1つ学年が違うだけで奴隷のような扱い…“弥栄の清悟”が味わった体育大での苛烈すぎる“しごき”の実態

1つ学年が違うだけで奴隷のような扱い…“弥栄の清悟”が味わった体育大での苛烈すぎる“しごき”の実態

高校日本代表に選ばれた山本清悟氏(2列目左から3人目) 写真=山本清悟氏提供

「耳の半分がベロンとはがれていました」不良ばかりの弱小ラグビー部が名門・花園高校と繰り広げた“死闘”の行方 から続く

 人気ドラマ『スクール☆ウォーズ』の主人公・大木大助のモデルとなった山本清悟氏。中学生の頃から札付きの不良として知られていた彼だったが、高校入学後ラグビーとの出会いをきっかけに人生を一変させた。

 しかし、そんな山本氏も大学進学後は過酷な練習環境に、「ラグビーから逃げ出したい」と考えるようになったという。そんな思いを踏みとどまらせた人物とはいったい誰だったのか。日刊スポーツ記者・益子浩一氏の著書『 伏見工業伝説 泣き虫先生と不良生徒の絆 』(文春文庫)の一部を抜粋し、紹介する。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

◆◆◆

■「悪いヤツの気持ちが分かるのは、お前しかいない」

 年が明けた1978年。3年生になった山本とともに、2年生の大八木も高校日本代表に選出された。後に伏見工業を日本一へと導く、平尾誠二が入学した年でもあった。

 大八木は真面目な少年だった。社会人になると、強面な風貌がトレードマークになっていたが、高校ジャパンで一緒にイングランドに遠征した山本は「ああ見えて、気が弱い奴でね」とその人柄を明かしている。大工だった父の背中を追い、建築科に入学した。根っからのワルだった山本とは違って、ラグビー部に勧誘された際には、素直に「そうします」と二つ返事で受け入れた。荒くれ者が集う伏見工業の中では、決して目立つ存在ではなかった。

 それでも、入学した15歳で既に身長は180センチを超えていたから、力には自信があった。ボート部の顧問をしながら、ラグビー部の手伝いもするようになる藤井は、グラウンドに出ると、しばしば相撲を取った。

「大八木はとにかく体が大きかったから強かった。でも、こちらもまだ若かったから、相撲で負けてはいられない。向こうは勝つまで挑んでくる。10回やると、10回とも私が勝ちましたけどね。それでも、なかなかのもんでした」

 3年に山本清悟、2年に大八木淳史。2人の高校ジャパンを擁するようになっても、その年も、伏見工業は花園高校の前に屈した。山本は高校3年間、一度も全国大会の扉を開くことなく、伏見工業のジャージーを脱いだ。進路を決める際、就職が頭をよぎったが、山口からこう諭された。

「悪いヤツの気持ちが分かるのは、お前しかいないやないか。そういう生徒を救ってやってくれ。お前は、教師を目指すんやぞ」

 自分を更生させ、成長させてくれた恩師の言葉に従った。断る理由など、どこにもなかった。山口の母校である日本体育大学への進学を決め、子供の頃から過ごした京都を離れた。1979年の春だった。

 東海道新幹線の新横浜駅から電車を乗り継ぎ、東急電鉄の青葉台駅からバスで10分ほど揺られたところに、日本体育大学ラグビー部の寮はあった。4人部屋での共同生活。練習時の雑用だけでなく、食事に風呂、洗濯。生活のほぼ全ての時間が、厳しい上下関係の下に成り立っていた。

 日体大は山本が入学する3カ月前の正月に、大学選手権で明治大学を破って優勝。日本選手権では新日鐵釜石に0―24で敗れたものの、大学では一、二を争う強豪だった。ちなみに、この1978年度から、「北の鉄人」と呼ばれた新日鐵釜石の7連覇の偉業が始まっている。

 伏見工業で厳しい練習には慣れているはずの山本でさえ、日体大の“しごき”はこたえた。それに加え、古傷を抱えた体は悲鳴を上げていた。

 高校2年時の近畿大会。近大附属高校との一戦で、後ろから激しくタックルに入られた際に腰を負傷し、ヘルニアを患って入院した。それから、思うように体が動かなくなっていた。

「あれから極端にスピードが落ちてしもうた。だいぶ腰に負担がかかっていたから、右足でけんけんをすることすら、できんようになっていた。それからやね、自信がなくなってしまったのは。どこかでラグビーから逃げ出したいと、ずっと考えとった」

■日体大ラグビー部の初合宿で脱走

 大学1年の8月。長野県の上田市と須坂市にまたがる標高約1400メートルの菅平高原は、真夏でも最高気温は約25度と涼しかった。そこで日体大ラグビー部は、20日間も続く恒例の夏合宿を張った。集合日には、各自が三々五々、高原にある掘っ立て小屋の合宿所に集まってくる。山本は、京都から名古屋を経由し、菅平高原へと向かった。

 バスに揺られながら山並みを眺めていると、憂鬱な気分になった。山道の急カーブで車体が大きく揺れる。すると、針で刺されたような鋭い痛みが腰に襲いかかってくる。その度に腰をさすった。長く、厳しい合宿のことを考えただけで、また深いため息が出てきた。

 この頃の大学の体育会は、1つ学年が違うだけで奴隷のような扱いをされるのが普通のことだった。ただでさえ気性が荒い山本にとって、そんなことも受け入れがたい現実としてのしかかっていた。

 菅平高原が近づき、ラグビーポールのあるだだっ広いグラウンドが見えてくると、チェッと舌打ちをした。そして、「ホンマに帰ったろうかな」とつぶやいた。

 その日は夕方から、体をほぐす程度の軽い練習だけだった。翌日の朝早くから、まるで地獄のような厳しい走り込みが始まった。腹の底から荒い息を吐き、走りながら、自問自答を繰り返した。

「俺はなんで、こんなに苦しいことをしているんやろうか。なんのためにラグビーをしているんや? もう、無理や」

 高校時代なら、すぐ側に山口がいた。そんな心を見透かし、すぐに「清悟!」と呼んで、尻を叩いてくれた。そんな恩師は、もういない。心の緩みは、自分で戒めるしかなかった。だが、山本には、それができなかった。

 午前中の練習が終わり、部屋に戻る。湿気を吸い込んだせんべい布団と、汗が染み込んだジャージーが、乱雑に積み重ねてあった。疲れ切った部員はみな、仮眠をとっていた。

 つい昨日出したばかりの自分の荷物を、山本は急いで鞄に押し込んだ。昼寝をしている先輩に見つからないように、足音を忍ばせて部屋から抜け出すと、九州から来た部員と2人で近くのバス停まで走った。山口から教わったラグビーも、そして教師になるという約束さえも、全てを捨ててしまおうと思っていた。

 行くあてもなく上田駅から、国鉄信越本線(現・しなの鉄道)に乗り込んだ。40〜50分ほど揺られていると、軽井沢駅に着いた。やけに蝉が鳴く声がうるさかった。日が暮れかけていたから、そこで1泊し、翌日に東京へと帰った。

■沈黙の後、山口が発した穏やかな一言

 その頃、日体大ラグビー部はちょっとした騒ぎになっていた。

「1年の山本清悟が逃げ出した」

 運命のいたずらか。それとも、切っても切れない縁のようなものがあったのだろうか。

 まさにその日、伏見工業ラグビー部は夏合宿のために菅平に入っていた。山本が合宿所から脱走し、山を下りたことは、すぐに山口に伝わった。

 東京に戻った山本だったが、大学の寮に行くわけにもいかず、友人の家や簡易宿所を転々としていた。夜になれば繁華街に繰りだし、浴びるほど酒を飲んだ。“弥栄の清悟”と呼ばれていた中学時代に戻ったような感覚になり、「どうにでもなればいい」と自暴自棄になっていた。2、3日そんな生活をしていると、なけなしの金は、すぐに底をついた。

「何日か飲んだくれていて、金がなくなったんですわ。それで、一緒に逃げた子と、九州で仕事を探して働こうとなった。とりあえず、俺は一旦、京都の実家に帰って親父と話をしてくる、と。大学もラグビーも中途半端に辞めてきとるし、もう京都にはおられへんのは分かっていたから。そのまま九州に行くつもりやったんです」

 新幹線で京都に行き、久しぶりに実家に顔を出した。すると、その帰りを待っていたかのように、電話が鳴った。

 山口からだった。

「おお、清悟か。そこにおったのか。よかった。今すぐに行くから、そこで待っとってくれ。必ず待っているんやぞ」

 合わせる顔などあるはずがなかった。大学を中退し、福岡で働く旨を父の清司に伝えると、すぐに家から出ようとした。大きな荷物を持って、玄関の戸を開ける。すると、小学生の頃に手を握り、離れて暮らす母のところへ一緒に行っていた妹のさかえが、大きな金切り声で叫んだ。

「男やったら、自分のやったことのケツ拭けや! 先生が家に来るんやろ! また逃げるんか!」

 振り返ると、こちらを睨み付けていた。

「うっせーな。ほんなら、残ったるわ」

 乱暴に靴を脱ぎ捨て、居間に上がる。覚悟を決めて、山口が着くのを待った。

「えらい勢いで、先生が来られるんやと思っていたんですわ。もう、殴られてもええと、思っていました。むしろ、気が済むまで、ぼこぼこに殴ってもらうことを望んでいた。そうしてくれたら、山口先生との縁が切れる。僕は京都を出て、また一から九州でやり直そうと、そんなことを考えとった」

 ようやく教え子の居場所をつかんだ山口は、菅平高原で合宿を張るチームを離れ、大急ぎで京都に戻ってきた。三条にある山本の自宅に着くと、玄関口に立ちつくした。かつて、毎朝のように訪れた家だった。懐かしさが、込み上げてくる。「ふう〜っ」と深呼吸し、額の汗を拭ってからチャイムを鳴らした。しばらくすると、妹のさかえが扉を開けてくれた。今にも泣きそうな目をしていた。

 父の清司と3人が、ちゃぶ台の前に座った。山口の母校でもある日体大の合宿所から脱走し、全てを捨てて帰ってきたのである。いつ、ぶん殴られるのか─。山本は、歯を食いしばった。

 しばらく沈黙が続いた。それを破ったのは、山口だった。

「なあ、清悟。今まで、いろいろあったな」

 その口調は意外なほど穏やかで、優しかった。まるで夢破れ、疲弊しきって家に帰ってきた我が子を、慰めるかのようでもあった。ゆっくりと、諭すように、こう続けた。

■「お前はもう、本当にラグビーを捨ててしまうんか」

「高校に入学して、初めてラグビー部に誘った日のことを、覚えているか。俺はお前と一緒に、ラグビーがしたかったんや。お前とならば、一緒に目標を持ち、夢を叶えられるんやないか、そう思ったんや。

 なあ、清悟、覚えているか。遠征の時に、お前に大きなおにぎりを渡したことを─。もう、忘れてしまったんか。母さんと離れて暮らしているお前は、もしかしたら、弁当を持って来れないんやないかと、俺はいらん心配をしたんや。それで、持っていったんやで。

 お前とラグビーをした3年間、俺は幸せやった。どうしようもないくらいのワルが、あの弥栄の清悟と呼ばれたお前が、どんどん上達していくのを見るのが、本当に楽しくて、幸せやったんや。

 なあ、清悟、お前はもう、本当にラグビーを捨ててしまうんか」

 静かな口調で、いつまでも、山口は諭し続けてくれた。その目は充血し、涙がにじんでくる。やがて一つの結晶となり、頬を伝う。一度こぼれ落ちた涙は、堰を切ったように次々とあふれ出てきた。

 じっと黙ったまま、山本は正座をしてそれを聞いていた。

 心の奥にある反発心のようなものが、暖かい陽射しを受けた氷の塊のように、じょじょに溶けていくのを感じた。自分を心配してチームを離れ、合宿先の菅平から京都まで飛んできてくれた。その拳で思い切り殴ってくれた方が、どれほど気が楽だったことだろうか。山本の中に生まれた罪悪感は、感謝と入り交じり、再びラグビーと向き合う決意に変わった。

 これほどまでに、一人の生徒のことを思ってくれる教師がいるだろうか。山本もまた、涙をこらえきれなくなり、声を出して泣いた。しばらくして、視線を上げる。真っすぐに山口の顔を見つめながら、言葉を絞り出した。

「先生、すいません。もう一度、頑張ります。もう一度、日体大に戻って、やり直してきます」

 玄関に放り投げた鞄を背負うと、山口と2人、京都駅へ向かう道を並んで歩いた。真夏の強い日差しを受けた大柄な2人の男の影が、地面に落ちる。

 蝉の鳴き声が、やけにうるさかった。

【続きを読む】「叩きつぶせ!」「屈辱を晴らしてくれ!」不良ぞろいの弱小ラグビー部はなぜ圧倒的王者“花園高校”に勝利できたのか

「叩きつぶせ!」「屈辱を晴らしてくれ!」不良ぞろいの弱小ラグビー部はなぜ圧倒的王者“花園高校”に勝利できたのか へ続く

(「文春文庫」編集部/文春文庫)

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