「カウント0―0。投手と打者、どっちが有利だと思う?」高津臣吾監督がノムさんから学んだ“戦術的発想”の極意とは

「カウント0―0。投手と打者、どっちが有利だと思う?」高津臣吾監督がノムさんから学んだ“戦術的発想”の極意とは

©文藝春秋

《スラッガー・村上宗隆の育成術》“参考にした日本人野球選手は…”高津臣吾監督が明かした若手選手の“育成指針” から続く

 初年度は投打が噛み合わず最下位に終わるも、2021年シーズンは投手の運用をはじめとしたさまざまな改革に着手・成功し、投手出身者として同チーム初のリーグ優勝を達成した高津臣吾監督。そんな同氏の戦略・戦術的発想には、現役時代にヤクルトの監督から受けた影響が大きいという。

 ここでは、同氏が二軍監督時代に著した『 二軍監督の仕事 』(光文社新書)の一部を抜粋。名将・野村克也監督から学んだ“戦術的発想”について紹介する。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

◆◆◆

■ヤクルトの監督から学んだこと

 ここまで、二軍監督の仕事についていろいろと考えてきたけれど、僕自身、野村克也監督の影響を多分に受けているのは間違いないと改めて感じた。

 日本・アメリカ・韓国・台湾でプレーしたが、戦略・戦術的な発想という意味では、「野村野球」が根っこにある。ヤクルトのスタッフの中にも、野村イズムに触れた指導者が多いので、話が通じるのが早いし、他球団で経験を積んだ指導者と話すと、考え方の違いが際立って面白い。

 こうして、監督の考え方が次の世代へと受け継がれていくのだと思う。

 僕は「野村野球」がすごく好きだ。

 なぜなら、野村監督は野球の奥深さをとことん追求していたからである。「そこまで考えなくても、ええんちゃう?」と思うようなことも中にはあったが、あらゆる要素を考えて野球をするのが、僕には楽しかった。

 野村監督の質問には、たとえばこんなものがあった。

■「カウント0―0。投手と打者、どっちが有利だと思う?」

「野球のカウントには何種類あるか、知っとるか?」

 これは意外に、気づかない選手が多い。指名された選手が少しでも考える素振りを見せると、

「そんなのも分からないで野球をやっとるのか。プロも甘くなったなあ」

 とかボヤキながら、講義を進める。

 野球ファンならご存知だと思うが、野球のカウントには0―0から3―2まで12種類ある。

 そこで野村監督は、

「カウント0―0。投手と打者、どっちが有利だと思う? 一茂?」

 などと、僕の3年先輩にあたる長嶋一茂さんを指名したりしていた。僕などは、「まだ投げてないっちゅうの」とツッコミを入れそうになっていた。

■野村監督は、ある意味で「世界一」

 いまでも印象に残っているのは、

「フルカウントになった時、投手と打者、どっちが有利なのか考えてみよう」

 という宿題が出された時だ。

 一般的には、フルカウントで走者がいればゴーできるし、打者が有利かと思いがちだが、そうとばかりも言い切れない――というのが野村監督の考え方だった。

 キャンプの夜、1時間以上、ひとつのカウントについて監督がいろいろと解説していく。僕は、どのカウントについても新鮮な気持ちで聞いていた。

 シーズンに入っても、ミーティングは続いた。野村野球の真髄は、実際の試合に入るまでの準備にある。とにかく、カウントの研究をはじめ、勉強することが驚くほど多かった。予習・復習の宿題が出て、野球で起こり得る様々なシチュエーションについて考えを巡らせる。

 野村監督は、ある意味で「世界一」だった。他球団のこと、他の監督のことは知らないけれど、試合開始前のミーティングを1時間から1時間半かけて行い、相手の打者・投手を丸裸にするなんてことは、世界中のどこでも行われていない。1990年代はビデオが普及した時代だから、映像を使いながら、監督が解説するだけでなく、投手・捕手陣がみんなであれやこれやとプランを考えていく。

■10分で終わるミーティングに驚き

 大学からプロに入って、こんなことまで考えている人がいるのかと本当に驚いた。野村監督は、野球のあらゆることを突き詰めて考えないと気が済まない人だったのだと思う。その意味で、野球をとことん愛した人だった。

 そして、僕はアメリカに行った時に、「メジャーリーグではどんなミーティングをするんだろう?」と興味津々だったのだが、意外とあっさりしていた。毎試合、全体で話し合いをするようなことはなく、連戦が始まる初戦に選手が集まるのだが、ミーティングというよりも「確認」といった方がいいような集まりだった。

 その日の先発は別として、リリーフ陣は試合前の練習が終わると、試合開始の1時間半前くらいにウェイトルームなどに集合して、ピッチングコーチからの話が始まる。

 僕が驚いたのは、選手たちがミーティングだからといって肩肘張っているわけではなく、チキンを食べていたり、ジュースをがぶ飲みしていたり、選手によっては寝っ転がったりしながらコーチの話を聞いているのである。

 すると、コーチが黄色いリーガルパッドと呼ばれるメモ用紙みたいなものを読み上げていく。

「相手の1番、調子がいいです。気をつけましょう。2番は新人で、あまりデータがありません。3番は昨日、ヒット2本打ってます」

 ずっと、この調子で、10分くらいで終わってしまった。

 野村野球にどっぷり浸ってきた僕としては、あまりにいい加減なミーティングなので驚いてしまった。

■日本の野球が外国に対して勝つために

 僕としては物足りなかったのだが、時間が経つにつれてだんだん分かってきたのは、アメリカの野球はとにかく早いカウントから勝負が決まるので、「配球」とか細かいことをあまり必要としないということだ。とにかく、ピッチャーは早めにストライクを取って、有利なカウントを作る。打者は、追い込まれる前に狙い球を打つ。

 力と力の勝負なので、細かいこだわりはない。

 こうした経験を通して、僕は野村野球が世界に通じるものだと感じるようになった。アメリカの選手や指導者から見たら、「そこまで考えなくても、野球はシンプルでいいんじゃないか」と言われそうではあるが、日本の野球が外国に対して勝つためには、こうしたこだわりが必要なのだ。

 たとえば、シートノック。日本では少年野球から練習に取り入れている方法だが、アメリカの選手はやり方さえ知らない。シートノックは優れた練習方法で、日本のプロ野球の選手たちが見せるダブルプレーの精密性や、外野から本塁、あるいは三塁への中継プレーの動きなどが洗練されていくのは、シートノックを繰り返していることが大きい。

 それにしても、1990年代に、アメリカからヤクルトに来た選手たちは、大変だっただろう。ちゃちゃっとしたミーティングしか知らないところに、いきなり1時間半も野球について考えなくてはいけなかったのだから。

■野村野球の面白さは、どこにあったか?

 野村監督の下で野球をやる楽しみというのは、突き詰めると「勝つ楽しさ」にある。ただし、つらい。

 なぜなら、野村監督はものすごく高度なことをバッテリーに要求してくるので、ずっと考えていなければならず、野球をする楽しみというよりも、考えるつらさが先に来てしまうからだ。たとえば、こんな宿題を野村監督は出してきた。

「一死一塁。どうやったら、ショート・宮本慎也の前にツーバウンドのゴロを打たせてゲッツーを取れるか考えてみろ」

 とんでもない宿題だった。それを捕手の古田敦也さんとああでもないこうでもない、伏線をこうやって張っておいて、この勝負球でバットのこのあたりに当てさせればツーバウンドのゴロになるんじゃないか、と真剣に考えていた。

 古田さんのキャッチングの技術もすごかった。いま、二軍で僕がバッテリーコーチと一緒に取り組んでいるのは、捕手が低めのボールを受ける時に、ミットがお辞儀しないようにすることだ。ミットがお辞儀してしまっては、ストライクを取ってもらえないからだ。

 きわどいところをパシッと捕り、ストライクとコールしてもらうことを、メジャーリーグでは「フレーミング」と呼び、いまでは大切な技術として重視されている。フレーミングのうまい・下手も、いまは分析されているらしい。

■野村野球の快感というものは、なんとなく受験勉強に近い

 古田さんはボールをストライクに変える魔術師だった。

 右バッターのアウトコースの球は、ミットの先端で捕る。芯ではキャッチしないという。なぜかというと、芯で補ると、ミットがストライクゾーンの外に出てしまうからだ。外角は芯でパシッと捕るのではなく、あえて芯を外して捕り、ストライクとコールしてもらう確率を高めていた。

 古田さんはある意味では異端だった。日本のキャッチング技術では脇を締めることを要求されることが多いが、古田さんは「脇は空けなきゃダメなんだよね」と言っていた。

 これも、野村監督の高い要求に応えた古田さんの技術だったのだろう。

 僕の想像では、野村野球の快感というものは、なんとなく受験勉強に近いのかなと思う。勉強している最中はつらいのだが、結果が出れば楽しい。

 実際、日本シリーズで西武の清原和博さんと対戦した時や、セ・リーグだと広島〜巨人の江藤(智)、阪神の新庄(剛志)と対戦した時などは、徹底してシミュレーションをしていた。

■「いかにしてタイミングを外させるか」

 基本的に僕のシンカーは、右打者を相手にした場合は外角から攻めていく。ただし、強打者の場合は右膝のあたりにシンカーを続けて投げる。三塁側にものすごい打球が飛び、スタンドは湧くのだが、僕からすればコントロールさえ間違えなければ、絶対にファウルになると分かっていた。ストライクを先行させ、そこからどう料理するかが、野村野球における僕の仕事で、ホームベースの角を目がけてシンカーを投げた。

 ただし当時、このような攻め方がなかなか通用しない選手がいた。巨人の松井秀喜だ。松井の特徴は、振ってこないことにある。ボール球には手を出さず、自分の狙った球をじっと待てる我慢強さがあった。特に打席ではベースから離れたところに立つので、外角に投げたくなるのだが、そこにボールがいったら一巻の終わりだった。

 振り返ってみると、松井の攻略法をずっと考えていたことは、メジャーリーグに行ってからのいいシミュレーションになっていた。

 メジャーでは3・4・5番あたりはもちろん、9番打者にもホームランがある。しかし、抑え方は一緒で、「いかにしてタイミングを外させるか」に絞られていた。どんなバッターでもタイミングさえ外せば、空振りを取れるし、身体のバランスを崩してバットの先から下側に当てさせれば、ゴロを打たせることができた。

■とことん考えてから勝負を挑んだのは、野村監督の影響があったから

 松井と対戦するにあたっては、「あと自分のボールが3キロ遅ければな」というのが、僕の「野望」だった。ボールを遅くしたいと思う投手は、世界中探してもなかなかいないだろう。松井と対戦を重ねていくと、そうしたことが見えるようになっていた。面白いのは、外角の、絶対にそこにはボールが行かないとお互い分かっているエリアに、たまに投げミスでボールが行く時だ。「ヤバい!」と思うのだが、松井もびっくりしていて、手が出ない。プロの世界でも、こうしたことが起こるのだ。

 それにしても、メジャーリーグに移籍して初めて対戦した打者が、松井になるとは思わなかったが。

 いずれにせよ、僕がとことん考えてから勝負を挑んだのは、野村監督の影響があったからこそだ。

【前編を読む】 《 スラッガー・村上宗隆の育成術》“参考にした日本人野球選手は…” 高津臣吾監督が明かした若手選手の“育成指針”

(高津 臣吾)

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