「長嶋と同じで直観力が鋭い」日ハムのビッグボス新庄剛志(49)の“監督力”を見抜いた“ノムさんの言葉”「感性が動物的で優れている、ただし独善的になると…」

「長嶋と同じで直観力が鋭い」日ハムのビッグボス新庄剛志(49)の“監督力”を見抜いた“ノムさんの言葉”「感性が動物的で優れている、ただし独善的になると…」

阪神時代の新庄剛志 ©文藝春秋

「宇宙人だよ…」日ハムのビッグボス新庄剛志(49)に恩師・野村克也がボヤいた“至言”「おだてて褒める“野村流”が育てたSHINJOの流儀」 から続く

 プロ野球「日本ハム」の新監督に新庄剛志(49)が就任した。私は新庄の「恩師」で、2020年2月に84歳で亡くなった野村克也氏に生前何十時間にもわたってインタビューを繰り返してきた。野村氏には様々なことをお伺いしたが、その中には愛弟子である新庄についての鋭い分析もあった。ある日、何かのはずみで「もし新庄さんが監督になったら」と聞いたことがある。野村氏は「彼は長嶋と同じで直感力が鋭い」と自身の永遠のライバルである長嶋茂雄さんと比較して、「監督・新庄」の可能性について語ったが、同時に「まっ、彼が監督になることなどあり得んだろうが……」と言い添えることを忘れなかった。

 しかし、事実は小説より奇なり。自ら「BIGBOSS」と名乗る新庄は早くも球界の台風の目になりつつある。生前の野村氏の言葉から、新庄監督の可能性について探る。

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■敬遠のボールをレフト前へ打ち、サヨナラヒット

 1998年のシーズンオフ。当時の新庄は20代後半に入って、プロ野球選手として脂の乗っていかなければならない時期だった。もう一段も二段も上のレベルでプレーしてもらわなければ困る。野村は本気で彼の成長を願っていた。

 99年シーズンに入ると新庄は躍動した。前年の不振がまるで嘘であるかのように、グラウンドで輝き続けた。この年、阪神は開幕ダッシュに成功し、6月になっても中日と並んで首位を快走、新庄は4番を任されていた。

 迎えた12日の甲子園球場での巨人戦。4対4で迎えた延長12回裏、1死一、三塁で新庄に打席が回って来た。巨人ベンチはこの日ホームランと三塁打を放っていた新庄に対して勝負を避け、満塁策をとることを決意。そこで「事件」は起きた。

 初球ボールのあとの2球目。外角のボール球を思い切り踏み込み、両腕を伸ばして緩い球をとらえると、打球はショートの二岡智宏の左を抜けてレフト前へ、サヨナラヒットとなった。

■長嶋ならではのエンターテイメント精神が新庄を救った

 この日からさかのぼること2日前、前日の広島戦で敬遠された新庄は、野村と柏原純一打撃コーチに、「敬遠球を打っていいですか?」と訊ね、本気で敬遠球を打つ練習をしていた。柏原は1981年7月19日の平和台球場での西武との試合で、敬遠球をレフトスタンドへホームランしたという離れ業を持っていた。柏原は、「そんな場面がやってきたら、ベンチを見ろ」、野村は「今度な」と声をかけた。結果、新庄はヒーローとなった。

 この結果に巨人ベンチは黙っていなかった。当時の原辰徳ヘッドコーチと捕手の光山英和は、「新庄の足がバッターボックスから出ていた」と猛抗議。たしかに写真や映像で見ると、新庄の足は出ているようにも見える。だが、この抗議に終止符を打ったのは、長嶋茂雄監督だった。

「中途半端だったけど、おそらく出ていないでしょう」

 長嶋も現役時代に敬遠球を打って二塁打という記録を残している。敗戦しても潔く「出ていない」と言ったのは、長嶋ならではのエンターテイメント精神の表れだった。

■「そうですね」はタブー。頭を使って面白い発言をしなさいと促す

 この試合の直後のヒーローインタビューで新庄は、「明日も勝つ!」と断言。だが、翌日はルーキーの上原浩治に3連続三振を含む5打数ノーヒット。チームも敗れ、阪神は徐々にチーム成績が下降線をたどっていく。結局、99年、2000年と2年間は最下位と低迷。一方の新庄は、2000年に打率2割7分8厘、キャリアハイとなる28本塁打、85打点をマーク。「野村監督のおかげで力を引き出すことができた」という言葉を残して、この年のオフにFAでニューヨーク・メッツへと移籍した。

 3年後の03年秋、メジャー経験を経て、新庄が日本の球界復帰で選んだ球団は古巣の阪神ではなく、翌年から札幌に本拠地を移し、5位に低迷していた日本ハムだった。北の大地の人々はスター選手の入団に大いに沸いた。札幌一の繁華街のすすきのでは、夜の商売に勤しむ人の間で日本ハムの応援団が結成され、今までプロ野球をあまり知らなかった女性の間でも、「新庄」の名前は浸透していく。

 シーズンが始まると、新庄は縦横無尽にグラウンドを駆け回り、ファンを楽しませた。04年はキャリアハイとなるシーズン150安打を放ち、前年5位だったチームを3位に浮上させた。2年後の06年4月18日に突如として引退宣言をした後は、森本稀哲らを中心とした若手選手たちにリップサービスのイロハを伝授した。

 試合で勝利し、ヒーローインタビューを受けている若手選手がお立ち台でしゃべっている様子を、新庄はベンチの最前線で聞いていた。つまらない発言をしようものなら、徹底的にダメ出しをした。

「そうですね」という言葉はタブー――。

 頭を使って面白い発言をしなさいと促す――。

 意気込みを語るときでも、「頑張ります」ではなく、「楽しみます」と答えさせる――。

■ハーレーダビッドソンで入場、地上50mからゴンドラで落下する「新庄劇場」が話題に

 新庄の「楽しむ」には、大舞台で緊張してしまう状況を楽しんで、100%のパフォーマンスを発揮しよう、という意味が込められていた。チームが負けてベンチ内が沈んでいると、仲間に向かって、「この状況を楽しんでいるの、オレだけ?」と訴えかけることもたびたびあった。

 この年のシーズン終盤、起用法を巡って監督批判をして謹慎処分を受けていた金村暁が日本シリーズ第4戦で登板する直前、「今日の試合は楽しめないかもしれません」とこっそり新庄に言った。すると新庄は「そのときはオレが後ろから蹴りを入れる」と返した。結果、金村は中日打線を5回を0に抑えて見事に勝利投手となった。「新庄さんの言葉が力になりました」と金村は後に語っている。

 現役最終年となった06年、新庄は若手の成長を見守り続けた。目立つことが大好きな彼がヒーローインタビューでお立ち台に立ったのは、わずかに2回という数字がそのことを表している。試合前にゴレンジャーに扮装したり、ハーレーダビッドソンで入場したり、地上50メートル地点からゴンドラで落下してくるなど、「新庄劇場」と呼ばれるパフォーマンスも大きな話題となった。

 このスタイルを確立させることができたのは、メジャーに移籍した3年間による影響が大きい。見た目の派手さだけでないクレバーなプレーや、チームの士気を上げるガッツあるプレーによって、新庄は言葉の通じないメジャーのなかで仲間から信頼を勝ち得ていた。「個性を出して目立つためには、プレーの質を向上させてみんなを認めさせるしかない」。新庄がアメリカで得た一番大きな教訓だった。

■「人気、実力ともにパ」の時代の変遷を担った新庄という存在

 もう1つ見逃してはならないのは、野村との出会いだ。阪神という人気チームゆえの自己規制に加え、プレーに自信が持てないでいた新庄を、野村はあえて自由に伸び伸びやらせた結果、一皮もふた皮もむけたプレーヤーへと成長していったことも大きい。

 新庄が日本ハムにやって来たとき、「これからはパ・リーグの時代です」と断言した。当時は巨人を中心に野球界は回っていただけに、この発言は異質に聞こえた。だが、04年に日本ハムにダルビッシュ、06年に楽天に田中将大、09年に西武に菊池雄星、12年に日本ハムに大谷翔平と、甲子園で活躍したスター選手が次々とパ・リーグに入団。パ・リーグを大いに盛り上げた。

 さらに日本シリーズでは04年から20年までの17年間でパが日本一になること14回、セはわずかに3回だけ。かつて「人気のセ、実力のパ」と言われていた時代から、「人気、実力ともにパ」の時代へと変貌していった。この時代の変化に新庄の果たした役割は大きい。

■僕がプロ野球を変えていきたいなという気持ちで帰ってきました」

 引退してから15年後の21年秋――。新庄は日本ハムの監督として球界復帰を果たした。引退後はインドネシアに住んで、野球界とは一線を置いていたが、昨年、突如としてトライアウトを受けて世間をあっと言わせた。その1年後の監督就任。「僕がプロ野球を変えていきたいなという気持ちで帰ってきました」と記者会見で話した。

 今年の日本ハムはチーム成績が5位に終わり、3年連続Bクラスと低迷している。加えてシーズン途中に中田翔の暴力問題が起こり、チーム内に暗い影を落としていた。それだけに新庄に対しては期待する声が大きい。新庄が日本ハムへの入団を決めた03年秋、当時の白井一幸ヘッドコーチは、「古い体質から脱却したいと思っているとき、新庄のような考え方を持っている選手がいることは、転換期を迎えたチームにとって非常に大きかった」と語っている。

 今の日本ハムには、ルーキーながら10勝を挙げて東京オリンピックの代表選手となった伊藤大海や、将来のスラッガー候補・野村佑希といった若手の有望な選手がいる一方、清宮幸太郎や吉田輝星といった甲子園を沸かせたスター候補生が伸び悩んでいる。彼らにどんな指導をしていくのだろうか。選手に対して、新庄はこんな思いを持っている。06年の日本シリーズで日本一になった翌日の引退会見で、「一番の思い出は?」と記者に質問された新庄は、こんな胸の内を明かした。

■バッターボックスで阪神ファンからペットボトルを投げつけられた

「阪神時代の97年にファン投票1位で選んでもらって出場したオールスターゲームです。そのシーズンは成績が悪くて、1打席目にバッターボックスに入ると阪神ファンからペットボトルを投げつけられ、応援のトランペットさえも吹いてくれなかった。そのときのショックというのは未だに忘れられないんです。選手は常に一生懸命やっているので、ファンのみなさんは選手がどんなに不調であっても応援してもらいたいです」

「新庄劇場」は06年の彼自身の引退をもっていったん幕が下ろされたが、来年からは監督として「新庄劇場・第2幕」がスタートする。どんな選手を新たに発掘し、スター選手に育て上げていくのだろうか。モチベーターとして選手を乗せる姿がイメージできるが、野球理論にも期待ができる。

■ゴールデングラブ賞を10度受賞、新庄のたしかな守備理論

 今年の2月、阪神の春季キャンプをスタンドから観戦した新庄は、こんな指摘をしていた。

「外野手の構えからまったくダメ。みんなヒザに手をついて守っている。あの構え、あのスタートだからエラーをする。大事なのは瞬間的な動き。打球が来る前に動かないと。(捕球可能な範囲が)4メートルくらい変わる」

 現役時代、守備の名手の証であるゴールデン・グラブ賞を10度受賞した裏には、たしかな理論があることも証明されている。そこにエンターテイメント性を取り入れた「新庄流」は、球界に新風を吹かせてくれるはずだ。

■「新庄は長嶋と同じで直感力が鋭い」

 当時はあり得ないと思いつつ、「もし新庄が監督になったらどうなりますか?」と野村氏に聞いてみたことがある。野村氏はふっと笑みを浮かべながらこう言った。

「彼は長嶋と同じで直感力が鋭い。感性が動物的で優れている部分を活かせば面白いかもな。ただし、一歩間違うと独善的になるから、参謀に誰を置くかが重要だろう」

 ただし最後には、「まっ、彼が監督になることなどあり得んだろうが」と言い添えることも忘れなかった。

 その新庄は、恩師でもある野村に対して、自身のInstagramにこんな言葉を残した。

「野村克也監督へ こんな僕が監督になれた事を改めて報告してきました。大きな空から僕の采配、選手教育を見届けて下さい」

 天国の野村はどんな言葉を彼に返すのか。おそらく最初は、「新庄を監督に据えるなんて、日本ハムのフロントは頭がどうかしちゃったんじゃないのか?」とボヤくに違いない。だが、それに続けて、「失うものは何もないやろ。お前さんが考えている通りに、自由に、伸び伸びやってみろ」と激励するはずだ。

 日本ハムを選んだ03年同様、5位からスタートする新庄日ハム。来年は春季キャンプから、「ビッグボスSHINJO」が12球団一の注目を集めることは間違いない。野村氏をして「宇宙人」と言わしめた新庄野球がどう花開くのか、きっと恩師も空から見守っている。

(小山 宣宏/Webオリジナル(特集班))

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