絵画の中心部が消えていく 巨匠たちが見た「光」とは

小野祐次氏の「タブロー」シリーズがシュウゴアーツで展示 西洋絵画を対象に撮影

記事まとめ

  • 小野祐次氏「Vice Versa−Les Tableaux 逆も真なり-絵画頌」がシュウゴアーツで開催中
  • ルネサンスから印象派まで、数百年にわたって黄金期を築いた西洋絵画を対象に撮影
  • 閉館中の美術館内部へ入ったことがきっかけで「タブロー」シリーズが生まれたそう

絵画の中心部が消えていく 巨匠たちが見た「光」とは

絵画の中心部が消えていく 巨匠たちが見た「光」とは

小野祐次「Vice Versa ? Les Tableaux」展示風景画像, 2018, ShugoArts

 そこは不思議な空間だった。

 ギャラリーの壁面に大きな写真作品がいくつも掛かっている。それ自体はよくある光景なのだけど、すべての画面の中心部にろくにものが写っておらず、「虚ろ」なのである。

 これら空虚な作品群による展示が観られるのは東京・六本木のギャラリー、シュウゴアーツ。小野祐次「Vice Versa−Les Tableaux 逆も真なり−絵画頌」を開催中だ。

■光を通して巨匠たちと交歓する

 会場に展開されているのは、1995年から制作が継続されている「タブロー」シリーズ。写真を用いて作品をつくる小野は、ここで被写体を絵画へと定めている。ルネサンスから印象派まで、数百年にわたって黄金期を築いた西洋絵画が対象である。小野はそれらをありきたりに撮るのではなく、展示室に落ちる自然光を利用して、できるかぎり作者たる画家と同じ条件下に身を置き撮影しようとした。

 すると絵画の画面は降り注ぐ光に満たされ、代わりに、描かれていたイメージのほうはほとんど見えなくなってしまう。周辺の額装だけがやたらと目立ち、中心部分にはイメージがほとんど存在しない、不思議な作品の完成である。

 光がなければものは何ひとつ目に見えないのだけれど、光が満ちる場所でもまた、もののかたちはあっさり消え去ってしまう。光のちょっとした加減に翻弄されながら、わたしたちは生きているのだと気づかされる。

 または、こうも考えられる。光をうまく操作することによって、小野はひと飛びに時を超え、レンブラントやフェルメール、モネら美術史に名を残す画家たちと、作品内でアーティスト同士の交歓を果たしているのではないか。

■光が満ちた美術館で得たコンセプト

 小野祐次は10歳で写真の魅力にとりつかれ、その後ずっと写真の仕事と作品づくりに専心してきた。大学卒業後にパリへ渡り、街を探索していて気づいた。芸術の都・パリには、狭い地域にこれでもかと絵画作品が集積している。しかも名画がごっそりと。

 写真家たる彼は夢想した。この宝の山のような絵画群を、なんとか写真へ取り込み還元することができないものかと。

 そこでまずは徹底的に勉強をした。美術館に通い、絵画についてのあらゆる知識を吸収していった。次いで小野は、教会に目を向ける。主祭壇は絵画や彫刻で彩られており、これを被写体に据えようと考えた。パリと近郊を巡って、千軒もの教会を観て回った。

 そんなとき、閉館中の美術館内部へ入る機会があった。ふだんは堅く閉ざされている展示室の雨戸を開けてもらうと、室内に光が満ちた。真正面から光を受けた一枚の絵画に目をやると、そこに描かれたイメージが光によってみるみる消えていく。

 それを目にして、小野は一瞬で、「探していたものはすべてここにある」と悟った。この光景を写真にすればいい。「タブロー」シリーズのコンセプトが生まれた瞬間だった。

 無数に教会を観て、感覚が研ぎ澄まされていたからこそ、美術館の展示室内で起きたささやかな「美の奇蹟」を、見逃さずに捉えることができたのだろう。

 以来20年以上にわたって、「タブロー」は撮り続けられている。その精華がいま、ギャラリーに集まり光を放っているのである。

 かつて小野が全身を打ち貫かれたまぶしい光を、わたしたちも追体験してみたい。

(山内 宏泰)

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