壁にぶち当たった大学院生(とオリックス選手)に伝えたい、自信を失いそうな時にどう戦うべきか

壁にぶち当たった大学院生(とオリックス選手)に伝えたい、自信を失いそうな時にどう戦うべきか

怖じ気づく必要は何もない

 今年もいつの間にか秋になった。小学校や中学校、そして高校からは少し遅れて始まる大学の新学期ももうすぐ開始。兵庫県でも新型コロナ禍での緊急事態宣言が依然出されているので、授業開始はとりあえずオンラインになる。でも、本当ならやっぱり授業や学生指導は対面でやりたいな。やっぱり一人一人の表情の動きをしっかり見て、彼らがどんなことを考え、悩み、そして望んでいるかをくみ取ってあげたいからだ。

■最初の成功は、その後も同じ成功が続く事を全く保証しない

 そして、とりわけその事はこれからの時期において重要だ。今年度に修了を予定している大学院生にとっては、これが最後の学期。筆者が教えている大学院では博士前期課程(昔の修士課程)では修士論文、そして博士後期課程(昔の博士課程)においては勿論、博士論文を書かないといけない。当然の事ながらそこで期待されている水準は、博士論文は勿論、修士論文でも専門家の批判に耐えうる、そして学問的に新たな知見を含むものでなければならない。言い換えるなら「何かを調べてまとめました」というのではダメであり、必ず彼ら自身のオリジナリティがなければならない。

 とはいえ、教員が教える事が出来るのは、研究の方法と問題の立て方、そして具体的な論文の文章の組み立て方程度。論文のオリジナリティは、著者である大学院生のオリジナリティでなければならないから、問題設定にせよ、データにせよ、彼らが自分たちで見つけて来なければならない。そしてそれは誰かが調べた成果をそのまま学習する「勉強」から、これまで世の中で知られてきた多くのことに、自らの創意工夫で新しい何かを付け加える「研究」へと進む事を意味している。

 多くの大学院生にとって大きな壁はここにあり、研究者への道の最初の関門は、この壁を越えられるか否かになってくる。だからこそ、指導教員も先輩も周囲の人たちも、彼らにその壁を乗り越えさせるために、懸命に応援し、支援する。

 そして、一旦、その壁を越えた時、若い大学院生たちの成長はとても早い。学会発表等で評価を得、自信をつけた彼らは、表情が明らかに変わり、着ている服装すら − それがどこから買って来たのかすらわからない、一部の国立大学の大学院生だけがこよなく愛用する「チェック柄のシャツ」や「ボーダーのTシャツ」であっても − 少しだけおしゃれに見えて来る。性格も別人になったかのように明るくなり、突然、「先輩って格好いいですよね」と言われ、彼女や彼氏まで出来たりする。指導教員への態度もがらっと変わり、「先生の時代はもう終わったんですよ」などと言い放つ。正直、悔しい。お前ら、少しは年寄りをいたわらないと罰が当たるぞ。

 人は褒めてこそ育つものであり、その結果として得た実績により、更に大きく成長する。遂に自分の時代がやって来た。彼らがそう思っている事は明らかであり、勿論、それはとても素晴らしい事である。ベテランはいつか表舞台を去る時が来るものだし、去る時には彼らに邪魔にならないように奇麗に消え去りたいものだ。

 だが残念な事に、こうしてようやく自信をつけた彼らの中で、その状態をその後もずっと保っていける人たちはごく少数だ。何故なら、最初の成功は、その後も同じ成功が続く事を全く保証しないからだ。

■心が折れそうになるのは、誰にとっても辛いものだ

 こうして人は、もう一つの壁にぶち当たる。以前は上手く結果が出たし、その成果を皆が褒めたたえてくれた。しかし、どうして今回は上手く行かないんだろう。ひょっとして以前の成功は単なる「まぐれ当たり」で、上手く行ったのも、実は先生や先輩のアドバイスに従ったからだけ、じゃないのか。だから同じ事を自分自身で、もう一度やろうと思ってもできないんだ。考えてみれば、前回の学会報告も誰かが急遽出られなくなった結果回って来た、「代打」だったし、褒めてくれたのも、先生や先輩ら知り合いの人ばかりだった。だったら……自分は最初から何も変わってないんじゃないか。

 自信はガラガラと音を立てて崩れ落ち、彼らの表情は再び暗くなる。せっかく回って来たチャンスの場面でも、失敗する自分の姿だけが脳裏に映り、思い切った仕事が出来なくなる。結果として、中途半端な仕事をして失敗し、傷ついたプライドは更にどん底へと追い込まれる。背筋は丸く伏し目がちになり、覇気を失った彼らの周囲から一人、また一人と人々が去っていく。いいんだ、どうせ元のところに戻っただけだし。ここが自分の居場所だという事はわかってるんだ。自分のような人間が夢を見たのが間違いだったんだ。

 こうして一時の成功は人々を、時により深い絶望へと追い込む事になる。「成功」は時に人に「更なる成功」がある事を認識させ、そしてその「更なる成功」が遥かな高みにある事に絶望するからだ。「上」を目指す事なく、或いは目指す事を諦めているなら、自らのいる場所に安住する事は容易である。しかし、手の届かないように見える高い所を目指す時、人は現在の自分が如何に低い所にいるかを思い知らされる。

 その気持ちはよくわかる。一旦前向きになった心が折れそうになるのは、誰にとっても辛いものだ。でも、そんな時、思い出して欲しい。自分自身の実力を信じ、次なる「成功」に挑み、そこからさらに先に進めると思った頃、君たちの人生はどれほど充実していただろうか。そして、その時、君たちは確かに今よりも「ずっと先」にいなかっただろうか。

■「上」にいるのは、ロッテ、ただ1チームだけ

 心が折れそうな時、自分を信じられなくなりそうな時、大事なのはまずは「さっきまでいた所」にまで戻る事を目標にして作業する事だ。遠いかなたにいるどこかの他人を追いかけるのはしんどいけど、好調だった時の自分の姿を追いかけるなら、それほどでもない筈だ。だって、目標は「たかが自分」。ノーベル賞を貰った様な、国際学会のスター教授を目標にしている訳じゃない。そして言ってたじゃない、「先生の時代はもう終わった」って。先生だって昔はそこそこ鳴らしたんだから、まずはその調子で僕が立っている所まで来れれば、君たちはそれだけで結構先に進めると思うんだけどね。

 そして、一旦過去の自分に追い付けば、自然と「更なる成功」は見えて来る。随分負けが込んできたけど、今だってその差は僅か3.5ゲーム(9月16日現在)。そして「上」にいるのは、ロッテ、ただ1チームだけ。楽天もソフトバンクも、西武も日ハムも「下」にいる。考えてみれば、これだけでずいぶん凄いことじゃないか。

 ロッテさんには少し失礼かもしれないけど、彼らは間違っても、全盛時代のソフトバンクやV9時代の巨人の様な、圧倒的なチームじゃない。いや、どちらかといえば彼らだって、僕たちと同じように、一つずつ「上」を目指して、ここまで這い上がって来たチームじゃないか。大きな成功に裏打ちされた「本当の自信」がないのは、彼らもきっと同じ事だ。そう苦しんでいるのは、君たちだけじゃないんだよ。

 だったら彼らに出来て、君たちに出来ない筈はない。ここは15年間リーグ優勝していないロッテと、24年間優勝していないオリックスで、最後まで立派に優勝を争ってみようじゃないか。大丈夫、そうすれば結果は必ずついてくる。そもそも失敗したって失うものは何もないんだよ。だって、あの暗いムードに覆われていた「シーズン当初」の状態を考えれば、君たちはもう十分すぎるくらい「成功」しているんだから。怖じ気づく必要は何もない。だから、僕たちはその事をちゃんとわかっているし、最後まで見守っているよ。だって、せっかくここまで来たんだから、この瞬間を楽しまなくってどうするのさ。さあ、今シーズンの終盤戦が本当にはじまるのはここからだ。

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(木村 幹)

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