「要するに、センスがないんだな」すべらない話の声優・若本規夫17歳の人生を救った恩師の言葉

「要するに、センスがないんだな」すべらない話の声優・若本規夫17歳の人生を救った恩師の言葉

声優・若本規夫の人生を救った言葉とは?(筆者提供)

「要するに、センスがないんだな」――この恩師による言葉なくして、今の声優・若本規夫は存在し得ない。

 声優歴50年、大ベテラン・若本規夫の人生を綴った『 若本規夫のすべらない話 』より一部抜粋。17歳の若本少年のセンスを否定する言葉が、なぜ救いとなったのか?(全3回の1回目/ #2 、 #3 を読む)

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 中学3年で出会った先生も、いい教師だったね。

 中村先生っていうんだけど、関西大学法学部を出て、しばらく刑務官をやって、それから教職を取って、先生になったという経歴。その先生も、やっぱり熱血だった。

 その頃、父と進路相談をしていて、高校は理系に進んだらどうかという話になった。兄はふたりとも文系。エンジニアの父としては、末っ子の僕に、理系の道に進むように託したのかもしれない。僕自身は将来のことなんて深く考えていなくて、父がそう言うならじゃあそれでいいよという感じで、受験に向けて一生懸命勉強した。

 それで入ったのが関西大学第一高等学校。高校に入っても僕はとにかく勉強ばかりしていた。理系なので、数学、物理、化学、生物の授業についていくのが精いっぱいだったんだ。

■人生を救ってくれた原先生の存在

 高校2年生の夏くらいからかな、急に数学が難しくなった。数Iのときはわりと成績はよかったんだけど、数IIでよくわからなくなってしまった。でも、自分の努力が足りないんだろうと思って、さらにねじりハチマキで勉強していたよ。

 関大一高は、関西大学と付属の高校と中学校がある広大なキャンパスに、春は桜、秋は紅葉で、点々と校舎があって、円形劇場もあったりする、非常にユニークな高校だった。先生も大学教授並みに専門知識があって精鋭揃い。

 その中に、原先生という数学の先生がいて、担任教師だった。長らく土木の仕事をやっていて、地下鉄の工事の設計などを経て、その後教師になった人。60歳を過ぎていたのかな。みんなの話を、うんうんと聞いてくれる温厚な先生で、ほとんど怒ったりしなかった。

 考えてみれば、その先生の言葉が後の僕の人生に大きく影響を及ぼすこととなった。

■打ちのめされた「センスがない」という言葉

 その頃の僕は、数IIで勉強がよくわからなくなっても、なんとか勉強に食らいついていた。それなりに手応えはあった数学のテストが返ってきた日、答案をぱっと見るなり、赤が多いのに気づいた。

 おかしいなあ。80点は取れているという自信があったから、誰かの答案と間違えたんじゃないかと思った。だけど、答案は間違いなく僕の字だ。

 点数を見ると、15点だった。

 そのとたん頭は真っ白。先生による答案の解説があったんだろうけれど、まったく覚えていない。気がついたら授業が終わっていて、夢遊病者みたいに、職員室まで先生を追いかけて、デスクにまで詰め寄っていた。

「先生、僕は寝る間も惜しんで勉強したのに、なんで、こんな点数なんですか!!」

 相当どでかい声を出したものだから、ほかの先生もびっくりしたと思う。でも、原先生しか目に入らない。そしたら先生は、「うーん」と、天井を見て、しばらくして……。

「要するに、センスがないんだな」

「センスがない」というのが一瞬何を言っているのかわからない。でも、「うっ」と思い至ったことは「もう挽回のしようがない」っていうこと。もう、この道を進んじゃいけないよ、というのを悟ったんだ。

 センスという言葉は、いろんな意味合いがある。才能とも資質とも違う。志向も含まれている。好みとか、数学の方向性を知っているとかね。

「今回は残念だったけど、大丈夫だよ。頑張っていこう」そういう言葉もどこかで期待していたけど、原先生は過去、現場を渡り歩いてきた人だからね。できないことをできると言って、もしアクシデントにつながったら、えらいことになる。だからはっきり言ってくれた。センスがないということは、つまり、もうダメだということだ。

 僕はしばらく絶句して、完膚なきまでに打ちのめされたんだな。17歳の挫折だった。

■そのおかげで「早稲田大学法学部」に合格

 でも次の瞬間、稲妻のような光がパチッと入ってきた。それでその場で、「3年生から、文系に移ります!」と言い放っていた。

 すると、原先生が、僕の目をすっと見て、「それがいいかな。それで決まり……」と言った。それを聞いて、妙にすっきりしたね。

 このとき温情で、変に慰められて、情をもったような言い方をされたら、僕は「もう少し頑張ってみます」と理系に残っていたかもしれない。そしたら最悪の結果になっていたと思う。それ以上、どんなに頑張っても成績は上がらなかっただろうからね。

 自分でも薄々感じていたこと。僕は理系の才能はないなって。心当たりもあった。母方は筋金入りの文系家系。どうもそちらを受け継いだんだな。理系をあきらめて文系の道に進む。父にも話してわかってもらえて、高校3年生になって文系に移った。

 そしたら授業が面白いんだよ。するする入ってくる。数学とか物理とか、理系の科目はまず問題にとりかかろうというとき、目の前にブロックが積まれているように感じていた。そのブロックを取り除くのに、すごく時間がかかる。時間をかけて解き放して、やっと理解できる。だから、勉強が苦しいわけ。

 でも国語も歴史も英語も、授業を聞いているだけでわかるから、家に帰って勉強する必要がない。好きだから無理なく受け入れられるんだよね。

 すると、学年テストでいきなり200人中のトップ10に入った。それで、ものすごく楽になったね。原先生のおかげ。拝むような気持ちだよ。

 そうなるとなんだか、東京の大学に行きたくなった。そのまま関西大学にエスカレーターで行けるんだけど、東京に憧れもあったしね。

 それで受けたのが早稲田大学。受験も調子がよくてスラスラ書けて、法学部に受かっちゃった。

■少林寺拳法との不思議な出会い

 下の兄貴が中央大学を卒業したばかりで東京にいたので、下宿を見つけてくれて。上京したのが3月下旬のことだった。

 その年の10月に東京オリンピックがあるというので、新幹線ができるという頃。でも、そのときはまだできていなくて、特急で大阪から7時間半かかった。

 道中長いから、何か本を買おうと駅の構内で見ていると、背表紙に、『秘伝少林寺拳法』と書いてあるのを見つけた。「門外不出」と書いてある。売っている本なのに、「門外不出」ってのもおかしな話だよね(笑)。創始者・宗道臣の数奇な運命。戦争が終わって、中国大陸に残って、少林寺の長老と巡り会って、そこで鍛錬を積み重ねて、すべてを委ねて、法灯を得るという話。電車に揺られながら読んだそんな武勇伝の内容が、妙に頭に残っていたのかもしれない。

 1週間後の早稲田大学の入学式。大隈講堂を出ると、クラブやサークルの新人勧誘の出店がずっと並んで、笛や太鼓で呼び込みをしている。

 4号館の教育学部の前を通りかかると、『少林寺拳法 若人よ、来たれ!』と書かれたのぼり。フラフラッと近づいたら、ガバッとつかまれて、「入部希望か、はい、ここに名前書いて、下宿先の電話番号書いて、入会金は500円」って畳みかけるように言われて。それでなんとなく書くと、何月何日に1回目の合同練習がある、夕方6時半、体育館で2時間やるから来なさいと……。

 どうしようかと思いながらもトレパン姿で行くと、新入部員が3、40人いるじゃない。先輩たちがぐるっと囲って、「構え!」って教えるのを見て習う。

 気がついたら、ずっと続けていた。幼い頃から体が弱くて、身体を鍛えなきゃ、根性をつけなきゃ、社会ではやっていけないんじゃないかって思っていたのはたしか。

 けれども、なぜそこに行ったのかはわからない。のぼりが見えたからというだけ。要するに、縁なんだよね。不思議と辞めようと思わなかったんだ。

 新人たちはほとんど少林寺拳法をしたことがない、まるっきりの素人。だからそのうち、昼も江戸川公園で練習して、目白のほうへ出て、椿山荘の横をぐるーっと回って1周して走る。それから、人を両肩にかついでスクワット、拳立て、腹筋。2時間みっちりだから、きつい。僕もきついはきついんだけど、徐々に体力がついてきた。春に新人が60人入ったんだけど、夏の合宿の時には25人しか来なかった。

 過酷すぎて倒れるやつも多かったけど、僕は意外と大丈夫だった。未熟児育ちで鍛えたからね……(笑)。結局、卒業時には、新人部員は6人しか残らなかった。僕が残ったのは、執念だな、意地。これを辞めたら、大学生活がダメになるなと思ったから。

 というのも、法学部に入ってすぐ、人の書いた法律を勉強するというのが、面白くないと気づいてしまった。僕には向かないと、早々に悟った。だから授業に出なくなった。大学には行っていたよ。授業に出ずに、図書館でいろんな本を読んでいた。

■文学部まで吉永小百合を見に行ったことも

 好き嫌いじゃないけど、僕は、ひらめきを大事にする。だから、瞬発力はあるんだ。でもね、順序立ててやることが非常に苦手なんだよ。だから、俳優業はダメなのね。

 俳優業は、積み重ねていかなきゃいけない。でも、声優は、スタジオに行って、パッと見て、パッとやる。セリフを暗記する必要もない。俳優は1カ月ぐらい稽古するし、セリフを覚えなきゃいけないからね。

 と言いながら、少林寺拳法はコツコツ頑張って積み重ねていくもの。自分の身体を鍛えることについては、何の苦にもならなかった。

 やっぱり格闘技をやると自信がつく。男っぽくなる。だけど、僕は奥手でガールフレンドもいなかった。少林寺拳法も男ばっかりだし、女っ気なし。

 一度だけ、文学部まで、みんなで吉永小百合さんを見に行ったことがある。

 吉永さんも早稲田の同窓生なんだ。学生食堂でクリームソーダみたいなのを飲んでるのを、遠目で見ていたよ。華やかな思い出といったらそれくらいだな。

「僕は、法を執行する人間じゃない」声優・若本規夫がたった1年で警察官を辞めた事情 へ続く

(若本 規夫)

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