「僕の盟友へ」スワローズ・三輪広報が引退を決めた雄平に書いた“最初で最後の手紙”

「僕の盟友へ」スワローズ・三輪広報が引退を決めた雄平に書いた“最初で最後の手紙”

2015年10月2日、サヨナラヒットでリーグ優勝を決めた雄平 ©文藝春秋

 拝啓 雄平様

 雄平、引退発表のその後お元気ですか? チームは優勝戦線の真っ只中でなかなか落ち着かないけど、そのときに備えて相変わらずバットを振っているんでしょうね。

 引退を発表した日は忙しいだろうと、僕なりに気をつかって数日後に電話を入れましたね。とりあえず「おつかれさん」だけは伝えようと。そうしたら雄平からの思わぬ一言に僕は驚きました。「三輪さん、あのコラム……もう最後だし、僕を出してくださいよ」。

■雄平からのまさかの売り込み

 このコラムを読んでくれていることにも驚きましたが、まさかの売り込み。コラムを担当して初の事態に動揺し「もちろん……考えているよお前。まぁ焦るな!」とその時は、いささかぶっきらぼうな反応をしましたが、約束通りこうして筆を執っています。

 電話のあと、引退記念ということで後日球団公式YouTubeで公開する、雄平と僕の対談企画を撮ろうと戸田球場を訪れました。すると、そこには相変わらずバットを振っている雄平がいました。「一緒に練習するか」ともちかけ、キャッチボールやティーバッティング練習の相手をしたけど、僕が上げるトスを打っては「あぁ、ダメだ!」などと言う。もう引退するというのに、理想のスイングを追求している姿には思わず笑ってしまいました。

 2002年ドラフト1位としてプロの道に入った雄平から遅れること5年。僕は2007年ドラフト6位でスワローズにお世話になることになりました。まだ右も左もわからなかった2008年の春季キャンプ。室内練習場でのシートバッティングでマウンドに立ったのは1軍で先発ローテーションを狙う6年目の投手・高井雄平でしたね。

■強烈だった第一印象

 その左腕から放たれる球に、僕のバットはかすりもせず。ようやく当たっても全く前に飛ばすことができない。プロの一軍の投手の球に歯が立たない自分に、うちひしがれたことを昨日のことのように覚えています。

 しかし先日、当時の強烈な第一印象を雄平に話すと「三輪さん、僕も打者に転向してわかったんですけど、室内練習場(当時)の暗い照明では多分当たんないですよ。僕も一生懸命投げなければならなかったけど、あれは無理(笑)」とフォローなのか、本気なのかよくわからない返しをされて、困惑したのはここだけの話です。

 戸田球場で午前の練習が終わり、昼食を摂るため、戸田寮に向かうバスの車窓から、サブグラウンドでポツンとキャッチボールをしている雄平の姿を見たことがあります。「あぁ、やってるな」くらいにしか思わなかったのですが、1時間後、午後の練習のためにバスで戻ると、車窓からは同じ場所でキャッチボールをしている同じ姿が見えました。投手としていろいろ試行錯誤しているのは知っていたけど、ここまで愚直に基本を繰り返している姿に「こいつ、すげぇな」と素直に思ったのを覚えています。

 そんな雄平だから、打者に転向したあとも、「やめろ」と言われるまでバットを振り続けているのも不思議ではありませんでした。

■投手から野手、肉体改造と「筋肉」と

 ロッカールームの席が隣同士だった僕ら。いろんな話をしましたね。雄平が野手に転向した2年目には「投手の体型のままじゃあ、足を壊すよ」とアドバイスしたことがありました。投手は投げる専門家で、動きは限られますが、野手はいろんな体の使い方をしなくてはならない。雄平もそれはわかっていたようで、それからは肉体改造に励んでいきました。

 僕は雄平のことをことあるごとに「筋肉」と呼んでいましたが、「おう、筋肉、お前腕ちょっと細くなったんじゃないの?」って指摘すると、袖をまくって上腕を出したり、短パンをめくりあげて太ももを強調してくる。そんなポーズに若干ひいてましたが、言いたいことはよくわかりました。

 しかし、神宮球場のクラブハウスで「筋肉」がひとたび何か発言すると、不思議な静寂が訪れます。それはマンガのオノマトペで書かれる「シーン」という文字が右から左、部屋全体に流れるほど。隣の席の僕はいたたまれず「お前!どうすんだよこの空気!」とツッコむとドッと笑いが起きました。

 筋肉が何か言い、僕がツッコむ。スベリにスベる筋肉の発言を拾いまくる僕。「やめてよ、三輪さん〜」って言われたけど、ああでもしないと、試合前の雰囲気が危なかった。そういった意味で僕には感謝してほしいのだけど、あれで鍛えられたのか、今、つば九郎に反応良くツッコめる僕がいる。感謝しなくてはいけないのは僕のほうだと気付かされました。

■底なしの男・雄平

 食事には本当に良く一緒に行きましたね。お酒を飲まないということで「利害」が一致していた僕らは、遠征のたびに連れ立っていろんなお店に行きました。名古屋ではよく「タコしゃぶ」の店に行きました。僕の知人にすすめられたお店ですが、レギュラーの打者に無安打を意味する“タコ”を食べさせるのはマズいかなと内心思っていたけど、翌日、ナゴヤドーム(現:バンテリンドーム)では打ちまくっていましたね。2人で「ジンクスなんて関係ねぇな!」と笑いあったのはいい思い出です。

 大阪では土鍋で炊かれたご飯が名物の、焼き肉食べ放題の店。雄平は土鍋を何度も何度もおかわりして、店のご飯がなくなったときは、本当に食べ放題で良かったと胸をなでおろしました。だって、僕より給料が4倍も5倍も7倍も10倍も多いのに、食事のときは先輩である僕が払っていたんですから。律儀に「三輪さ〜ん、僕も払うよ」ってよく言ってくれたけど、先輩のメンツをたててくれて感謝しています。

 雄平はメシを本当に食べましたね。キャンプで通った宮崎・西都のホルモン焼きの店では、1時間以上かけてホルモン、センマイ、タンをたらふく、そして女将さんが握る名物のおにぎりを数え切れないほど腹に入れたあと、「三輪さん……僕、なんかもう、腹減ってきました……」って言い出したときはひっくり返りました。仕方なくちゃんぽん屋さんをハシゴしたけど、僕はただただ見ているだけ。この前戸田で、その話を向けたら「本当はもう一軒行きたかったんですよ〜」とポツリと言ったときには、呆れてモノが言えませんでした。

■2015年、リーグ優勝決定サヨナラヒットの“真実”

 引退会見で2015年にリーグ優勝を決めたサヨナラヒットの話をしていましたが、僕には「初めて明かす」と率直な思いを打ち明けてくれましたね。「今まで緊張したことはたくさんあったけど、あんなにも体がフワフワしたのは初めて」だと。その前までの4打席は本当に何も考えることができなくて、全くバッティングにならなかった。でも優勝を決めた5打席目はそれをパッと切り替えることができて、阪神の能見さんとの勝負に入っていくことができたと。しっかりと頭の整理をして、最高の結果を出した雄平は改めてすごいと思いましたね。

 実は、僕もあの試合、途中から出場していましたが、サヨナラの場面で、全く違うことを考えていたことをここに「告白」します。

 もし、サヨナラヒットを打った11回裏で決められなかった場合、最終回の12回表は守備につかなければならなかった。その時プロに入って初めての感情が渦巻いていたんです。

「もう守りに行きたくない」――。

 12回の表に僕がエラーをしてあの試合を落とすとなると、翌日は当日移動で広島と試合、翌々日は東京ドームにとんぼ返りして巨人と最終戦での「優勝決定戦」になる恐れがありました。広島はその年最優秀防御率を獲ったジョンソン、巨人は菅野の登板が予想され、どちらも厳しい戦いになりそうでした。

(もし14年ぶりのこの優勝のチャンスを俺のミスで逃したら……野球人生は終わる)と勝手に考えていた僕は、ベンチから(マジ!雄平、一生のお願い!もう守りたくない……だからここで打ってくれ!)とプロ野球選手になって初めて全力で他人に祈っていたんです。

 よくよく冷静になって考えれば、同点のまま12回表を守りきれば優勝決定だったんですが、そうだったとしたら、12回裏の攻撃はちょっと盛り上がりに欠けたでしょうね。

■最もキャッチボールをした仲

 そう言えば、神宮でのイニング間のキャッチボール相手はいつも僕でした。たぶん一番キャッチボールをしたのが僕じゃないでしょうか。グラブの手がしびれるほど、速い球を僕に投げ込んでくる雄平。元投手としてのスイッチが急に入るのか、「カーブ」と言っては、あまり曲がらず「抜けたぁ〜」と申し訳なさそうにする。たまに暴投して、それを気にしすぎて、次はワンバウンド。また申し訳なさそうにする表情。「おい!いい加減にしろ!」ってツッコミながらも楽しかったことを、今回、戸田で雄平にトスを上げながら思い出していました。

 最後のユニフォーム姿が見れるのであれば、僕が上げたトスが役に立つかはわからないけど、雄平らしいスイングでファンを沸かせてください。僕もグラブをカメラに持ち替えて追いかけます。

 あらためて―−。

 雄平、19年間本当におつかれさま。落ち着いたらまたメシにでも行こう。もう食べ放題は無理だけど。

 雄平の“よき理解者” 三輪正義 拝

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(三輪 正義)

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