琴光喜、長嶋一茂、サッカー元ブラジル代表ロナウド…アスリートも襲われる強烈な痛み! 恐ろしすぎる「痛風」の世界

琴光喜、長嶋一茂、サッカー元ブラジル代表ロナウド…アスリートも襲われる強烈な痛み! 恐ろしすぎる「痛風」の世界

©iStock.com

「贅沢病」ともいわれ、暴飲暴食、だらしない生活の産物であるイメージの根強い「痛風」。それだけに、身体が資本といえる「アスリート」たちの中に、痛風に悩む人たちがいると聞くと意外に思われるかもしれない。しかし、アスリートでも痛風に悩まされることは珍しくない……。

 キンマサタカ氏が編者を務め、「痛風仲間=痛友(つうゆう)」の体験談をまとめた書籍『 痛風の朝 』(本の雑誌社)の一部を抜粋し、紹介する。

◆◆◆

■痛風は暴飲暴食、だらしない生活の産物

 この本を編集するにあたり、元トップアスリートに声をかけた。彼がYouTube の番組内で「痛風である」とカミングアウトしていることを人伝に知り、インタビューをお願いできないかとオファーしたのだ。

 マネジメント事務所からはすぐに返事があり、結果から言えばすげなく断られた。

「痛風を売りにするつもりはない」というのが理由だったが、私は納得のいく回答だと感じた。元アスリートが痛風だと知って、いいイメージを抱くことはないだろう。むしろマイナスである。

 痛風は贅沢病であり、暴飲暴食、だらしない生活の産物であると思われることが多い。生活習慣病である痛風は、アスリートの真逆にある存在と言ってもいい。

 選手の輝かしい実績さえも否定してしまうのであれば、痛風キャリアであることを隠す気持ちもよくわかる。

■体育会の暴飲暴食文化が体に刻まれ、発症

 かくいう私も大学時代はアメリカンフットボールに打ち込んでいた過去を持つ。身体も小さく大した選手ではなかったが、体育会の暴飲暴食文化はしっかりと体に刻まれた。ご飯は大盛り、酒は浴びるように。社会人になってからも、軽い運動と草アメフトは続けていたから、その生活を続けても大した問題はなかった。

 最初に痛風を発症したのが32歳。40歳を目前に草アメフトを引退してからは、一気に体にしわ寄せが来た。

 発作が出ると痛いから、どうにかしたいとその場では思う。だが、脳髄に刻まれた体育会タトゥーは鮮烈で、食事や酒の量を減らそうと思っても、目の前にすると我慢ができない。

 ジムに通ったが、鍛える目的を途中で見失い、気がついたら行かなくなってしまった。パーソナルトレーニングもドSなトレーナーのハードメニューに嫌気がさしてそっとフェードアウトした。

 最後の手段と、朝のジョギングを始めたところ、「痛風」の発作が常態化した。

 たまには体を動かそうと、息子に混じってフットサルをやったら、炎天下の脱水症状がたたり、翌朝両足に発症した。この時の発作は本当に辛かった。前世の業ではないかと思うほどの強烈な痛みに、私はベッドの上で涙を流した。患部が痛くて寝返りができないから、上を向いたまま天井を見つめていたら涙が頬を伝った。

■怪物の痛風

 痛風で苦しむ元アスリートは多いが、まれに現役選手でも痛風を発症することがある。

 かつて、レアル・マドリードに所属したブラジル代表ロナウド(クリロナとは別人。日韓ワールドカップでは前髪だけを残した大五郎カットで話題に)が痛風で練習を欠席したというニュースが流れた。10年以上前のことだが、トップアスリートが痛風で練習を休むという事実に驚いた。

 サッカーといえば、ボールを扱う華麗なテクニックやスーパーゴールばかりに目がいくが、数メートル〜数十メートルの全力疾走を試合中に何度も繰り返す、短距離走の要素を多分に含む競技でもある。

 スプリントはすなわち無酸素運動である。また、対人のぶつかりあい、格闘技的要素も多く含むため、筋力づくりを目的に筋トレに励みタンパク質を意識的に摂取する選手も多い。

 つまり、痛風と相性がいい。

 勝手な想像だが、サッカー界は痛風の宝庫だと睨んでいるので、これから先、優秀な痛風家を輩出するに違いない。現役選手の告白が待たれる。

 ちなみに先述のロナウドは「怪物」の異名を持ち、ブラジル代表でも不動のエースに君臨し続けるほどの才能の持ち主だったが、現役時代から節制は苦手だったようで、引退後はぶくぶくと太ってしまったから、やはり生活の乱れと痛風は紙一重であるといえそうだ。

■ちゃんこが生命線?

 痛風とスポーツ選手の相性の良さはサッカーに限らない。

 アスリート界の痛風銀座といえば、やはり相撲だろう。両国を歩けば痛風にぶつかるといったら怒られるかしら。

 医学関連雑誌にこんな記述を見つけた。

「昭和39年から30年以上相撲診療所の医師として力士の健康管理をされていた林盈六先生の著作によれば、力士の疾患として多いのは高血圧、糖尿病、痛風などのいわゆる生活習慣病で、一般男性に比べ明らかに多い」(「モダンメディア」2019年7月号より)

 相撲は体が大きい方が有利ということで、新弟子の頃から、体重を増やせと大量のエネルギー摂取を強制される。昭和51年の幕内力士の平均体重が129kgであったのに対し、現在は160kg台を推移。大型化ならぬ肥満化が進行しているが、その原因は食事だ。

 朝稽古があるため朝ご飯を食べないので、1日2食だが、昼と夜だけではやはり足りず、夜食は当たり前。酒を飲んで〆のラーメンを梯子することもあるという。これでは痛風にならないわけがない。

 いわゆるタニマチや後援会との会食も多く、彼らは力士の豪快な食べっぷりを見たいわけで、その期待に応え続けるのも楽ではないだろう。

 圧倒的に乱れた食生活でも、ギリギリ健康を維持できるのは、ちゃんこ鍋のおかげ。鶏肉を中心に野菜などバランスよく入っているから、食べすぎなければ健康にいいのだ。

 だが、いくら稽古が激しくても、摂取エネルギーを消費エネルギーが上回ることはない。必然的に相当量の脂肪が蓄積することになり、痛風の予備軍となっていく。

■土俵生命の危機

 ?72代横綱稀勢の里は、大関時代に巡業先で稽古中に足首に痛みがでて、痛風の疑いがあると報道された。

 土俵以外でも世間の注目を浴びた琴光喜は、2009年1月場所直前に、痛風による右足首の痛みで3日間入院した。琴光喜は稽古がほとんど出来なかった影響で黒星が続き、10日目で朝青龍に敗れ、大関昇進後初めての負け越しが決定した。2005年9月場所から続いていた、幕内連続勝越し記録も20場所で止まった。

 このように痛風は、アスリートに致命的なダメージを与える場合もある。琴光喜は天才的な相撲の才能の持ち主として知られたが、すべてを棒に振ってしまった。常人には計り知れないストレスから痛風を発症した可能性も否めない。

 薄い髪の毛がトレードマークの元小結・琴稲妻は、若手時代に痛風を患った経験を持つ。聞くところによると、痛風治療の為に服用した薬の副作用により髪の毛が抜けたという。薬と薄毛の正確な因果関係は不明だが、相撲取りは髷が結えなくなったら引退というルールがあるので、これはまさに死活問題だった。

 しかし、額が広がったことでお茶の間の人気を獲得したのだから、痛風の隠れたファインプレーともいえるだろう。琴稲妻は自分の頭を指差し「俺は最強だよ。だって負けない(髷ない)から」という名台詞を残した。

 ちなみに、元大関・雅山は引退の2日後に痛風が出たという。それまで発症しなかったのは、やはりちゃんこ鍋のおかげに違いない。

■立って歩くだけで褒められる

 日本の国民的スポーツである野球も、痛風レジェンドを輩出し続けている。

 アマチュア球界を渡り歩き、ソウル五輪ではヘッドコーチを務めた川島勝司氏は痛風キャリアであった。

 ソウル五輪では本大会中に発作が出て、歩くのが困難な状況になったが、痛みをおして打撃投手とシートノックをやり抜いたという。

 一度でも痛風を経験したことがあるものならば、その偉業にひれ伏すばかり。桁違いの精神力である。

 だが、痛風とはなんと不思議な病気か。球を投げて、打席に立っただけで、褒められるのだから、健康な人たちからは、ふざけた病気だと思われているかもしれない。

 川島のエピソードが美談として語られたように、野球界には痛風の理解者あるいは経験者が多いのだろう。川島はその後、野球殿堂入りを果たしている。

■長嶋は食生活を意識することで痛風も改善

 立教大学からヤクルトスワローズにドラフト1位で入団した長嶋一茂は、20代前半から痛風に悩まされていたという。痛みがひどいときは、スパイクの親指部分を切り取って試合に出たこともあるとか。

 長嶋は日本人離れした体格と長打力のある魅力的な選手で、父親に似たマイペースな性格で誰からも愛された。だが、細やかな心を持ち、心身のバランスを崩したこともある。ストレスが痛風の引き金になったのだろうか。選手としては大成しなかったが、元来の凝り性な性格ゆえ、食生活を意識することで痛風も改善したという。

 長嶋と同じヤクルトに在籍したトニー・バーネットは端正なマスクと豪快なストレートでファンを魅了した。クローザーとしても稀有な成績を残したが、かねてから尿酸値が高く、2010年シーズン中には、痛風を発症して出場選手登録を抹消された。シーズン終了後に、自由契約選手として公示されたが、2011年は先発投手不足もあって再契約。その後の活躍はヤクルトファンならご存知の通り。痛風を乗り越えた助っ人外国人は私たちに勇気を与えてくれた。

■監督の不摂生

 野球界のレジェンド広岡達朗も痛風キャリアであった。名将として知られる広岡の代名詞が“管理野球”。徹底した練習と戦術理解はもちろん、選手たちの食生活まで徹底的に管理した。1978年にヤクルトを初のリーグ優勝、日本一へと導いた広岡だが、晩節の西武の監督時代には痛風で休むことがあった。

 遠征先のホテルでの朝食中、江夏豊の一言が広岡を激怒させた事件は広く知られている。

 選手たち以上に食生活に気を遣っていた広岡に対して、江夏は「健康的なものばかり食べているのに、なぜ痛風なんですか」と聞いたのだ。

 周囲の空気は一気に凍り、広岡は江夏を一瞥すると無言で席を立ったという。

 翌週、江夏は2軍に落とされた。暴飲暴食は当たり前で、自身も若い頃から痛風を患っていた江夏、それゆえの素朴な疑問が禍根を残した。

 ちなみに、今回ヤクルトの選手を列挙したのは私が燕党ゆえ。名捕手・古田敦也氏も痛風らしいが、都心にスタジアムを持ち、スタイリッシュなイメージの強い我がヤ軍には、痛風に効く「トクホヤクルト200」を早く出して欲しいものだ。

(キンマサタカ)

関連記事(外部サイト)