「江頭や出川君以前の、嫌われタレントの代表格が僕でした」ルー大柴(68)が語る、それでもキャラを変えられなかったワケ

「江頭や出川君以前の、嫌われタレントの代表格が僕でした」ルー大柴(68)が語る、それでもキャラを変えられなかったワケ

ルー大柴さん 

姉たちとは異父姉弟と発覚、10代でヨーロッパ放浪へ…ルー大柴(68)が語る、複雑すぎた“青春時代” から続く

 90年代の1度目のブレイクを経て、00年代にブログ経由で再ブレイクしたタレントのルー大柴(68)。「藪からスティック」「寝耳にウォーター」といったルー語は、いまや老若男女を問わずすっかり定着している。?

 そんな彼に、なかなか芽が出なかった下積み時代、小堺一機や関根勤との出会い、ブレイクのきっかけとなった『浅草橋ヤング洋品店』抜擢や「トゥギャザーしようぜ」誕生などについて、話を聞いた。?(全3回の2回/ 1回目 を読む)

◆ ◆ ◆

■勝新太郎に「馬鹿野郎!」と怒られたワケ

ーー付き人をやられていたのが、なかなか現在のルーさんからは想像できません。サッとタバコに火をつけたり、ササッと座布団を敷いたりされていたのですか??

ルー大柴(以下、ルー) やった、やった。もう、言われる前にパパッと。あんまり気が利くもんだから、三橋(達也)さんに「異常サービスはやめろ」って言われたことあるけど(笑)。?

ーーサービス過剰を通り過ぎて、異常だったと。?

ルー 結局、付き人は「もういいや。十分やったな」って、2年半くらいでやめましたけど。その後に三橋さんに付いた人から「三橋さんは、ルーさんのことをすごく誇りに思ってるよ」なんて言われてね。辞めるときは、ちょっと喧嘩別れみたいなところもあったから、なおさら嬉しかったですけど。?

 それから、三橋さんのマネージャーからさち子プロって事務所を紹介されて入ったんですよ。?

ーー当時の写真が1990年に出された自伝「ルー大柴のLIFE IS ONCE」に掲載されていましたが、当時のルーさん、カッコいいですね。?

ルー 2万円出してプロのカメラマンさんに撮ってもらったの。改めて見てみると、うまい写真だなと思うけど(笑)。着ているセーターは、2番目の姉が編んでくれたやつですね。六本木では外国人向けのバーでちょっと歌ってたことがあったんだけども、そのライブに行く時に「持っていきなさい」なんて渡されましたね。

ーーその後、24歳だった1978年、勝新太郎さんが開いた勝アカデミーの第1期生に。入学テストの時から、講師だった岸田森さんには目を掛けていただいたそうですが、勝さんから可愛がられたりとかは??

ルー 勝さんなんて、僕がいたことすら知らなかったんじゃないかな。ルー大柴で世に出てきたときに、誰かが「あいつは勝アカデミー出身ですよ」と教えるくらいはあったと思うけど。?

 僕が売れてから、勝さんの芝居を観に行ったんですよ。で、楽屋にメロンを持っていって。そしたら「おまえ、馬鹿野郎。現金置いてけ」って怒られた(笑)。横にいた玉緒さんに「あなた、なに言ってるの。ほんとごめんなさいね、ルーちゃん」なんて謝られたけどね。?

ーー勝アカデミーで小堺一機さんと出会うわけですよね。最初から意気投合はされましたか??

ルー クラスは違ったんですけど、絞られていって最後のほうで一緒のクラスになった。小堺くんは『ぎんざNOW!』(TBS、1972年10月〜1979年9月)の「しろうとコメディアン道場チャンピオン大会」で優勝したのかな。それでちょこちょこテレビに出てたんだけど、彼としてはコメディアンだけじゃなくて芝居もしたいからって勝さんのところに入ったという。?

 ほんと、ものまねがうまくて笑わせてくれましたね。あと、司会もうまかった。だから、僕の結婚式は彼が司会を務めてます。?

■モデル、アングラ劇団、会社員…長かった「迷走期」

ーー結婚は1981年、27歳のときですね。結婚後はイベント会社に勤めたり、大柴享介の芸名でアングラ劇団に参加したり、モデルをやったりと、言い方が悪いかもしれませんが迷走期といいましょうか。でも、その頃に原宿のレストランバー、ペニーレーンで小堺さんと関根勤さんがやられていたステージに誘われて参加したことが、後のブレイクに繋がるわけですが。?

ルー うーん、そうね。たしかに迷走期ではあるんじゃない。いろいろバイトやりながら、なんとか自分の道というものを見つけようっていうね。?

 だけど、すぐに子供もできたから。母親に「女房子供を泣かすな。10年やって芽が出なかったんだから、もうやめろ」と言われて、「たしかにその通りだな。ミルク代稼がないといけないな」と。それで、夢を諦めようって。自分でも、もう才能ないと思っちゃってたし。?

 ペニーレーンでは、小堺君、関根さんとコントみたいな芝居をしてたんですよ。最初、関根さんとは距離があったんですよ。警戒し合うみたいなね。でも、一緒に芝居をやってると、その人の本心とかわかるもんなんですよ。?

 お互い、ちょっとツーンとしてたんだけど、僕がひとりで芝居してる時に関根さんが台本で口元を隠して笑ってたんですよ。それで、僕のことを気に入ってるんだなってわかって。僕がクドくて面白かったんじゃないですかね。?

■キメ顔の写真がラジオで騒がれ、転機に

ーーその後、モデルをやられていた時に撮った写真が、小堺さん、関根さんのラジオ番組『コサキンDEワァオ!』(TBSラジオ、1981年10月〜2009年3月)で騒がれるんですよね。サングラスのツルを咥えていたり、ウエストポーチを下げてキメ顔している姿がネタにされたことで『コサキン』に呼ばれ、さらに関根さん主宰のカンコンキンシアターにも参加して、ルー大柴としてグワッと。?

ルー 関根さんに「ちょっと、ラジオに出てくれ。ルーのことが、すごい話題になってるんだけど」と言われたとき、僕は一度お断りしたんですよ。金魚の糞みたいに、関根さん、小堺君についていくのも嫌じゃない。でも、「じゃあ、1回だけ出るよ」と出たら火がついちゃって。で、カンコンキンの公演でさらに火が。?

 それで、関根さんと小堺君がいた浅井企画が「ルーちゃん、うちに入ろうよ」って。でも、その前に「おまえは入れない」って言われてたんだけどね(笑)。?

■「こういうのがテレビをダメにするんだ!」萩本欽一との対面

ーー浅井企画といえば大将こと萩本欽一さんですが、ルーさんのことを認めていたのですか??

ルー テレビで僕が出ているのを見て「こいつは嫌だ。こういうのがテレビをダメにするんだ」って怒ってたらしいの(笑)。でも、もう僕は浅井企画に入っちゃっていて、事務所の幹部たちも「ルーは、実はうちの所属でして」とは言えなくなっちゃっていて。それで小堺君と関根さんが、大将との顔合わせをする場を設けてくれて会うことになったんですよ。?

 僕は二人にはっきり言いましたよ。「大将の間にうまく入ってくれよ」って。「大丈夫だって。うまくやるから、絶対に大丈夫だから」なんて言うもんだから安心してね。でも、大将がやってきたら、ふたりともモジモジしちゃって借りてきたネコみたいになってるの。?

 こりゃ、ダメだなと思って「ハ〜イ、欽ちゃん! 見てるよ! いつも!」「俺がルー大柴だ〜! カッ!」って立ち上がってハグしてね。「やめろ、ルー君。やめなさいって!」って、大将が必死になって僕を引き剥がそうとしてたけど、それで浅井企画入りの最終OKが出たんじゃないかな。まぁ、非常になし崩し的だけど。?

ーー『コサキン』や『カンコンキン』あたりまではマニア受けする存在でしたけど、30代半ば、『浅草橋ヤング洋品店』(テレビ東京、1992年4月14日〜1996年3月」のMCを務めてお茶の間の人気者になりましたよね。?

ルー その前に『ますこっとたわー』って深夜番組の司会をやってたんですよ、TBSで。ローカルだったと思うんだけど。2部構成で、4時間ぐらいやってたのかな。それで放送が終わって帰ろうとしたら、当時のマネージャーが「ちょっとさ、ルーちゃんは知らないかもしれないけど。テリー伊藤さんって人が、話があるからって来てるんだけど」って言うの。?

 そしたら廊下にテリーさんがいて、「実はこういうのをやるんだけど、やってくれないか」って直でオファーされて。?

■海パン、マニョマニョ…「とにかく名前を売ろうと必死だった」

ーーカンコンキンではなにかと海パン一丁になっていましたし、『浅草橋ヤング洋品店』ではオープニングテーマ「君にマニョマニョ」に合わせてクネクネ踊ったり、あの頃のルーさんは奇怪だけど強烈に引きつけられるものがありました。?

ルー 海パンになったり、 「マニョマニョ」を踊ったりしたのは、とにかくルー大柴という名前を売ろうと必死だったから。嫌われてもいいから、ひとまず名を売っておけば、後で芝居もできるかもしれないじゃない。そのためには、欽ちゃんやタモリさんとは違ったキャラクターでやらなくちゃだめだなって。誰かの二番煎じじゃいかんなと。?

 それに、女房も子供も食わせていかなきゃいけないから、死物狂いなとこもあったし。振り切ってましたよね。それが、たまたまテレビを見ている方たちにグッときたという。?

ーー「アデランス」のCMでの決めゼリフ「トゥギャザーしようぜ」が、また人気に拍車を掛けました。?

ルー ちょこちょこ舞台でも、「ウェイト!」「ワーット」といったルー語は使ってたんですけどね。でも、「トゥギャザーしようぜ」はやっぱり大きいですね。でも、あれを考えたのは僕じゃなくて、代理店の人なんだけどね(笑)。?

 あのCM、実際に毛を剃ってくれと言われて断ろうとしてたんですよ。わざわざ剃るのは嫌だったの。それで家に帰って女房に「こんな話があるんだけど、やめようと思ってるんだ」って話したら、「バカ言ってんじゃないわよ。コマーシャルなんて、なかなかこないんだから受けなさいよ!」って怒られた。?

 それで次の日に考えをコロッと変えて、「やっぱりアデランスやろうかな」って言って剃りを入れましたよ(笑)。まぁ、剃るといってもすく程度だったけど。?

写真=石川啓次/文藝春秋

「藪からスティック」「虫のインフォメーション」…ルー大柴(68)が明かす、「ルー語」誕生、影の立役者の存在 へ続く

(平田 裕介)

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