「ジャニーさんしか、俺のことを認めてくれなかった…」 錦織一清(56)が退所前にジャニーさんと話した“2時間の電話”

「ジャニーさんしか、俺のことを認めてくれなかった…」 錦織一清(56)が退所前にジャニーさんと話した“2時間の電話”

2020年に独立し「あぁ、やっと元の俺に戻れた」と語る錦織一清さん (撮影:佐藤亘/文藝春秋)

少年隊・錦織一清が明かす“下町少年”が『仮面舞踏会』でトップに立った20歳のころ 「俺、頭にスパンコールのバンダナ巻くとか嫌だから!」 から続く

 1985年に『仮面舞踏会』でデビューした少年隊。錚々たるメンバーのジャニーズ事務所において、少年隊はトップアイドルとして一世を風靡した。しかし、リーダーの錦織一清さんは、華やかな世界と、生まれ育った環境とのギャップを感じたこともあったとか。長年在籍したジャニーズ事務所を、2020年末に退所して約1年半。錦織さんは今何を思うのか。(全3回の2回目/ #1 、 #3 を読む)

■「あぁ、やっと元の俺に戻れた」

――2020年12月31日にジャニーズ事務所を退所されて約1年半。今、どんなことを思いますか。

錦織 やっと元の自分に戻れた。僕が生まれてから、僕が世間から芸能人って認識されるまでの自分っているじゃないですか。今はそれに近い。あぁ、やっと元の俺に戻れた。やっと、元いた場所に帰って来られたって気がしてならないんです。

――時を経て、原点に戻ってきたような?

錦織 もちろん、周りからチヤホヤされて、自分でも勘違いしてたなって思う時期もありましたよ。でも、ずっと煌びやかな世界にいて、「おい、俺はどこまでいっちゃうんだろう……」って感じることもあった。実際、そのままどこか行っちゃう人もいるじゃないですか。でも、俺はちゃんと元に戻れたなって。

――アイドル時代も含め、どこか自分ではないような感じがしていたのでしょうか?

錦織 アイドルも、あれはあれで俺の一部ではあるんだけど……。確かにピンクの衣装を着たり、スパンコールをつけたり、歌うたいとかやってたよ。でも、かなり本意じゃなかったというか。あんまり正直に生きてなかったと思う。

 たとえばさ、漫画の世界観で言うと、俺は少女漫画とかキラキラしたフォルムってどうも苦手なのよ。俺の世界観は、梶原一騎さんの『空手バカ一代』とか『巨人の星』、『あしたのジョー』とか、そんな感じが好きなんですよ。

 だから当時、『夜のヒットスタジオ』でよく一緒に出ていた一世風靡とか、いつもカッコいいな!って思ってた。ちょっと不良みたいでさ。背広に白いTシャツだよ。カッコよくなかった?

――カッコよかったです!

錦織 どっちかというと、「男らしさとは何か?」とか、生き様を気にしちゃってる方だったからね。俺がカッコいいって思うのは、生まれたばかりの赤ん坊とかいてさ。嫁と子どもを食わすために、いわゆるエレベーターがついていないようなコーポに住みながら、生活を守るために長距離トラックを走らせてるような男がカッコいいって思うから。だから「アイドルってカッコいいのか?」ってずっと疑問だった。それは今でも答えは出てないけど。

■俺だけだよね。「俺が俺じゃないこと」を知ってたのは。

 ただ…、俺の本意じゃない魅力に対して、応援してくれた人もいっぱいいる。俺は、本当にそれが申し訳なくてしょうがなかった。今でもそう思ってるよ。ほんとの自分はこれだもんね。「いつからそう思ってましたか?」「いや、最初からです」って。アイドルとして、ステージで歌ってるときからって話になるんです。

――ずっと違和感がありながらも、ファンの前ではアイドルとして明るく振る舞う錦織さんがいらした。

錦織 車に乗ると、ファンの人達が外から手を振ってくれるんだよね。俺も車内から「イエーイ!」とかやってたよ。でも後から、なんで俺は、車の中からあんなに手を振ってるんだ?って。俺は元々「バイバーイ」とかやるタイプじゃないんだ。下町育ちだから、会釈の方が気持ちに合っている。だから、もう一人の俺が後ろから俺のことを見てたら引っぱたいてたよね。「バカヤロー! 何やってんのお前」って。「お前そうじゃないじゃん。そんな甘い男じゃねえじゃん」ってさ。

――元々は、矢沢永吉さんに憧れていらしたんですよね。

錦織 硬派でさ。スタンドマイク持って歌ってね。だから、僕の「一番の夢はなんですか?」と聞かれたら、必ず言うよね。「止まって歌うこと」って。歌手なんだから、止まって歌いたかった。ダンサーが歌ってるんだか、歌手が躍ってるんだか分からないでしょ。どっちかって言ったら、ダンサーが歌ってたんだよ。だから、止まって歌うことが夢でさ。あのスタンドマイクで……、夢だったね。

――当時はそういった思いを、どなたかにお話しされたりは?

錦織 しない、しない、全然。すべて仕事としてやってたし。俺だけだよね。「俺が俺じゃないこと」を知ってたのは。

――途中で辞めたいとか、違う方向にいきたいといったことは、何度か考えていたんでしょうか?

錦織 何度かと言うか、ずっと背中合わせだったんじゃないですかね。ちょっと長く居ついちゃったかなって思うよ。たとえば青山劇場で『PLAYZONE(プレゾン)』という舞台を、21歳から23年間もやらせてもらったけど、僕らが40過ぎまで続いたんだよね。

 でも、本当だったら青山という場所も、僕たちが公演していた夏休みという季節も、全部若い人たちとか子どものものだよ。そこに23年間も一番いい場所で、いい季節に随分とやらせてもらっちゃった。そういった思いに苛まれながら、退所するまでいたような気はする。

――少年隊の『PLAYZONE』が終わったのが2008年ですが、2020年に退所するまでに12年間ありますよね。改めて、最終的にジャニーズを退所しようと思ったタイミング、理由はなんだったのでしょうか?

?

錦織 僕の中で、ジャニーさんのいないジャニーズ事務所にいる意味を見出せなかった。僕がいる意味が分からなくなった。

――それまで、退所と背中合わせだと感じていたものが、ジャニーさんが亡くなって、次のステージへ進もうと決断されたということでしょうか?

錦織 実はジャニーさんと一度、退所に関して電話で話をしたことがあってね。なかなかお互い時間が合わなくて、僕が仕事で四国にいるときにわざわざ電話をくれてさ。そこで「僕の退所をどうしようか悩んでる」って話をしたことがあるの。自分が今いる場所、今ある状態ってバッターボックスで打順回ってきてねえよみたいな。なんとなくネクストバッターが続いてるような感じがするとかさ。ジャニーさんも「なるほどね。それはよくないね」って聞いてくれて。2時間くらい話したかな。それがジャニーさんとは最後になったかもしれない。

■ジャニーさんだけが俺のことを認めてくれた

――歌、踊りともに段違いで、「ジャニーさんの最高傑作」であった少年隊、その人気をリードしたのが錦織さんでしたが……。

錦織 ジャニーさんしか……。ジャニーさんしか、俺のことを認めてくれなかった。その代わり誰よりも俺のことを認めてくれた。ジャニーズ事務所の中で僕を認めてくれるのはジャニーさんだけだったから。ジャニーさんと共にやってきた。だから、その電話から何年か後にジャニーさんが亡くなったときに、俺の中でジャニーズ事務所にいる意味がなくなった。

――決意が固まった。

錦織 そうだね。そこにいくまでに、たとえば滝沢(秀明)の舞台とか、毎年大晦日にやってるカウントダウンコンサートにも何度か出てたよ。もちろん立候補じゃなくて、呼ばれて出てるんだけど、ステージに上がっても心の中で「ダメダメダメダメ、こんなの老害老害……!」って自分で自分のことを思ってるんです。「何やってんだお前、早くはけろ」って。

 だってそうでしょう。自分なんかがテレビに映るより、今テレビ観ている子たちは、もっともっと若い子とかジュニアの子が観たいわけで。自分でももっと彼らを映してあげなよって、俺は俺に叱られてるんです。そういったこととか色々考えながら、次のステージに進んでいこうと思っていったかな。

「世間的には僕があまり仕事してない感じに映ってたかも(笑)」 ジャニーズ退所から1年半、演出家・錦織一清が“今が一番幸せ”と語る理由 へ続く

(松永 怜)

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