レギュラー13本を捨てて結婚、夫は「俺の年収を超えるな」と…上沼恵美子(67)が語る、理不尽すぎた“結婚生活”

レギュラー13本を捨てて結婚、夫は「俺の年収を超えるな」と…上沼恵美子(67)が語る、理不尽すぎた“結婚生活”

上沼恵美子さん

 今、女性芸人の世界が揺れている。女性芸人といえば、当たり前のように「ブス」「デブ」「非モテ」をいじられ、そこで強烈なインパクトを残すことが成功への足がかりとされてきた。

 しかし、持って生まれた容姿や未婚か既婚かどうかの社会属性などを「笑う」ことに対して、今世間は「NO」という意思表示をし始めている。「個人としての感覚」と「テレビが求めるもの」、そして「社会の流れ」。三つの評価軸の中に揉まれながら、女性芸人たちは新たな「面白さ」を探し始めている。

 この「女芸人の今」連載で、たくさんの女性芸人にインタビューをしてきた。芸風や年代に関わらず、女性芸人が女性芸人を語る時、必ず出てくる「上沼恵美子」という名。

 かつての女天才漫才師は、レギュラー13本をあっさり捨てて関西テレビ社員だった夫と結婚、そして出産。なにわのヤング主婦としてタレント業を始め、いつしか「西の女帝」と呼ばれるようになった上沼恵美子。「ネット嫌い」から一転、現在YouTube『上沼恵美子ちゃんねる』を開設し、瞬く間に人気チャンネルとなっている。

 以前インタビューで「私は自分で苦労を買って出たのかもしれません。自分だけの面白い『人生ゲーム』を作るために」と述懐していた上沼。彼女だけの「人生ゲーム」とは何なのか。上沼家のリビングでその半生を振り返る。(全3回中の1回/ 2回目 を読む)

◆ ◆ ◆

上沼 べべちゃんほら、こっちに来なさい。

――フレンチブルですか、かわいいですね〜。

上沼 前までトイプードルもいてたんですけど、2年前に亡くなりまして。その子と2匹一緒に毎週シャンプーに行かせてたんですけどね。

 トイプードルってきれいになって帰ってくるんです。ブローしたのがわかるんです、ふわーっと。でもこの子わからへん。短毛やから。だから聞くんですけどね。「ほんまにシャンプーしてもらった?」って。しゃべらへん。

――(笑)。

上沼 100年前にね、どなたかが「100年後はどうなってる?」っていう予言をしてたらしいんです。100項目ぐらい挙げて、ほとんどが当たってたそうなんですよ。その中で1つだけはずれてたのが「犬がしゃべってるであろう」。

――しゃべらないのは残念ですか。

上沼 犬はしゃべったらダメだと私は思うんです。犬がしゃべったら飼う人減ると思います。結構嫌なこと言ってると思うんですよ。なにも言わないで、目だけで表現してるから愛されるんですよね。

 週に1回シャンプー行って。いいもん食べて。ワーン言われて一生終えるんですよね。私ほんと、次は犬で生まれたいんですよ。しゃべらなくていいし。

――しゃべらない方がいいですか、来世は。

上沼 もう今世はしゃべりすぎました。

■ほしいと思うものは、手に入れてきた

――今世に「やり残した」と思うことはないですか?

上沼 私ね、ほんともう物欲ゼロなんですよ。こんなこと言うのあれですけど、ほとんど自分の物欲は手に入れてきましたので。

――かっこいいです。

上沼 そんな言うてる人嫌でしょ、ほんとにね。言いながら嫌でした、今(笑)。私、スーパーで値段見ながらカゴに入れたことないんですね。これ言うたら、やっぱり主婦の方々には反感をくらいましたけど。若い時からそうできたのは、やっぱり働いてたからだと思うんです。働いて自分のお金があったから。

――結婚当初の、専業主婦時代はどうでしたか。

上沼 結婚して主人からもらっていたのは10万円ぐらい。10万円でおばあちゃんと子供ふたりと私で暮していけませんよ。これあかんなと思って、それからは全部私の収入で賄ってました。

 主人は人生のいいパートナーだと思ってますんで、養ってもらうとか、そんな意識は全くないですね。特にこの世界ではタレントさん、歌手の方、みなさんおっしゃいますね。自分で生きてるって言いはります。そういう気持ちがないと、まず活躍できない世界なんでしょう。

 長く続いた地上波の番組がバンとなくなりました。でも私としては、負けん気でもなんでもなくて、もうネットの時代にきたなと思ってるんですよ。

■「私、東京に進出したかった」と夫の前で言ったら

――もし自分が東京で仕事をしていたらどうだったんだろう……と考えたことはありますか。

上沼 それはあります。一回関テレの番組で、ハワイのロケがあって。うちの別荘で主人やみんなと飲んだり食べたりして、その時、私、ちょっとぐでんぐでんになりましたね。「私、東京に進出したかったわ」ってみんなの前で言ったことがあります。「ちょっと悔しいな」って。

 みんながホテルに帰って夫とふたりになった時「君はそんなこと考えていたのか」と言われました。「え? そうよ」って言ったら、意外な顔をしてましたね。「僕を裏切って、よく生きてきたな。とんでもないわ」みたいな顔でした。東京に行きたいと思うだけでもダメ、みたいね。

――思うだけでもダメ……。

上沼 やっぱりね、芸能界を志したかぎり、東京やないとあきませんよね。大阪に留まって頑張ってる子たちには「大阪で頑張って、大阪を盛り立ててね」って言うてますが、やっぱり東京ですよね。

 なんでかというと、私の『快傑えみちゃんねる』が一番面白かったと思うんです、番組の中で。誠心誠意やってました。あの汗、あのおしゃべり、あれだけのエネルギー……キー局からやったら一発で売れてただろうなと思います。

 やっぱりね、革靴の上から水虫掻いてるようなもどかしさというのは、大阪はあるんです。いくら頑張ってもローカルタレント……というのが私の中でちょっとムッとしたところです。どれだけ汗を流そうと、どれだけ喉に筋立ててしゃべろうと、一緒やねんなというのは思いましたね。

 だから「M-1」で暴言吐いた子もわかります。私を知らなかったんだと思いますから、仕方ないです。ローカルタレントの寂しさですね。あれは虚しい朝でした。

――「暴言」というのは、とろサーモン久保田かずのぶさんとスーパーマラドーナ武智さんのインスタライブの件ですね。

上沼 家にもいっぱいマスコミが来たんですよ。私が怒り散らすと思ってたみたいなんですね。私、どうでもよかったんです。暴言はけしからんと思います。

 まあでもね、若い人はみなさんご存じないです。チャッとやめましたからね。チャチャッと働いてチャッとやめて、結婚して、ダッと子供産みましたから。それはわからないのは無理もないです。島田紳助さんが悪いんですよ。

――審査員に引き込んだ。

上沼 そうです。それなのに、紳助さん、先にやめましたからね。だからYouTubeのゲストにね、紳助さんには絶対来てもらおうと思うの、責任とって。あの人は断れないと思いますよ。

――「M-1」のあの騒動の時の上沼さんは「関西でたくさん番組を持っている権力のある女性」みたいな言われ方をされていました。

上沼 そうです、そうです。

――その言われ方はとてももどかしかったです。権力ではなく、面白いからあそこの席に座ってるのにと。

上沼 権力なんてないです。吉本でも松竹(芸能)でもないし、ひとりでやってるわけですから。ずっとひとり。まあ、でも主人がいましたんでね。いつでもやめれるわって気持ちがあったかもしれない。

 ただタレントのことだけを考えると、虚しいですね。ローカルはしんどい。東京にたまに行くと「ほんまにおったわ、パンダは」みたいな感じなんですよね。珍獣か私は!

――「上沼恵美子は実在した」(笑)。

上沼 そうなんです。それはやっぱり露出がなかったからですね。NHKの『バラエティー生活笑百科』を観ているのは、ご高齢の方が多いわけで。

――私も『バラエティー生活笑百科』で上沼さんを知った一人です。上沼さんのご主人は、いつも上沼さんに「えみちゃん、君は本当にきれいだ」って言ってると思っていました(笑)。

上沼 そんなんノイローゼになりますよ(笑)。もちろん作家さんがいたんですが、ほらを吹くようになったのは私なんです。初期の頃は全然面白くなかったので。それで、もう変えたれと思って、全部変えて、自分で台本作った。それで「大阪城が実家なんですよ」というのから始まったんです。

 それがバカウケしたので、「あんな風にちょっとほらを吹くキャラを作っていただけませんか」って作家の先生にお願いしたんですね。あれも30年近くやらせていただきましたが、ちょうどもう吹くほらがなくなってやめました。

■千里・万里時代、活躍はすぐにできた

――少し遡って、海原千里・万里時代のお話をお伺いします。上沼さんは高校生の時から漫才をやられていましたよね。

上沼 はい。3時間目まで学校行って。4時間目からもう早退で、あの汚い楽屋に入って。吉本でも松竹でもない、梅田の小さいストリップ劇場を改装した寄席小屋。

――そこに制服姿の高校生が入っていく……違和感ありますね。

上沼 そうですよ。化け物屋敷みたいでしたもん、あの楽屋は。そんなところに制服着た、溌剌とした若いのがね……。漫才好きでもないのに。今は「M-1」とかあるから、芸人はかっこいいと思われますが、当時は芸人なんてとんでもないって時代だったんですよ。人に笑われる。言うたら、蔑まれるような世界でした。

 うちは父親が中田ダイマル・ラケットいう人たちの大ファンでしてね。涙流しながら淡路島のテレビで笑ってました。日曜日は大阪に私も連れて行かれて、寄席に行って、帰りにフグ食べて帰って来る。それが彼の生きがいだったんです。

ーー英才教育をされていたんですね。

上沼 そう。娘がちょっと喋れるわ、歌も歌えるわというので、『素人名人会』っていうのに無理矢理出されて。そこからうら若き乙女が、人に蔑まれる笑われる世界に……。もうむちゃくちゃな父親でしたね、今思えば。

 ただ、活躍はすぐにできました。NHKからレギュラーが決まりまして。『土曜ひる席』という、『生活笑百科』と同じ枠です。そこからレギュラーで、海原千里・万里時代というんですか、姉と漫才やってた時代はレギュラー13本やってましたね。

――学校に行けなくなりますね。

上沼 学校は行かなくなりました。だから中退です。

 元旦なんか、東京大阪の飛行機を1日2回乗りましたから。コント55号が司会で、明治神宮とフジテレビのスタジオと、大阪の劇場もつないでたかな。東京のスタジオにも300人ぐらいお客さん入れて、そこで漫才1発目やって、大阪帰ってきて劇場やって、もう1回東京に行って。元旦は航空会社が干支の置物くれるので、その置物の数でどんだけ飛行機乗ってたかわかる。

 だから漫才師の時代も大活躍はさせていただいてたんですよ。でも、結婚して子どもができてからの方がさらに忙しかった。

■一番多忙だった、40代半ばの頃のスケジュール

――一番忙しかった時の1日のスケジュールってどういう感じだったんですか?

上沼 そうですね、44、5が一番忙しかったかな。土曜日は朝のワイドショー『いつでも笑みを!』を関西テレビから全国ネットでやってたんですね。それが8時半にスタートですから、5時に起きて朝風呂入って、それから顔塗って。特殊メイクなんで時間もかかる。

 それが終わって今度は読売テレビに行って『週刊えみぃSHOW』。それをやって帰って来るのが3時ぐらいかな。帰りの車でスーパー寄ってもらって、夜ご飯をチャッチャッチャッチャーと作ってたらもう子供たちが帰ってくるという感じですかね。

――聞いているだけでも目が回りそうです。

上沼 レギュラーは、NHKもやってたし、全局やってたんですよね。ABCは『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』とラジオとやってました。『えみちゃんねる』もあったし、その時は関西タレントで、納税額1位になりました。

 あれ、新聞社から電話かかってくるんですよ。「納税額1位おめでとうございます」って。何にもめでたくないんですが。「感想は?」とか言われるんですよ。「しんどいです」って答えたら「わかりました」って。ええんかいそれで。

――結婚当初はとても小さいお家に住んでらっしゃったと、朝日新聞の連載で読みました。

上沼 結婚した時ね。18坪言うたらわかりますか。そこに主人と母が住んでいて。そこへ嫁いでいったわけです。まあ、1年で引っ越しましたけど。子供もできて、その時45坪ぐらいになりました。

 それから着々と……私何軒も持ってたんです。8軒ぐらい買ったのかな。1回計算したことがあって、固定資産税思ったら気が遠くなりましたわ。ハワイにも2軒持ってた。それから今、別居してる主人が住んでるマンションですよね。姑さんが絵を描くためにアトリエとして買ったマンションなんてのもありました。

――すごい。

上沼 姑とちょっとでも離れたかったから(笑)。そんなのも全部キャッシュで買いました。この家もキャッシュです。

■「お給料、いくらもらってるの」と言えなかった新婚時代

――新婚時代からお姑さんと同居は、嫌ではなかったですか?

上沼 そんなもんだと思ってました。レギュラー13本投げ打ってでも結婚したかったんです。結婚して、18坪の狭い狭い家。ほんとに寂しい22歳の新妻だった。

 うちの旦那は入社から定年まで自家用車で会社に通った人なんですよ。関西テレビの前のパーキングを借りっぱなしにして「上沼様」って。そんな人、社長でもいないですよね。

――その美学をずっと上沼さんが支え続けた。

上沼 そうですね。「お給料全部ちょうだい。一体なんぼもらってるの」って言えなかったんです、好きだから。結婚する時に、私もある程度お金持っていきましたしね。でもね、1年で200万使っちゃったんですよ。これはあかんと思って、ちょっと働き出したんですね。

 お金のためもありましたけれども、仕事はリフレッシュでもありました。まだ燃え尽きてませんでした、私。結婚して明くる年の7月に復帰してます。

 土井勝先生という方の、料理番組。関西テレビです。月に1日行ったら4本撮ってくれる。それで、国民健康保険になりました。私、23から自分の保険です。今、主人は定年になって私の保険使ってます(笑)。チキショー。

――(笑)。

上沼 それなのにね、市役所からこんなペラペラの保険証がくるじゃないですか。それは世帯主の夫の名前で来るんですよ。夫が封筒を破って「ああ保険証だ」って、ピュッと投げるんですわ。

 それを私がパッと取って「ありがとう」って。これ、誰払ってる? 23から私、払ってる。それにあなたは乗っかったんやんか、15年前に! あと、保険証はもうちょっといい紙で作ってほしいですね。

――仕事に復帰される時もいくつか条件があったそうですね。泊まりの仕事はだめとか。

上沼 そうです。歌うたったらあかん、芝居もあかん。西は姫路まで東は琵琶湖まで。泊まりはだめ。色々言われましたね。

――自分の年収を超えてはいけないというルールもあったと。

上沼 そうです。すぐ超えました。次の年に超えました。ハッハッハ、ざまあみやがれ。

?

――そんな理不尽な条件も飲んで、お金も稼いで、子育てして、家事やって、お姑さんとも同居して。どうしてそんなにがんばれたんだと思いますか?

上沼 できますってみなさん、それ与えられたら。だって他を知らないもん。知らないって怖いですね。周りの人より私の方がようさん働いてるとも、知らない。楽しくはなかったですけど。皆さんに言われます、「よくやりましたね」って。

写真=釜谷洋史/文藝春秋

「ポテトサラダを作るのがいかに大変かがわからない人間が、偉そうに言うてるわけですよ」上沼恵美子(67)が明かす、“主婦タレント”という肩書きへの思い へ続く

(西澤 千央)

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