「こんな嫌な女の役を、どうして私に?」市原悦子はなぜ『家政婦は見た!』の主演になれたのか…視聴率30%超を記録した“土ワイ”の制作秘話

「こんな嫌な女の役を、どうして私に?」市原悦子はなぜ『家政婦は見た!』の主演になれたのか…視聴率30%超を記録した“土ワイ”の制作秘話

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 2時間ドラマの元祖『土曜ワイド劇場』(テレビ朝日系)が始まってから、45年近くが経過した。推理もの一辺倒で“ワンパターン”と揶揄された“土ワイ”だが、過去の作品を遡ってみると、推理もの一辺倒だったわけでも、話がワンパターンだったわけでもないのだ。

 ここでは、阪南大学教授の大野茂氏が、2時間ドラマの軌跡を追った著書『 2時間ドラマ 40年の軌跡 増補版 』から一部を抜粋。1980年代に起きた2時間ドラマをめぐるテレビ朝日とTBSの戦いや、市原悦子主演の『家政婦は見た!』(テレビ朝日系)の舞台裏などを紹介する。(全2回の1回目/ 後編を読む )

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■異母兄弟の仁義なき戦い

 テレビ草創期に“ドラマのTBS”の謳い文句を考え出した田中亮吉が、テレ朝への移籍後に番組開発のきっかけを作った土ワイ。それに挑むTBSの初の2時間ドラマ枠。異母兄弟の仁義なき戦いの火蓋が切られた。

 まず起きたのは、企画を考える外部プロダクションの争奪戦だった。とりわけ、大映テレビをめぐって紛糾した。土ワイ2代目チーフ関口恭司には強烈な思い出がある。「突然に大映テレビの大堀昭治社長がやって来て、TBSの『ザ・サスペンス』の制作をするから土ワイから全面撤退したいって。急にそんなこと言われてもさぁ、こっちだって困るよ」。大映テレビは『ザ・ガードマン』『赤いシリーズ』『噂の刑事トミーとマツ』など数々の名作を手がけ、TBSと強固な絆があった。

「延々3時間ぐらい話して。じゃぁ、春日千春と野添和子はTBSに行かせます、柳田博美とほかの若い連中ならお貸しします、で渋々ながら手打ちしたんだ」。

 されど、残り物には福がある。その余った柳田が、土ワイ最大のヒット作を企画するとは、このときの関口には知る由もなかった。

 キャスティングでもTBSは力を見せつけた。人気絶頂の沢田研二、夏目雅子をはじめ、岩下志麻、大竹しのぶら大物が並ぶ。ストーリーにはお色気シーンも土ワイ同様に盛り込まれる。同じ推理もの、どっちがどっちの番組か分からない。

 その頃、土ワイの東西合同会議で、関口はABCの山内久司に呼び止められた。「関口ちゃん、TBSのあだ名って知ってるか?パクリのTBSって言うんだ。気ぃつけや!」と、山内がこんな助言をするのには訳があった。

 1975年の腸捻転ネットワークの解消時に、ABCの『必殺』がテレ朝系列に移った。高視聴率の『必殺』が消えて困ったTBSは、大阪の毎日放送と東映に、必殺ソックリの時代劇『影同心』を作るよう命じたのである。しかも『必殺』でメガホンを執った深作欣二までが『影同心』の演出に加わった。深作は東映出身とはいえ、それこそ仁義にもとる。制作は毎日放送と東映だったが、実の首謀者はTBSである。山内の怒りは尋常ではなかった。ABCも制作に関わる『土曜ワイド劇場』と『ザ・サスペンス』の対決構図に、山内は同じものを感じたのだろう。

 関口の証言。「うまーくパクるんですよ、あそこは。オリジナリティーはないけれど、真似は上手いよね。TBS見てると、あ、あれパクったこれパクったってよく分かりましたよ。『平凡』を真似して『明星』ができたのと一緒よ。それから10年ぐらい経ってフジテレビの横沢彪さんに会ったら、またパクリのTBSがねって。はぁー業界では有名なんだと判った。俺だけ知らなかった。強い局をパクるのは、まだ許せる。弱い局をパクるってのは仁義にもとる。だから俺は嫌いなのよ」。

 もともと土曜夜9時の枠は、裏番組との激しい競争下にあった。それまでも土ワイは日本テレビ『熱中時代』『池中玄太80キロ』、TBSの前番組『Gメン'75』、フジテレビ『ゴールデン洋画劇場』などの強敵に苦しめられてきた。それでも、『ザ・サスペンス』が始まる前の81年、土ワイは年間平均視聴率20・9%と驚異のスコアを叩き出していた。それが翌82年には17・7%に低下。83年には16・9%にまで落ち込んだ。視聴率のパイの食い合いは誰の目にも明らかだった。

■テレ朝とTBSの“戦法”とは?

 迎え撃つテレ朝も、ただ手をこまねいていた訳ではない。『ザ・サスペンス』の第1回放送の4月10日には、高視聴率が期待できる松本清張原作の『風の息』を3時間に枠を拡大してぶつける作戦に出た。というのも、TBSは当初、第1回に同じ松本清張の『内海の輪』を予定していたからだ。しかし、それを受けてTBSは『内海の輪』を翌週に回し、急遽、沢田研二主演の『陽のあたる場所』に切り替えた。早くもオンエア前から場外乱闘気味である。

 その後もテレ朝は常時30本のストックを作り、その中からTBSの放送リストを睨んで勝てそうなタマ(または捨て駒)をぶつける戦法をとった。たとえば、

〈・82年4月17日

【TBS】『松本清張・内海の輪』

【テレビ朝日】『西村京太郎・北帰行殺人事件』

・82年5月1日?

【TBS】『入試問題殺人事件』

【テレビ朝日】『妻と愛人の決闘』

・83年10月8日

【TBS】『情事の計算書』

【テレビ朝日】『横溝正史の真珠郎』〉

 83年末までの1年9カ月の視聴率争いはTBSの38勝43敗1分。やや負け越しだが、小差でほぼ互角の勝負。眠れる獅子・TBSは目を覚ましつつあった。

 82年9月11日に放送した『惨事・バスガイドの殺意』(主演・古手川祐子)は同枠での最高視聴率28・3%をマーク、しかも外注ではなく、堀川とんこうプロデュースによるTBSの自社制作である。テレ朝の関口は当時の心境をこう語る。

「きつかった…ウチが勝っても2〜3%くらいの差でしか勝てない。ところが、負けるときは10%以上の開きが出る。ビートたけし・樋口可南子が主演で、久世光彦が演出の作品(『みだらな女神たち』)なんて素晴らしくてね。そういうときにはイヤになりましたね」

 形勢が傾いたのは翌年に入ってからだ。TBSは次第に負けがこみ始め、6月下旬までで9勝23敗1分で大きく水をあけられてしまった。5月に放送したレオナルド熊を刑事役に起用した『熊さんの警察手帖』が14・5%、萩原健一と金沢碧のベッドシーンで売ろうとした『宣告』に至っては11・8%と立て続けに15%を割り込み、これが引き金になって『ザ・サスペンス』はその年の9月末で終了することになった。

 土ワイはこの年に17・6%まで平均視聴率を戻した。2年6カ月にわたる死闘は、サスペンスドラマ以上にスリリングな展開だった。

 結果、軍配はテレ朝に上がったものの、関口は胃も心もボロボロになった。とりわけ関口や塙淳一ら土ワイ班にとっての痛恨事は、同僚の吉津正の死であった。享年47。一時期、別の2時間ドラマ枠である『月曜ワイド』をテコ入れするために土ワイを離れていた関口に代わり、3代目チーフプロデューサーを務めたのが吉津であった。

 『ザ・サスペンス』との消耗戦に神経をすり減らし、映画会社との昼夜を問わぬ打ち合わせが病魔を呼び寄せ、彼の身体を蝕んだことは想像に難くない。むしろ殉職と言ってもいいだろう。亡くなる3カ月前の84年6月13日付の日刊ゲンダイの取材に応じて吉津はこんな言葉を遺している。

「ボクは口が酸っぱくなるほど、長い目で見てくれたらウチのほうが優れているのが分かるはず、と言ってきましたからね。TBSさんが撤退してくれるというなら、ウチの勝利ということ。順当な結果だと思う」

『ザ・サスペンス』との真剣勝負を振り返って、関口は「苦しかったけれど、学んだことはたくさんあります。勝てた原因は、実力のある作家や監督がこちら側についてくれたこと、面白い脚本作りに徹したこと、人気シリーズをいくつも持っていたこと。そして、ライバルがいたからこそ、いい作品ができる!唯我独尊からは何も生まれては来ない。食うか食われるかのテンションの状況の中からこそ、いい作品が生まれるものと信じています」と語る。

■家政婦は来た!

『ザ・サスペンス』との戦いの渦中、TBSとの大映テレビ奪い合いで、土ワイ陣営にただ1人加わってくれた大映テレビのベテランが柳田博美である。『ザ・ガードマン』などの演出を数本手がけた後、監督からプロデューサーに転じたが、同僚の春日千春や野添和子のように名刺代わりになる大ヒット作はまだなかった。

 80年代初め、もっとも高視聴率が期待できるのは、松本清張原作ものだった。スケールの大きな長編のテレビ化権はすでによそに取られてしまっている。そこで柳田は『熱い空気』という短編に狙いをつけた。

 遡ること20年ほど前の63年に週刊文春で3カ月ばかり連載されていた小品である。手練の家政婦が派出先の秘密を覗き見して、人間模様を暴き立てる物語である。柳田はテレビ朝日の塙淳一にその小説を読んでもらった。

「ものすごく面白いけど、本当に嫌な話なんですよ。主人公がひどい女で、他人の家庭を覗いて、そのアラをえぐり出して自分で楽しむというね」(塙)

 例によって土ワイの企画選びはプロデューサーの合議制である。塙の提出した『熱い空気』の企画書が採択会議にかけられた。さて、結果はどうだったか?

 実は会議ではあまり得点が伸びず、『熱い空気』は通常なら採用が見送られるはずだった。殺人が起きるわけでもなく、派手なシーンもない。逮捕劇もないまま、それでおしまい。

 主人公は地味な中年女性である。清張の原作を忠実に映像化する難しさも課題だった。裏表ある主人公の性格の悪さが視聴者の反発を呼び、とてもドラマに感情移入などできないのではないか。その証拠に、過去に2度、他局で単発で映像化されたことがあるが、さして話題にもなっていなかった。

 ところが、投票結果を無視して、強引にこの企画を推す人物がいた。誰あろう、この競馬式予想投票法を始めた初代チーフだった井塚英夫である。会議に出席していた宇都宮恭三はそのときの様子をこう述懐する。「ほかの人があまり評価しない中で、井塚だけが“コレは絶対に当たる要素がある!?とかなり強引に推しまして」。同じく出席者の関口の証言。「世間はこういうのが好きなんだよって、鶴の一声で決めちゃった。彼は番組が当たるかどうかには動物的な勘がありましたね」。

 ワイドショー出身の井塚にとって、主婦の下世話な欲望を、彼女たちに代わって満たしてくれるこの主人公こそ、真のヒロインに見えたのだろう。

 とはいうものの、この難しい主役を誰に演じさせるのか。現に3年前の79年に『熱い空気(TBS版)』を放送したがそれきり。プロデューサー・石井ふく子、監督・鴨下信一をもってしても、である。塙と柳田の相談の結果、市原悦子しかいない、ということになった。

■「こんな嫌な女の役を、どうして私に?」

 市原は名門・俳優座の出身。66年、テレ朝がまだNETテレビの時代に、大ヒット作『氷点』で芝居のうまさが注目され、70年代には各局の昼のメロドラマに出演、お茶の間の女性の好感度も高かった。

 土ワイでも記念すべき第1回放送『時間よ、とまれ』でストリッパー役を、26%を記録した『戦後最大の誘拐・吉展ちゃん事件』では犯人の情婦役を務めており、土ワイにとっては弁天様といったところ。部内でも彼女なら良いよ、と正式にゴーサインが出た。

 そして、塙と柳田、脚本家の柴英三郎が揃い、市原悦子と六本木のイタリアンレストランで1回目の番組打ち合わせ。市原は開口一番に彼らに言い放った。

「こんな嫌な女の役を、どうして私に?」

 無理もない。松本清張の原作では、子どもをそそのかして老母の耳に大火傷を負わせるのである。演者の市原自身も困惑するほどの性悪女。これをどうすれば少しでも愛されるキャラクターにできるか。

 まず市原が、都はるみの歌を口ずさむ。仔猫の「ハルミ」に話しかけ、孤独な心中を吐露する。小銭を1枚1枚数えるすかんぴんな姿。それを毎回アドリブで演じる。主人公のキャラクターにはこうした市原のアイデアが多数盛り込まれた。

 撮影後の局内試写では「面白い!」とそれまでと一転。土ワイらしからぬコミカルな坂田晃一の劇伴音楽と、覗きドラマでありながら、決して下品にならない富本壮吉の演出が絶妙にマッチ、主婦に非常に受けるだろうとの評価を得た。

 さて、これをどのタイミングで放送するか。折しも土ワイはTBS『ザ・サスペンス』と2時間ドラマ戦争の真っ最中。一番効果的な所にぶち当てるために、テレ朝はオンエアの機会をずっとうかがっていた。

 完成から待つこと半年、83年7月2日、『熱い空気・家政婦は見た!夫婦の秘密“焦げた?』は満を持して放映された。裏のTBSは三田佳子主演の『スイートホーム殺人事件』。ともに家庭が舞台のドラマが同時間でぶつかり合ったのである。

 翌日にビデオリサーチから発表された視聴率に土曜ワイド班はアッと驚かされた。なんと27・7%。同じ松本清張原作『みちのく偽装心中』の28%に迫る、その時点での土ワイ歴代2位の記録だった。浮気を覗く、というだけの話がである。

 プロデューサーの塙も予想だにしていなかった結果に、さっそく第2弾制作の話が持ち上がったが、1話限りでもう原作がない。塙は柳田と一緒に松本清張の元へ懇願しに行った。

「どうしても市原さんのキャラクターを大事にしてシリーズ化したいのです」

「私の原作はこれで終わりだ。後はオリジナルで好きなように作っていいよ」

 清張は快諾してくれた。それというのも、視聴率がことのほか良かったからである。清張は自分の作品がテレビ化された際の視聴率をことさら気にする作家だった。もし、視聴率が悪かったら、もうダメと断られただろう、とは塙の弁。

■『家政婦は見た!』がスタート

 ただし、第2弾以降、設定はそのまま引き継ぐが、主人公の名を河野信子から石崎秋子に変えることで一線を画すことにした。シリーズのタイトルもズバリ、『家政婦は見た!』としてスタートした。

 当時、土ワイはもちろん、ほかの2時間ドラマ枠でも女性が主人公のシリーズは極めて珍しく、同じ土ワイの中で、夏樹静子原作・十朱幸代主演の『女弁護士・朝吹里矢子』があるぐらいだった。しかも、こちらは単なる家政婦。刑事もの、裁判ものと違って、何ら権力を持っていない。さらに、シリーズ化が決まったとたんに急に期待をかけられて、毎回30分拡大の2時間半。

 そこでシリーズ化に当たっては、社会情勢をタイムリーに取り入れ、リアリズムを追求する方針にした。脚本家の柴英三郎の手元には、大映テレビのスタッフが集めた膨大な資料がそのつど届けられた。柴に言わせれば「市原さんともよくお話ししたんですけど、これは解決できない、解決のないドラマ。家政婦は暴くだけなんです。暴かれた相手は翌日からまた不敵な顔をして、元と同じ生活を送る。タイトルの通り、見るドラマで、裁くドラマではないんですよ」つまり、ドラマの形を借りた社会派ドキュメント、ありのままを世に晒すのを狙いとした。

 家政婦は視聴者を代表してスキャンダルを見る。彼女の目を通してドラマが進行していくので、自ずと主役の市原の出番がとても多くなる。柴は全体の9割方を彼女の登場シーンにしたという。

 一流の役者は劇中のキャラクターを自分のほうに引き寄せる。市原悦子は嫌われ役だった主人公をどんどん自分の中に取り込んで、途中から正義の味方に変えていった。シリーズ4作目になると、エリートの前で啖呵を切るおなじみのスタイルが定着した。プロデューサーの塙は、撮影のたび市原から「私の演技、エラそうに見えてなかった?」と問われ続けたという。

 果たして、市原悦子=家政婦・石崎秋子は、渥美清演じる『男はつらいよ』の寅さんと比較されるまでにポピュラーな存在になった。数多の亜流ドラマを生み、主人公の属する大沢家政婦紹介所は本当にあるかのように思われ、ファンの間ではロケ地を手がかりに所在地推理まで行われるほどであった。

 松本清張の原作を離れ、初のオリジナルとなったシリーズ2作目『家政婦は見た!エリート家庭の浮気の秘密みだれて…』(84年10月13日放送)は、土ワイの歴代最高視聴率30・9%を記録している。これは関東での土ワイ唯一の30%越えであり、2時間ドラマの記録として未だに破られていない。

【 後編を読む 】

『土曜ワイド劇場』を彩った高橋英樹、船越英一郎の名演はどのように生まれた?「片平なぎさ、水野真紀といった女優の引き立て役に…」 へ続く

(大野 茂)

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