なぜ私はオリックスファンになったのか…まずは関西の“私鉄沿線事情”から説明しよう

なぜ私はオリックスファンになったのか…まずは関西の“私鉄沿線事情”から説明しよう

多くの京阪神大都市圏の人たちが、応援に来てくれるといいな

■予期せぬ来訪者

「お越しになられました」

 助教さんの案内で、わざわざ東京から博士課程の院生さんがやってきた。何でも、自分の研究の為に、インタビューしたいらしい。まあ、韓国の新政権も発足し、日韓関係にも動きが出てきているから、そういう人がいるのもわからないでもない。何たって、俺、日本の韓国政治研究の第一人者だしな(←大きな勘違い)。

 さて、ひとしきり挨拶を交わして、研究室の椅子に腰かけてもらう。狭い部屋なので助教さんや私が座るのは小さなパイプ椅子だけど、お客さんにはちょっとだけクッションの効いた良い椅子に座ってもらう。で、何を話したらいいのでしょうか。

「オリックスファンとしての先生のお話をお聞きしたいと思います」

 え、何それ。聞いてないよ。

 てっきり韓国政治に関わるインタビューかと思ったら、何でも関西と九州のパリーグ球団を対象とした研究をしているそうだ。よく見ると、変わった帽子をかぶっているけど、ひょっとしてそれ「西鉄ライオンズ」じゃないのか。だとするとあかん、これはガチの奴や。

 で、何を話したらいいんやろ。助教さん、隣でケラケラ笑ってるけど、これひょっとしてはめられたんちゃうか。

 で、考える。自分はただのファンに過ぎないから、その視点そのものに学術的な価値がある訳じゃない。真面目な院生さんみたいだから、きっとちゃんとしたデータも持っているに違いない。だから適当な話をしてもきちんと裏を取ってくれるだろう。じゃあ気楽に話すか。

 以前にも書いた様に、自分が野球ファンとしてオリックスにまで到達したのには、それなりの「歴史」がある。そう最初は南海ホークスファンだった。70年代の初めの話である。

■「私鉄沿線ごと」に区切られた、京阪神大都市圏

「東大阪のご出身ですから、南海沿線じゃないですよね」

 さすがによくわかっている。そう、東京大都市圏とは異なり、京阪神大都市圏では長らく、球団は鉄道会社の経営だった。

 阪神は勿論、阪急、近鉄、南海は全て鉄道会社であり、この地域での大手私鉄で球団を持っていないのは、京阪だけだった。

 当然の様に、各球団のフランチャイズ球場もその沿線にあった。甲子園球場、西宮球場、藤井寺球場、そして大阪球場は皆そうだ。だからこそ「xx電車ではよ帰れ」という定番のヤジも可能だった。

 そもそもJRが幅を利かす東京大都市圏と違って、京阪神大都市圏は「私鉄王国」とよばれた程、嘗ては鉄道会社が大きな力を持っていた。

 鉄道会社は球団だけでなく、沿線に遊園地を持ち、それぞれ所縁のある百貨店をも抱えていた。正月の初詣先すら沿線毎に違っていた。

 阪急沿線の人間は生田神社や湊川神社、京阪沿線は伏見稲荷、近鉄沿線の人々は春日大社他の奈良県内の社寺、南海沿線の人にとっては住吉大社あたりが各々代表的な初詣先だったろう。そう、京阪神大都市圏の人々の生活は、「沿線毎」に切り取られていたのである。

■育ちは近鉄沿線だったが……藤井寺は遠かった

 勿論、私が育った地域もそうだった。駅前にはスーパーの「近商」があり、住宅地は「近鉄不動産」が開発していた。夏には川島なお美の水着姿のポスターがあちこちに貼られ、近鉄が観光地として開発した伊勢志摩に泳ぎに行った。旅行の予約をするのは、当然、「近畿日本ツーリスト」であり、遊園地と言えば「あやめ池遊園地」だった。

 もう身も心も、そして何よりも財布が近鉄グループに支配された状態である。

「何で近鉄ファンじゃなかったんですか」

 面倒くさいのはここからだ。甞ての近鉄バファローズの本拠地は藤井寺だった。

 しかし、この藤井寺、私が住んでいた近鉄奈良線沿線からはとてもつもなく遠かった。

 私鉄としては日本最大の鉄道網を誇る近鉄は多くの路線を持っており、奈良線沿線に住んでいた私が藤井寺にいく為には、一度、大阪市内に抜けてから地下鉄に乗り、そこからもう一度「南大阪線」に乗らねばならなかった。

 つまり、当時の私にとって「近鉄」は、スーパーも不動産屋も旅行会社も遊園地も近くにあったのに、球団だけはとてつもなく遠くにあったのである。

 その点、南海ホークスの本拠地であった大阪球場は難波にあり、電車一本で行けた。

「でも、当時は阪急の全盛期じゃないですか。応援しようとは思わなかったんですか。応援してたら先生のファン人生変わったと思いますよ」

 そうそこや。

■阪急は馴染めず、好きになれなかった

 南海ホークスは、球場も近かったから自然に応援するようになった。南海は近鉄と庶民的な雰囲気も似ていたから、簡単に馴染むことができた。自分達の球団、という感じだった。

 近鉄バファローズは、街のあちこちに貼ってある「投げたらアカン」というポスターこそ好きになれなかったものの、それでもある時期までちょっと応援していた。

 でも、1997年に神戸の大学に赴任して、オリックス・ブルウェーブを「意図的に選択」して応援するようになるまで、阪急ブレーブスを応援したことはなかった。だってあの頃は、あんまり好きじゃなかったんだもん。ブレーブスじゃなくて、「阪急」が。

 この辺りを説明するには再び、京阪神大都市圏住民固有の「沿線意識」に話を戻さなければならない。

「沿線毎」に切り取られた生活を送っているこの地域の住民は、時に最寄り駅ではなく、沿線の名前で互いの紹介をしたりする。「あなたも近鉄奈良線沿線のお生まれなんですね」という感じである。同じ沿線の出身だと何となく「同朋意識」すら生まれる事もある。

 そしてそこには何よりも漠然とした「沿線」毎の階層格差が存在する。

 そしてその私鉄毎の階層格差の頂点に位置するのが「阪急」、とりわけ梅田と三宮の間を走る「阪急神戸本線」なのである。

 だから子供の頃は思っていた。何だよ「阪急」偉そうにしやがって。そもそも「マルーン」色って何だよ。それ阪急の車両の色の説明の時にしか聞いたことねーよ。

 阪急沿線の人は知らないかもしれないけど、本当は近鉄の車両の色も「えんじ色」じゃなくて、「近鉄マルーン」ていうんだよ。阪急が「阪急マルーン」で近鉄が「近鉄マルーン」なんだから同じ様なものじゃないか。なのにどうしてあんなに高級感が違うんだよ。木目調の内装で格好つけてんじゃねーよ。乗ってる人、皆、近鉄よりお洒落でお金持ちに見えるじゃないか。何だか一緒にいるだけで肩見せめーよ。一言で言えば羨ましかったし、悔しかったし、馴染めなかった。

 だからこそ、子供の頃の私には、その「阪急」が経営する球団もそこに所属する選手もお洒落で洗練されて、悪く言えば「お高く」見えていた。

 そう今から考えれば、山田も福本も加藤秀司も、近鉄沿線に住んでいた当時の自分には「おしゃれに」に映っていたのである。

 まさかそれから40年後、朝日放送のラジオ放送でべたべたの関西弁の「世界の盗塁王」のべたべたの解説を聞く事になるとは夢にも思わなかった。福本さん、僕の昔の思い出を壊さないでください。

「でも、今では熱心なオリックスファンじゃないですか」

 そうなんだよなぁ。何でだろう。

■京阪神大都市圏のどこからでも応援できる球団になった

 勿論、最大の理由はこの地域のパリーグ球団がオリックスだけになったからだ。

 でもそんな消極的な理由じゃ、これほど熱心に応援しようとは思わなかっただろう。

 考えてみれば、甞ては西宮球場に本拠地を持つ球団が、神戸、そして大阪に本拠地を移していく過程は、逆に言えばこの球団が「阪急」の沿線色を脱していく過程でもあった。イチローや田口がいたころはそれでもどこかちょっと「阪急」らしいあか抜けた雰囲気があったけど、良くも悪くも、今はそんな雰囲気はなくなった。

 そして、その間にホークスが福岡に去り、近鉄バファローズがなくなった。

 そしていつの間にか、たった一つになったこのパリーグ球団の本拠地に行く交通手段は、些か皮肉な事に、JRと阪神と大阪市営地下鉄だ。そう、南海が阪急が近鉄が、各々自らの球団を手放した結果、この球団はこの3社の鉄道駅のどこも最寄りにしない球場に落ち着いたのだ。 

 そしてこの球場には、嘗て南海を応援した大阪南部の人々はJRで、近鉄沿線の人々は阪神電鉄に直接乗り入れる電車で、そして甞て阪急を支えた阪神間の人は、阪神電鉄で訪れる事ができる。球団が最初からなかった京都方面の人だって、JRからの乗り換えなら簡単だ。

 そうかぁ、この大都市圏のどこからでも来られる、便利な球団になったんだ。そしてその姿も、昔のどこかの球団みたいに「月見草だ」「草魂だ」とか言いながら庶民色を見せたり、球場の外壁を飾り立て、有難げな高級感を演出したりはしなくなった。一言で言えば、あまり特徴はないけど、「普通の球団」になった。でも考えてみれば、それが本当のこの「京阪神大都市圏」の我々の姿なのかもしれない。だって、そこに住んでいるのは飽くまで「普通の人」なんだから。周囲の人が大阪に期待するべたべたで庶民的な姿や、「阪神間モダニズム」を体現するお洒落で洗練された姿を演じていたら疲れてしまう。だから、気楽に応援することができるんだ。もう他の沿線の人と張り合うこともなくなったし。

「最後に先生は、もし今生まれていたら、どこの球団を応援していたと思いますか」

 だとするとこの質問への答えは簡単だ。

 オリックスに決まっている。

 だって、あの生まれ育った近鉄奈良線沿線から、直接行けるのは、京セラドームだけだからね。きっと、熱心な少年ファンになってたと思う。7連敗くらいでは、諦めないで球場に行って山岡に声援を送れるくらいのファンにはなってただろうな。

 そうやって多くの京阪神大都市圏の人たちが、応援に来てくれるといいな。甲子園と違って、席はいつでも空いてるから、気楽に応援して貰って構わないよ。オリックスファンは難しいことは言わないさ。

 さあ、今日も京セラドームへと行くことにするかな。まずは、自宅の最寄り駅から、あの「マルーン」色で木目調の電車に乗ってね。

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(木村 幹)

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