黒ずんだ屋根を拭いてやりたい…小2の息子が初めて東京ドームを訪れた日

黒ずんだ屋根を拭いてやりたい…小2の息子が初めて東京ドームを訪れた日

東京ドーム(2014年撮影) ©菊地選手

 東京ドームの天井を見上げるたび、私は白い屋根の内膜に広がる黒ずみを拭いてやりたくなる。未成年にタバコの害を伝える時に見せられる、「喫煙者の肺」の画像を連想するのは私だけだろうか。

 今季からオーロラビジョンをリニューアルした東京ドームだが、その前に屋根をきれいにすればいいのに……と思ってしまう。ただ、あまりに真っ白過ぎると、打球と屋根が同化してフライを見失う確率が高まるのだろう。それでも、あの黒ずみを見るたびに東京ドームが不憫でならない。

――あんなにたくさん試合を見せてくれたのに、汚れを拭いてやれなくてごめん。

 つい、そんなことを考えてしまう。

 恐る恐る東京ドームの運営会社に「屋根は掃除しないのですか?」と問い合わせてみたこともある。クソ忙しいのに余計な仕事を増やすな、と無視される可能性もあると思っていたが、後日、東京ドーム広報室から丁寧な返答が届いた。

「東京ドームの屋根は、フッ素樹脂コーティングした不燃性のガラス繊維素材からなり、2重膜構造です。ホコリやゴミは雨で自然に洗い落とす自浄作用があるため、外膜の清掃は開場以来一度も実施したことはありません。内膜の清掃に関しては非公表とさせていただきます。ご意向に沿えず恐縮ですが、ご理解いただけますと幸いです。今後の清掃につきましては、現状は予定しておりません」

 残念ながら、しばらくは黒ずみを見上げることになりそうだ。

■東京ドームは水風呂である

 野球は広い空の下で見るものだと、声高に訴える人もいる。たしかに、屋外球場の開放感は最高だ。抜けるような青空と野球の相性は抜群で、ビールが進む野球ファンも多いだろう。

 その一方で、高温多湿の日本だからこそ、ドーム球場のありがたみを忘れたくないとも思う。日頃はアマチュア野球を取材することが多く、年間通して灼熱の太陽や気まぐれな風雨にさらされながら野球を見る身としては痛切に感じる。

 夏場の日中に屋外球場で高校野球を見て汗だくになり、夕方から空調の効いた東京ドームで社会人の都市対抗を見る時など至高の時間だ。サウナの後の水風呂のように、「ととのう」感覚がある。今年は3年ぶりに夏開催の都市対抗が戻ってくるので、ぜひ試してみてほしい。

 4月から小学2年生になった息子に、「とうきょうドームにつれていって」とせがまれるようになった。プロ野球全球団を等しく愛し、「12球団箱推し」を宣言する息子だが、初めてのプロ野球観戦は読売ジャイアンツ球場のファーム戦だった。その後はJR中央線・総武線で水道橋駅を通り過ぎるたび、息子は「うわぁ、とうきょうドームだぁ!」と車窓にくぎづけになっていた。

 4月某日。妻子を連れて東京ドームへと向かった。水道橋駅を降り立った時から、息子は私の手を引いてこう言った。

「はしりたくなっちゃう!」

 遠くに野球場が見えると、不思議と早歩きになる。人間にはそんな本能が搭載されているのだろう。ゲートを通過し、回転扉を抜けて私たちは東京ドームの内部に入った。

 あの非日常空間がいい。コンコースを抜け、青いシートと緑の人工芝を見て「東京ドームに来たなぁ」と実感する。そして天井にはお馴染みの黒ずみ……と思ったが、ナイトゲームでは汚れが目立たなかった。「てんじょうたかいねぇ」と気にする様子もない息子を見て、社会の闇を見せずに済んだ安堵感があった。

■東京ドームはアトラクションである

 しかし、同じく初の東京ドーム来場となる妻が気になることを口にした。

「ちょっとまぶしくて見づらい?」

 最初は「なんでそんな水を差すようなことを……」と思いかけたが、たしかに我々が座った一塁側内野席中段から打者方向を見ると三塁側スタンド上方に設置されたLEDライトがまぶしくて見づらい。野球に明るくない妻だからこそ、東京ドームの明るすぎる問題に気づけたのかもしれない。そこで私はアマ野球観戦経験を生かし、「目の上に手のひらでひさしを作れば見やすくなるよ」と対処法を授けた。

 巨人の先発投手は菅野智之。コントロールがよく、投球リズムが心地よく、野球観戦に不慣れな人には最適な投手だ。ところが、対する阪神の先発投手が藤浪晋太郎。見事な相殺ぶりで、試合は早くもなく遅くもないテンポで進んだ。

 試合中、ライトが「右」、レフトが「左」という意味だと知った息子は、不思議そうな顔でこう言った。

「じゃあ、なんで左バッターはキャッチャーの右にいるのに『左バッター』っていわれるの?」

 守備のポジションは、キャッチャーから見て右がライト、左はレフトと呼ばれる。ところが、打者はキャッチャーから見て右に立つと「左打者」、左に立つと「右打者」と呼ぶのはおかしいではないかというのだ。

 私は「うーん、なるほど」と苦笑いを浮かべるしかなかった。野球のことなんて何でも知ってますという顔をしているくせに、実際は何も知らないのだ。

 息子は場内で買った『キャプテン・ハヤトのぼっかけ焼うどん』に「この世にこんなうまいものがあるのか」という顔でむさぼりついた。しきりに周りを見回しては、2階席を指差し「あんなたかいところで見てこわくないの?」と不思議そうに尋ねたり、応援バットをねだったり、応援歌にワンテンポ遅れて応援バットを叩いたりと、東京ドームの空間を堪能しているようだった。

 9回表。マウンドに巨人の新守護神である大勢が上がった。つま先立ちになる独特の投球フォームを見て、息子は立ち上がってマネを始めた。これから全国の野球少年が大勢のマネをする日も近いのだろう。

 大勢が大山悠輔に技ありの2ラン本塁打を浴び、試合は1点差になった。もし延長戦に突入すれば、帰宅時間がさらに遅くなってしまう。小学生の保護者としては、時間をきちんと区切って帰るべきではないか。悩みながら息子に「延長戦になったら帰ろうか?」と聞いてみた。

 ほぼ即答だった。

「いやだよ! ぜったいかえりたくないよ。さいごまで見る!」

 妻は「そう聞いたら、そう言うに決まってるよ」とあきれ顔だった。甲子園大会で連投中のエースに「いけるか?」と聞く監督と同じくらい、ずるい質問だなと反省した。

 幸い延長戦に入ることなく、巨人が1点差を守り切った。試合終了直後、興奮した息子の乳歯が1本抜ける小さなハプニングもあった。

 試合が終わると、私たちは東京ドームの出口へと進んだ。回転扉の隣の出口が開放され、係員がしきりに「帽子が飛ばされますのでお気をつけくださーい!」と叫んでいる。私は息子と妻を誘い、その出口へと進んだ。

 息子は突然の強風に「うわー!」と絶叫して、駆け足で東京ドームから飛び出した。空気圧の関係で、東京ドームの出口には強風が吹き荒れている。そんな仕組みも息子にとっては格好のアトラクションだった。

 息子は嬉々として言った。

「いままできたきゅうじょうで、いちばんすき!」

 いつか息子が東京ドームの黒ずみに気づく日も訪れるに違いない。無力な私には、東京ドームの屋根の汚れを拭いてやることはできない。それでも、そんな汚れを含めて東京ドームを愛せるよう、息子を育てることはできる。

 また家族で東京ドームに行ける日が待ち遠しくなった。

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(菊地選手)

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