SPEEDの“プロ意識”「大人たち以上に失敗は許されない」、安室奈美恵は…DJ赤坂泰彦61歳が目撃した“とんでもない番組”『夜もヒッパレ』の舞台裏――2021年BEST5

SPEEDの“プロ意識”「大人たち以上に失敗は許されない」、安室奈美恵は…DJ赤坂泰彦61歳が目撃した“とんでもない番組”『夜もヒッパレ』の舞台裏――2021年BEST5

赤坂泰彦さん

2021年(1月〜12月)、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。エンタメ男性部門の第2位は、こちら!(初公開日 2021年11月11日)

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 DJの赤坂泰彦さん(61)は、ラジオで一世を風靡した後、『夢がMORI MORI』、『THE夜もヒッパレ』などへの出演でテレビの世界でも頭角を現すように。『ヒッパレ』は、番組でグループ名が決まったSPEEDや安室奈美恵さんといったその後のJ-POPを牽引する若手、さらには目を見張るような大御所が時に同じステージに立つという前例を見ない音楽バラエティ番組でした。“DJ赤坂”が目撃した「とんでもない番組」の舞台裏について伺いました。(全3回の2回目/ #3 に続く)

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■阪神・淡路大震災の被災地から「赤坂、遠慮しないでくれ」

――1993年からスタートした『赤坂泰彦のミリオンナイツ』(TOKYO FM)ですが、阪神・淡路大震災が発生した1995年1月17日には「平成7年兵庫県南部地震スペシャル」として、混乱のさなか、まだ連絡がつかず安否もわからない被災地にいる家族、知人や友人に伝えたいメッセージを届けるという内容に変更して放送されました。

赤坂 あの日、さすがに生放送はないと思っていたんです。報道番組に切り替わると思っていました。だから、「えっ、まさかやるんですか? なにをやるんですか?」と訊き返しました。いま思えば、スタッフもどうしていいかわからないほど混乱して、ああいう形になったんじゃないかな。被災地の方々の安否を気遣うファックスを読んで「可能だったら電話してあげて」と言っていましたけど、そんな状況にないんじゃないか。こんなことやっていて、意味はあるのかと考えましたね。

 翌日になって「赤坂、昨日は感動した」なんてファックスが来たけど、「いや、それは違う。感動なんかしてる場合じゃないぞ。もっと、違うやり方があったんじゃないか」って、もっと考え込むようになりました。災害が起きたりすると「ラジオの力を信じて」なんて言って放送してしまいがちだけど、その意味を履き違わないようにしなくちゃって。ラジオを聴いている人とラジオをやっている僕たちから、第三者の誰かに動きが行くことが“ラジオの力”なんじゃないかと。

 僕が悶々としていたのが伝わったのか、しばらくして兵庫のほうから「頼むからいつものようにやってくれ。赤坂、遠慮しないでくれ」というファックスとハガキが来ました。

■『夢がMORI MORI』でテレビ界でも頭角を現すように

――『ミリオンナイツ』でディスクジョッキーとしてブレイクするなか、『夢がMORI MORI』(フジテレビ、92〜95年)のスーパーキックベース実況で、テレビの世界でも頭角を現すようになります。こちらはどういった経緯で出演されるようになったのですか?

赤坂 『オレたちひょうきん族』(フジテレビ、81〜89年)を手掛けた“ひょうきんディレクター”のひとりだった佐藤義和さんがプロデューサーを務めていて、佐藤さんから声を掛けていただいたんです。佐藤さんには、芽が出る前からフジテレビを訪ねては、いろいろ話を聞いてもらっていたんですよ。「なにか楽しいことをやってみたい」という僕の漠然としたビジョンを覚えていて、呼んでくれたみたいで。

 僕もテレビに進みたい気持ちはあったし、テレビを通じてディスクジョッキーの地位を向上させたいみたいな思いもあったんです。テレビに出たことで得た栄養を全部ラジオに持ってこようと。そうすることで、テレビを見ている人がラジオにも耳を傾けてくれるんじゃないだろうかと思っていたんですね。

■『ヒッパレ』DJ赤坂のルーツ、実は『夢がMORI MORI』に

――最初は実況の声だけでしたけど、次第に顔も出すようになって番組に欠かせない存在になったと思っていたら、『夜もヒッパレ一生けんめい』(日本テレビ、94〜95年)、『THE夜もヒッパレ』(日本テレビ、95〜02年)にも出演してブレイクされました。やはりこれは『夢がMORI MORI』があってのオファーだったのでしょうか。

赤坂 中野サンプラザで『夢がMORI MORI』のコンサートをやったんですね。ひな壇を作ってもらって、僕だけが皆さんよりも高い段にいて、森口博子ちゃんとかSMAPのみんなを紹介して、曲がかかったらイントロに乗っかったりしていたんです。実はそのステージを『ヒッパレ』の制作スタッフが見に来ていて、僕の存在をひとつのスタイルとしてアリなんじゃないかなと思ってくださったそうです。で、試験的に特番の『芸能人ザッツ宴会テイメント』(日本テレビ、91〜94年)にも何度か出してもらってるんですね。

――『ヒッパレ』での赤坂さんスタイルのルーツは、すでに『夢がMORI MORI』にあったと。

赤坂 『夢がMORI MORI』のエンディングでも、博子ちゃんとSMAPの新曲の曲振りをしてましたからね。あともともと『ヒッパレ』では曲紹介をする人たちのなかに、客観的な人間がいたらいいんじゃないかという考えもあって、それが僕になったと。

■でっかいコーンマイクとキャップスタイルが生まれた理由

――『THE夜もヒッパレ』は、三宅裕司さん、中山秀征さんが総合司会で、そこに赤坂さん、マルシアさんなどの進行アシスタントの方もいて大所帯でしたよね。

赤坂 大勢の出演者の中でなにか僕を印象付けるアイテムを、ということであのでっかいコーンマイクを持たされたんですよ。「手で持ってもらいましょうよ」とディレクターのひとりが発案してくれたんですけど、俺は「ウソだろ。これ持つのか」って(笑)。あれ、手で持つようなマイクじゃないですから。

――そして赤坂さんといえばキャップですが、『ヒッパレ』でのビビッドな衣装も印象に残ってます。

赤坂 あれは日テレの方が用意してくれたんですけど。後期の放送では、ドン小西(小西良幸)さんのFICCEから提供していただいてました。小西さんから連絡が来て「赤坂に着てもらいたいんだよ」と渡されるんですけど、1着が数百万円すると聞かされて驚きました。

 キャップは、単純に僕がくせっ毛だからなんです。整髪料を使って整えるのが面倒で、キャップを被っていたという(笑)。『ヒッパレ』でも初期は被って出てましたね。

■「頭にレディース&ジェントルメンを入れていいですか?」

――当時はラジオとのキャラクターや喋り方の違いにも驚きました。『ミリオンナイツ』だとアニキ的な雰囲気なのに、『ヒッパレ』だと折り目正しいけど強引なところもあるノリといいますか。人の話に割り込んできたり、唐突に登場しながらも、どこかピシッとしているという。こうしたキャラや話し方は意識して作られたものだったのですか?

赤坂 いやいや、番組側がちゃんと作ってくれてます。多少はアドリブもあったけど、タイミングがどうしても合わなかった時は、しっかり撮り直していましたし。まず基本的なルールとして、ひな壇の皆さんが会話してるところに僕は割り込まない。三宅さんから振られたら答えますけど、僕からは行かない。あくまで音楽だけ紹介する立場で、中継地点でもありました。その代わり、三宅さんと(グッチ)裕三さんには多少ツッコんでもいい。そんな雰囲気でやっていましたね。

 すべてのリハーサルに立ち会ったうえで、番組で話す内容を僕なりに考えてもいました。もちろん、作家さんが作ってくれた文章があって、それに僕が英語のトッピングをしたりとか、“てにをは”を変えたりとか、「頭にレディース&ジェントルメンを入れていいですか?」とかね。

――収録日はリハーサルを午前中から3〜4回やってから本番に入るなど、プロ根性に徹する厳格な現場だったと聞いています。

赤坂 そうでしたね。夕方4時から収録が始まって、夜10時くらいに終わる。後期には、2本録り強行ってのもありました。それでもリハーサルの時間は削らないから、朝の7時とか8時には麹町の日テレGスタジオに行ってたかな。三宅さんの舞台が入る時なんかも収録スケジュールが大変になるから、みんなで「三宅さんのせい〜」なんて笑いながらブーブー言ってましたよ(笑)。

――番組が放送された時期は、いわゆる“CDバブル”と重なっています。『ヒッパレ』もヒット曲を生み出すのに貢献していたんじゃないでしょうか。

赤坂 そうですよね。『ヒッパレ』で歌われた曲は、その週明けのバックオーダーが多くなった、CDの売り上げが上がったというのは聞いたことがあります。

■SPEEDに感じた“プロ意識”「歌とダンスで絶対にNGを出せない」

――若き日の安室奈美恵さんやSPEEDをはじめ、その後のJ-POPを牽引する人も数多く出演していました。赤坂さんとしては、新しさや凄みを感じたものですか?

赤坂 とにかく、この世代の人たちはリズムの取り方と呼吸法が僕らの時代とはまったく違いました。考えてみれば小学校低学年くらいから16ビートのシャッフルを聴いて育っているわけで、彼らはそうした音楽を乗りこなし、難なく歌って踊れる。「どうりでリズム感が違うわけだ」と感心していました。

 SPEEDさんも、リズム感が凄かったですけど、意識も高かったと思いますね。いつも元気にスタジオへ「おはようございまーす」って挨拶しながら入ってくるんだけど、いざ振り付けの練習を始めると、僕ら大人たち以上に“失敗は許されない”といった気負いを感じました。彼女たちにとっては、“歌とダンスで攻めるんだったら絶対にNGを出せない”という決意があったんじゃないかと。普段の年齢相応のとても可愛らしい雰囲気からは一変して、声も掛けられないようなプロ意識を感じていました。

――ゲストの方々のなかには、収録が終わっても自分の歌に納得がいかずに「もう一回歌わせてほしい」と録り直す方もいたそうですね。

赤坂 ゲストは一流の方ばかりだから、「こんなもんかな」とか「これでいいだろ」という妥協が一切ないんですよ。みなさん、ほんとにすごかったですよ。

 尾藤(イサオ)さんなんて、歌を全部入れてきますから。だから、歌詞のカンペなんてないです。プロ中のプロといいますか、根性が違うなと。尾崎(紀世彦)さんも、そうでしたね。で、「これ、コード進行が変だな。自分の好きな歌い回しにしちゃうから」とか、アレンジまでしてしまう。あの時代の方たちは楽器ができるし、譜面もいけてしまうから、とんでもないですよ。その一方で、尾崎さんは「この歌、難しいよ〜」なんてことも気取らずに言うしね(笑)。

 尾藤さん、尾崎さん、マイク眞木さんといった、小学生の時にテレビで見ていたスター歌手が目の前にいて、リハして、歌うわけですよ。「赤坂君、おはよう」なんて橋幸夫さんに言われると、「ウソだろ?」と思ってクラクラしましたもん(笑)。

■毎週収録が終わったら、三宅さんと裕三さんたちとご飯に

――ビジーフォー・スペシャル(※)のライブもありましたけど、違う曲をマッシュアップ状態で演奏したりと異様にハイレベルでした。

赤坂 もう変態ですよ、あれは(笑)。スタッフからしてレベルが高かったんですよ。なんたってディレクターたちも譜面を読めちゃうんですから。だから、小手先でごまかせないんですよ。「コーラス、音が外れてましたよ」とディレクターに指摘されたら、居残りで入れ直しですよ。裕三さんたちは、いつも3組か4組分、スペシャルの時なんか7〜8曲の収録をやりますから。僕は楽屋で裕三さんやモト冬樹さんのリハや演奏をずっと聴いていました。

(※)元々は4人組のコミックバンド。主にグッチ裕三とモト冬樹のコンビ活動で知られ、解散後ブランクを経て、メンバーを入れ替え再結成した。

――出演者の中では、グッチ裕三さんと飲み歩く仲だったそうですが。

赤坂 飲み歩いていたというか、毎週収録が終わったら三宅さんと3人でご飯に行っていたんですよ。そこにコロッケが来たり、アルベルト城間が来たり、もんた(よしのり)さんが来たり。それで毎回、いつしか音楽と演劇の話になるっていう。もう、仲が良いを通り越していたんじゃないかな。裕三さんとは、旅行に行ったり、旅行先でお風呂に入ったりしてましたからね。

――“うちわ(内輪)の会”というのを作られたと。

赤坂 互助会というか、家族みたいなノリでしたね。

■プライベートでも逆ドッキリ…『ヒッパレ』は“とんでもない番組”

――赤坂さんの誕生日にはグッチさんや三宅さんが、なんと赤坂さんが帰宅する前に自宅に入って待ち受けていたとか。

赤坂 いました、いました(笑)。でも、それよりもどんどんエスカレートしていきました。こっちが仕掛けたドッキリのほうが大掛かりでしたよ。三宅さんの家に朝6時に集合して、パジャマを着た僕、裕三さん、コロッケがリビングで三宅さんが起きてくるのを待っていたことも(笑)。

 あと、裕三さんをみんなで騙したこともありましたね。逆ドッキリだったんですけど、事前に裕三さんには「三宅さんの劇団メンバーの結婚式に裕三さんが欠席すると嘘をついて、それらしいお祝いのビデオメッセージを作り、映像を流しながら裕三さん本人が会場に歌いながら入って、新郎新婦を感激させましょうよ」なんて言っておいて。ちゃんとビデオメッセージも撮影し、「ここで式をやりますから」と東京駅の前にあるコットンクラブを借りて、スパンコールの衣装を着せた裕三さんに待機してもらって。

 それで「今日は行けなくてごめんなさい。でも、本当に2人ともおめでとう!」という裕三さんのビデオメッセージが始まり、『オンリー・ユー』のイントロが生バンドで流れて、会場のドアがバーンと開いてスパンコール姿の裕三さんが出てきた瞬間に、僕らが生バンドの演奏に合わせて「ハッピーバースデートゥーユー」を歌ったんです。

――そうとう手が込んでいて、スケールが大きい逆ドッキリですね(笑)。

赤坂 そう、実は結婚式じゃなくて裕三さんの還暦パーティだったんです。裕三さんは『オンリー・ユー』を歌う気満々だったから、「おい、演奏が違うぞ!」なんて慌ててたけど(笑)。

 三宅さんの誕生日ドッキリは、ブルーノート東京でやりました。三宅さんが大好きなグループの公演をブルーノートへ見に来て、演奏が始まったらスポットが三宅さんに当たる。会場にいた僕らが「おめでとうございます!」って(笑)。プライベートでもテレビ的なことをやってのけたというところも含めて、『ヒッパレ』はとんでもない番組でしたね。

写真=末永裕樹/文藝春秋

(平田 裕介/文藝春秋)

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