19歳でジャニーズ事務所を退所した郷ひろみ66歳が明かすジャニーさんの助言「この世界での友だちは必要ないよ」

19歳でジャニーズ事務所を退所した郷ひろみ66歳が明かすジャニーさんの助言「この世界での友だちは必要ないよ」

ショーて?は体のキレや忍耐力を発揮する

デビュー50周年の郷ひろみ66歳が『お嫁サンバ』に覚えた強烈な違和感「意味がわからない、これはないよ!」 から続く

「“郷ひろみ”はジャニーさんが見つけてくれた天職です」。「文藝春秋」2022年5月号より、歌手の郷ひろみさんによる手記を全文転載します。(全2回の2回目/ 前編 から続く)

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「黄金の60代」というフレーズを掲げてから10年近く、断酒も含め、人生を黄金色に輝かせるためにいろんなことを実行してきました。何か一つだけで光り輝くほど人生は簡単ではないし、即効性があるものもありません。「これから最高の時がやってくるんだ」とプロセスを楽しみながら過ごし、60代も後半に入った頃からようやく、言葉どおりの実感が伴ってきました。

 4月から50周年を記念するツアーが始まり、全国で約60ステージに立てることもその一つです。コロナ禍でもマスクを着けて足を運んでくれるファンがいることを思うと、いつにも増して喜びを感じます。

 僕がただ50年歌い続けるだけであれば、それほど難しいことではありません。人生100年時代、健康でいれば流れる時間ですから。

 でも、その間ずっとファンクラブが続いてきたという事実は、相手がいて初めて成立することであり、通過点という一言で済ませられる数字ではなくなります。僕一人では絶対に成し遂げられなかった記録を、ファンと分かち合える幸せ。これこそが人生の黄金色の輝きだなと、感慨深いものがあります。

■ジャニーさんからの助言

 ここまで語ってきたすべてのことは、原武裕美という一人の少年が郷ひろみにならなければ始まりませんでした。そういう意味で、僕にとって「芸能界の生みの親」である故・ジャニー喜多川さんとの出会いは、とても大きなものでした。

 高校に進学したばかりの少年が、軽い気持ちで映画のオーディションに参加して落選。けれど、それを見ていたジャニーさんが声をかけ、少年はジャニーズ事務所の合宿所を初めて訪れた??それが僕の人生のターニングポイントとなりました。1971年春のことです。

 ジャニーズやフォーリーブスがグループだったのに、なぜ僕がソロでデビューすることになったのかはよくわかりません。ジャニーさんは僕には言わなかったですが、何かしらの理由があったのでしょう。

 確かなことは、自分自身では見つけられなかった「郷ひろみ」を、ジャニーさんが僕の中に見出してくれたということです。

 新しい世界へ踏み出したばかりの僕には、ジャニーさんから教わることは一言一句重みがありました。たとえば、まだ郷という芸名もなかった頃だったと思いますが、こう言われたことがあります。

「ひろみには、この世界での友だちは必要ないよ。だから、他の歌手と仲良くしないでいいから」

 今は自分を高めることだけに集中しなさい、という意味のアドバイスだったのでしょう。ただ、当時の僕は額面通りに受け止めるばかりで、テレビ番組で同年代の歌手と会っても距離を置き、自分から話しかけようとはしませんでした。生意気なやつだと思われていたとしても仕方ありません。

 要は、まだ幼かったのです。それ以外でも、考えに浅いところがあって、19歳でジャニーズ事務所を退所しました。その頃はジャニーズ事務所も本当に小さな会社でしたが、僕が出てから今のように大きくなっていきました。縁がなかったと言えば残念ですが、僕もやがて自分の至らなさに気づくことができ、双方にとっていいことだったのかなとも思います。

■“郷ひろみ”は天職

 僕はその後、「この仕事は天職なんだろうな」と思うようになりました。30代の頃にははっきり自覚していた気がします。15歳からずっとこの世界で、迷うことなくやってきている。それどころか、この仕事が好きで好きで、どんどんのめり込んでいっている。これはどう考えたって天職だろうと思いますよ。

 ステージの上で歌を歌うということは、役者として「演じる」面があります。歌いながら過去の経験を思い出したり、あるいは想像力を働かせたりして、次々にいろんなことが脳裏に浮かんでくるんです。同じ歌を歌うにしても、毎回違った思いが反映される。言い換えれば、毎回違った自分がステージ上に存在する。だから面白いのです。

 僕はツアーの最中、あと何本ステージが残っているかと数えることがありません。スタッフに聞くこともない。毎回違った自分と出会えることに加えて、退屈しないショーを作っているからです。

 驕った言い方に聞こえるかもしれませんが、僕が退屈しないなら、見てくれている人も退屈しないんですよ。僕自身が飽きたと思えば、見る人もどこかで「あれ?」と感じるかもしれません。僕自身が毎回、新鮮な気持ちで立っていれば、見る人も僕の周りで働く人たちも、以心伝心で同じような気持ちになってくれると感じています。

 こうやって、郷ひろみというものを貪欲に追い求めている今の自分がいるのは、ものすごく幸せなことですよね。こういう自分を見つけてくれた「芸能界の生みの親」への感謝は尽きません。

 50代後半から「黄金の60代」を打ち出したように、そろそろ70代を考える時期に入ってきました。

■運転免許証は返納?

 黄金の上ということでいうと、「プラチナの70代」でしょうか。

 一緒に仕事をするのも、自分より若い人が圧倒的に多くなりました。僕にないものを持っている人や感度の高い人がたくさんいるので、素晴らしいなと思ったら自分も取り入れようと意識しています。一般の方からも「こういう言葉遣いはキレイだな、僕に足りないところだな」といったように学ぶことは多いです。

 一方で、この先のロールモデルのような人はいないです。僕がデビューした頃は歌う人と踊る人がはっきり分かれていて、歌って踊るというのはまだ珍しい時代でした。さらにそれを66歳まで続けてきたら、比べるような人がいない存在になったと言われます。

 もともと僕は、他人と自分を比較するのはナンセンスだという考えです。だから卑屈な劣等感を抱くこともないし、間違った優越感に浸ることもない。

 どうせ比較するなら、自分自身がいいですね。これをやった自分とやらない自分ではどうだろう、と想像を働かせるということです。

 やらない自分ということでいうと、前々から考えていることがあります。運転免許証の自主返納です。

 自分で言うのもなんですが、僕は運転技術には自信があります。安全運転で。だから周囲の人たちも「ひろみさんなら、急いで免許返納しなくても大丈夫ですよ」と言ってくれています。

 もちろん悪い気はしないですが、そう言ってもらえているうちが花だろうとも思います。何かあってから「あの時に返しておけばよかったな」というふうには後悔したくないのです。

 70〜74歳で免許更新をする際には高齢者講習があるのも、個人的には悩ましい問題です。経験者の知人たちから話を聞くうちに、自分が高齢者講習で「あんた、どこかで見たことある顔だな」「あれ、郷ひろみに似てないか?」と取り囲まれる妄想が膨らんでしまい、ますます返納に心が傾いていくという……。

 まあ、数年後には「あんなこと言っていたのに返納していないじゃん」とツッコまれているかもしれません。僕も「♪ゴメンなかったことにして〜」と、『なかったコトにして』(2000年)の歌詞で言い訳していたりして(笑)。とはいえ、僕はことのほか慎重な性格ですからね。いまのところ高齢者講習は予定にありません。

『なかったコトにして』作詞・森浩美、作曲・DANCE☆MAN

■郷ひろみの完成形とは

 仕事の引き際についても、まったく考えないわけではありません。免許返納の話ではありませんが、僕は人から肩を叩かれるのではなく、自分で自分の肩を叩きたいのです。

 最近ふと、だんだんフェードアウトしていくのでなく、ずっと突っ走っていきなりやめちゃうのもいいよな、と思ったこともありました。周りからしたら「まさか」という展開ですよね。

 でも、問題はその時期です。幸い、体のキレが悪くなったとか衰えを感じることはないですし、数年後も今と同じパフォーマンスができるだろうと思える自分がいます。

 それに、いくら先を想定してみても、予期せぬ流れになることがあるのは何度も経験しています。

 とにかく、郷ひろみを見てきた人に「ひろみはもう十分やってくれたよね」と思ってもらえるところまでは、全力で突っ走りたい。その上で、難しいけれど自分自身の声に耳を傾けながら、引き際を見定められたらいいですよね。

 やっぱり僕の最大の目標は、「郷ひろみを続けること」なんです。郷ひろみの完成形がどんなものか、完成したと思える日が来るのかもわからない。宇宙みたいなものなんです(笑)。僕という存在は、小さな地球の中の日本の、小さな点でしかない。でもその志は、郷ひろみを続ける限り、壮大でありたい。そう思っています。

(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2022年5月号)

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