ならとてもついていけないが、豊島も平然と駒を動かし相槌を打った。

■初めて書くはずの「叡」の字もうまい

 感想戦終了後にすこしだけ新三冠と話をした。

「素晴らしい色合いの着物ですね」と水を向けると、「着物も羽織も初回ではありません。組み合わせていますが」。

「対局室は寒くないの? 昼は20度設定にしていたみたいですが」と聞くと、「いえ着物だったですし、25度設定だと暑いですね」と言ってにっこり笑った。対局室を離れれば柔和な青年だ。色紙を見るが、初めて書くはずの叡王の「叡」の字もうまい。着物も一人で着られるし、なんでもできる。

 帰宅してニュースを見ると、どこも史上最年少三冠の話題だった。最初の三冠達成者である升田幸三名人の顔写真が映ったとき、「金」の既視感の正体に気がついた。あれは升田将棋ではないか!

 升田も金を攻めに使うのがうまく、ひねり飛車に対して3三金から金が前線に上がって飛車を攻める「たこ金戦法」を編み出している。そして、升田の金で有名なのは「駅馬車定跡」だ。

■これで19歳1ヶ月はありえない成績だ

 1948年、30歳の升田八段は朝日新聞の企画で、34歳の塚田正夫名人と「塚田名人・升田五番勝負」を戦った。その第4局で升田は相掛かりからタイミングよく仕掛け、金を中央に進出させ攻め潰した。その見事な手順に加藤治郎名誉九段が映画「駅馬車」の名シーンから「駅馬車定跡」と名付けた。2局とも相掛かりの中住まい玉で、指されたのは9月だ。藤井の金のダイナミックな動きは、令和の「駅馬車定跡」だったのだ。

 升田が大山康晴名人から名人を奪取して、王将・九段とあわせ当時のタイトルを独占したのは1957年、升田が39歳のときだった。あれから64年、その升田よりも20歳も若い三冠が誕生した。

 藤井は対局後に行われたインタビューにて、

「過去に三冠になられた方は、偉大な棋士ばかりで光栄に思っています。自分自身の今後がさらに問われることだと思っているので、今まで以上に取り組んでいく必要があると思っています」

 と答えた。

 挑戦も防衛もすべて成功し、タイトル獲得5期、タイトル戦通算成績は17勝4敗、勝率0.810。これで19歳1ヶ月はありえない成績だ。どこまで強くなるのだろうか。

■これは読んでいるときの仕草だ

 棋譜は2人で作り上げるもの。豊島対藤井だったからこそ、これだけの名局が生まれたのだ。

 感想戦では私は豊島をずっと観察していた。局後の勝者へのインタビュー、敗者に辛い時間だ。しかし、豊島は正座を崩さす、背筋を正し、こっそりと膝の上で指をタクトのように動かしていた。

 これは読んでいるときの仕草だ。敗戦にうなだれるのではなく、何を間違えたのか、敗着をなにかと考え、反省し、次につなげようという顔だ。

 マイクが向けられると豊島はこう語った。

「強い棋士と指して課題がたくさん見えてきましたし、勉強になった10局だったかな、というふうに思います」

 豊島はもう前を向いている。次の竜王戦七番勝負を見ている。戦いはこれからもずっと続く。

(勝又 清和)

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