現役引退・斎藤佑樹と谷口雄也…2人の“ゆうちゃん”の完成形を見たかった

現役引退・斎藤佑樹と谷口雄也…2人の“ゆうちゃん”の完成形を見たかった

斎藤佑樹と谷口雄也

 佑ちゃんが、引退してしまった。

 その時期が近いのではないかと思っていたのは事実だ。2019年を最後に、斎藤佑樹投手は1軍から姿を消していた。2020年には秋の2軍戦で右肘を痛め、リハビリしているという情報が伝わって来た。今年7月、実戦のマウンドに戻って来たのは本当にうれしいニュースだったが、テレビで見る限り、本人がイメージしているボールを投げられているとは思えなかった。

■「佑ちゃんが成功するとすれば、マダックスみたいになるしかない」

 日本ハムでの斎藤はいつも、どんな投手になりたいのか迷っているように見えた。シュートを武器に打者の懐を抉っていく投球をしていたかと思えば、フォークボーラーを目指してカウントを取る球から“落としまくって”いた時期もあった。

 入団した頃は、真っすぐで三振を奪える投手になりたいと言っていたはずだ。最初に師事した吉井投手コーチは言っていた。「速くなくても真っすぐで三振を取ることはできるからな。佑ちゃんが成功するとすれば、マダックスみたいになるしかない」と。

 グレッグ・マダックス。アトランタ・ブレーブス黄金時代のエースとして通算355勝を挙げた。精密なコントロールが武器だったことは、現在も100球未満で成し遂げる完封が「マダックス」と呼ばれるのでもわかる。ただ、正直齋藤にそこまで精密なコントロールはない。どういうことかと聞くと、こう言われた。

「インチキ投法や。これが一番うまいのがマダックス。佑ちゃんも聞いてくれれば、そりゃ教えるで」

 どういうことか。マダックスは大リーガーとしては球速がなかった。その中で打者を抑えるために、あらゆる“インチキ”を施しているのだという。投球のタイミングをわずかにずらすことで、打者の打ち損じを誘える。だから少ない球数で抑えていくことが可能なのだ。

 これは現役時代の吉井コーチも同じだった。「ワシの得意球、何か思いつくか?」と問われて「シュート」や「フォーク」と答え、首を振られた。内角を抉るケンカ投法も、野茂英雄直伝のフォークも確かに武器だったが、吉井投手の投球は直球の割合が7割ほど。メッツ時代のバレンタイン監督にも「真っすぐばっかりじゃないか!」と驚かれたことがあるという。

 ただ、佑ちゃんがこの道に踏み込むことはなかった。2014年の夏、右肩関節唇損傷からの復活勝利を挙げた際には「真っすぐは使えなくても、使うんです」と言っていた。きれいなボールを投げるだけではなく、あらゆる“術”を駆使して打者を抑えていくことに目覚めたのかと、嬉しくなった覚えもある。ただ、それから斎藤の体は肩肘をはじめ、ボロボロになる一方だった。ついに“インチキマスター”斎藤の姿を見ることはなかった。

■「この世界、大きな怪我をするとチャンスはありません」

 そんなことを考えていると、続けざまに谷口雄也外野手が現役を退くとの一報まで飛びこんできた。こちらも、覚悟していなかったと言えばウソになる。それでも思考停止するほどのショックに見舞われた。

 斎藤が入団した2011年の年明け、鎌ケ谷は異常な熱気に包まれていた。例年、屋内練習場で行われていた新入団選手のお披露目イベントは、人が集まりすぎるという予想のもと会場が屋外に変更された。1万人超が集まる中、ドラフト5位指名の選手は「僕もゆうちゃんです!」と言ってのけた。谷口を最初に認識したのは「可愛らしい物言いをするけど、何とも度胸がいいヤツ」としてだった。

 某誌の人気投票では上位常連。剛力彩芽似ともいわれたベビーフェイスも、こと野球となると何とも男らしく、肚が据わっているのだ。2年目の1軍初出場では、本塁へのストライク送球で走者を刺した。鎌ケ谷ではさんざん「守備に自信がない」とか言っていたのに。気が付けば稲葉篤紀・現GMに直談判して、オフの自主トレに同行するようにもなっていた。

 出番は順調に増えていった。年間3桁の打席をもらえるようになり、2015年には広島・前田健太から代打本塁打を放ったりもした。2軍に落とされ、いきなり打ち方を変えたこともある。なにをどう変えたのか聞いてみると「えへへ。企業秘密です」と煙に巻かれている間に1軍へ戻って行った。左打者なのに、捉えた打球はほとんど左翼に飛ぶという面白いバッティングをしていた。子どもの頃練習していたグラウンドは右翼が極端に狭く、ちょっと大きな打球は校舎に当たってしまったそうだ。気が付けば逆方向へ打つのが癖というか、特徴になっていた。

 谷口は引退発表後、自身のSNSに心境をつづった。「怪我をするまでは順調に選手として進んではいましたが、この世界、大きな怪我をするとチャンスはありません」という言葉で、目が止まった。

■新陳代謝の早い鎌ケ谷で、ベテランと呼ばれるようになった選手がこなしてきた役目

 きっかけは小さなことだった。2016年のある日、2軍戦での守備で膝をフェンスにぶつけた。痛みがあったが「出られない」と言ってはチャンスが減る。テーピングをして出続ける道を選んだ。これが選手生命を左右するなんて、全く思わなかった。

 痛みはなかなか消えなかった。翌春のキャンプ、ある日の走塁練習で膝に力が入らず派手に転んだ。ひざの状態を、チームメートにも言わずにいたため、グラウンドには笑いが起きたが「もう、無理だ」と覚悟するしかなかった。さらに「象の足みたいに、腫れてたんですよね……」。常にテーピングされていた皮膚が、壊死し始めていたのだという。改めて検査をすると、膝の靭帯がよじれておかしな部分にくっつき、全く機能しない状態だった。

 2017年の春、右ひざの手術をした。骨に穴をあけて軟骨の再生を促すなどの治療や必死のリハビリもあり、丸1年のブランクを経てグラウンドへ戻った。ただ本人の言葉通り、1軍での出番ははっきり減った。2020年など、2軍では打率.359を残しながら、1軍では7試合出場がすべて。通算140本の安打のうち、手術後の5年間ではたった15本だ。

 SNSには、こうも綴っている。「たとえ結果が出なくても、潔く終わりたいと取り組み一つを大事にしてきたつもりです。球団から肩を叩かれるまでは素直にプレイしてきたつもりです」。1軍昇格という目標がかすんできても、自分のやるべきことを考え、やり切った。それにはどれだけタフな精神力が必要なのか、想像もつかない。2軍に人がいなくなれば未経験の一塁も守った。新陳代謝の早い鎌ケ谷で、ベテランと呼ばれるようになった選手がこなしてきた役目だった。

 10月26日、西武とのシーズン最終戦でもらえた最後の打席、初球をやっぱり左翼へ運んだ。代打の鉄則は、3つしかないストライクの初球から打ちに行くこと。若い頃、2軍戦での代打で1回も振れずに凡退し、しょげていたのを思い出す。プロでやってきたことを詰め込んだ、素晴らしい安打だった。一塁ベース上で涙目になっているのを、テレビで見届けた。怪我がなければ、どんな選手になっていただろう。レギュラーではなかったかもしれないが、渋い通好みの好打者としてまだまだ現役を続けたのではないか。

 斎藤と谷口、2人のプロ野球人生は11年で幕を下ろした。谷口は「悔いが残らないようにと取り組んだ1年だったので、スッキリしていますよ」と言っていたが、あの涙を見れば悔いが皆無なわけがない。そして見ていた側にも悔いが残る。彼らの完成形は、頭の中で思い描くしかないのだから。2人の“ゆうちゃん”がプロで過ごした日々は、ファンにとっても大切な思い出だ。答えのない完成形は、勝手に語り継いでいく。

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(今井 豊蔵)

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