「今、海外で経営者やってるんだよ」36歳元セクシー女優が“絶縁”状態の母に数年ぶりの電話…返ってきた“震える言葉”

「今、海外で経営者やってるんだよ」36歳元セクシー女優が“絶縁”状態の母に数年ぶりの電話…返ってきた“震える言葉”

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「あんなやつと友達だったなんて恥ずかしい」親バレで縁を切られ…月収300万稼いだ売れっ子セクシー女優に“起こったこと” から続く

 18歳でセクシー女優としてデビュー、29歳のときには、フィリピンに移住し、高級ラウンジなどを開業。新しい挑戦をし続けてきた小澤マリアさん。一番最初のモチベーションは、AVデビューを機に親子の縁を切られた母親を見返すためだったという。

 彼女はどのような家族のもとで育ち、どのような考えをはぐくんできたのか。今まで詳細に語られることのなかった、小澤さんの生い立ちを聞いた――。

◆◆◆

――お母さんが日本の方、お父さんがカナダの方なんですよね。

小澤マリア(以下、小澤) そうです、ただ、父よりも母との方が関係が良くなかったんですよね。

 私は父方の祖父にとっての初孫だったんです。だからよくカナダに呼ばれて、英語漬けの毎日でした。インターナショナルスクールに通っていたのですが、インターって夏休みとか3か月くらいあったりするんです。その間にカナダに行って現地の学校に通ったりと、ほとんど外国人として育てられたんです。

 母からしたらそれが寂しかったみたいで。英語だから、勉強も教えることができなかったし、私は英語の方がペラペラにしゃべれたんで、コミュニケーションも取りづらかったんだと思います。

 で、弟が生まれると、弟は日本の学校に入れたんです。母親が日本人として育てたかったんだろうなって思います。そうすると、“私と父”、“弟と母”みたいな意識が出てきてしまって、居心地悪いなっていうのがずっとあったんですよね。

■「母とはめちゃくちゃ性格が似てるんですよ」

――子供からしたら、それはちょっとさみしいですね。

小澤 そうですね。母とはめちゃくちゃ性格が似てるんですよ。どっちも負けず嫌いで、だからこそぶつかっちゃうんですよね。

 うちらの世代ってまだ体罰が当然の時代でしたから、悪いことしたら家の外に追い出されるし、はったたかれるのは当たり前で、私も親の言うことを素直に聞くような子供じゃなかったので、もうしょっちゅう喧嘩してましたね。

■“小澤マリア”をつくった「原体験」

――家族は距離が近いからこそ、余計にぶつかっちゃいますよね。

小澤 そういうのもあって、よく一人で飛行機に乗ってカナダに行っていたんだと思います。はじめて一人で飛行機に乗ったのがいつだったのか記憶がないくらい、本当に小さい頃から乗ってましたから。たぶん、小学校の低学年とかだったとは思うんですけど。

 でも、めちゃくちゃ楽しかったですよ、飛行機乗るのが。子供用のビジネスクラスみたいなのに乗ったことがあるんですけど、それはCAさんが付きっ切りで遊びの相手してくれるんです。

 で、鮮明に覚えてるのが、私が我儘を言ったんだと思うんですけど、CAさんが機内食をカートで配るじゃないですか。あれをやらせてもらったことがあるんです。そしたら、同じ飛行機だったカップルの人たちがすごく優しくて、どんな会話をしたかっていう記憶はないんですけど、よほど楽しかったんでしょうね。今でも覚えています。

――それが、現在の接客のお仕事につながったのかもしれませんね。

小澤 あー、そうかもしれないですね。あと、私が仕事大好き人間なのも、母譲りなんだと思いますね。

 母は結婚する前は、バリバリのキャリアウーマンでコスメティックやブティックで働いていたらしく、仕事大好き人間だったんですよ。母方の家系の女性もそれぞれキャリアウーマンだったんで、血筋なんだろうなって思います。

 ただ外国人の父が、愛する人に外でなんて働かせたくない、家にいてほしいって考えで、母は“仕事をやめさせられたんだよね”ってボヤいてました。私からしてみれば、“いい男捕まえたな。お父さんかっこいいな”って感じですけどね(笑)。

■画廊でたたき込まれた“仕事のしかた”

――小澤さんが次から次に新しいことに挑戦できるのは、ご家庭の環境も大きかったんですね。

小澤 だと思いますね。小さい頃から働くのが大好きでしたからね。16歳になる前には、家族の仕事を手伝ったりしてお小遣いもらってました。身内が画廊をやっていたんで、そこで領収書の整理とか、お茶くみとか、挨拶の仕方、敬語の使い方なんか全部叩き込まれました。おじさんがめちゃくちゃ厳しい人だったんです。

――お手伝いのレベルを完全に超えてますね(笑)。

小澤 やっぱり、仕事が大好きだったんですよね。仕事してお金を貯めて、夏休みに自分のしたいことをする、働く=自由って感じだったんですよ。だから、16になったら、速攻でバイトをはじめて、いろいろやりましたね。コンビニとかマックとか。で、その後キャバクラで働いて、AVに繋がっていきました。

■「いまフィリピンでお店を経営してるんだよ」数年ぶりの電話に母は…

――そこでお母様との間に決定的な亀裂が入ってしまうわけですね。

小澤 そうですね(笑)。でも、5、6年前ですかね。弟と連絡とったんですけど、“お母さんに連絡してみなよ”って言われて、“えー!”って思ったんですけど、電話したんですよ。めっちゃ緊張しながら。

 そこで、いまフィリピンでお店を経営してるんだよって一応報告したら、母が“やるじゃん”って言ってくれたんです。その一言が泣きそうになっちゃうくらい嬉しかったんですよね。ようやく、母にも認めてもらえたんだって。

――“家族を見返してやる”というのが、最初のモチベーションでしたもんね。

小澤 そうなんですよ。なんか母のその一言ですっごい肩の力が抜けた気がしましたね。その一言をずっと言ってもらいたかったんだなって。

 だから、私も母と仲直りってわけじゃないですけど、ちょっとは親孝行するかなと思って、“旅費出すから、フィリピンに来なよ”って両親を招待したんですよ。自分でも、そんなこと言ってるのが信じられないくらいの感覚だったんですけどね。

 そしたら、母親から“別にいい”って断ってきたんですよ。

■「その後、速攻でお父さんに連絡して…」

――なんと! 完全に雪解けの流れでしたけど。

小澤 もう、ポカーンですよ(笑)。その後、速攻でお父さんに連絡して“お母さん来ないって言ってるけど、来ないの?”って聞いたら、“そうみたい、僕一人で行くのもなぁ”ってなって結局流れちゃったんですよ。

 その後も、数年して弟に子供が生まれたんで実家には帰ったんですよ。でも、私のしらない間に引っ越しちゃって、生まれ育った家じゃないので、全然落ち着かなくて、8時間くらいで帰っちゃいましたね。母ともそんな話しませんでしたし。

――8時間は結構長いと思いますよ(笑)。

小澤 まぁ、なんだかんだ今の私の幸せがあるのは、両親のおかげですからね。英語がしゃべれたおかげで、AV時代も仕事をたくさんもらえたし、こうやって仕事大好き人間で楽しく働いているのも、血筋なんだろうし、小さい頃から仕事の手伝いをさせられていたからなんじゃないかって思います。

 そのおかげで、フィリピンでのお店もうまく軌道に乗せることができて、“小澤ちゃん”“マリアちゃん”って私に会いに来てくれるお客さんがいるんですよね。だから、いまはちょっと難しいかもしれないですけど、いつか親孝行できればなとは思っています。まぁフィリピンには絶対に呼ばないですけど(笑)。

写真=文藝春秋/佐藤亘

(味道苑)

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