「相手はお前を嫌がっているのに…」落合が球速130キロにも満たないサウスポーにポツリと伝えた“アドバイス”の“真意”とは
2022年05月26日 07時00分 文春オンライン

小林正人氏 ©文藝春秋
「昔な、こういう投手がいたんだ…」全盛期の落合政権を支えた伝説のワンポイントリリーバー“小林正人”が誕生した“意外なきっかけ” から続く
落合博満監督、森繁和投手コーチの一言でサイドスローに転向して以降、“左殺し”としてチームに重宝され続けた小林正人。そんな彼が本格的に才能を開花させたのは2011年シーズンのことだった。球速130キロに満たない左腕は、いかにして球界の強打者たちを抑え込む投手になれたのか。
ここでは、フリーライターの鈴木忠平氏が執筆し、第53回大宅壮一ノンフィクション賞、ならびに第32回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞した『 嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか 』(文藝春秋)の一部を抜粋。ファンの記憶に残り続ける左のワンポイントリリーバーが、自身の投手としての誇りを取り戻した一戦について紹介する。(全2回の2回目/ 前編 を読む)
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■中日に訪れたひとつの終わり
2011年は特別なシーズンだった。桜の花びらが見上げる空にひらひら舞うころになっても、まだ日本列島にプレーボールはかからなかった。
3・11─太平洋、三陸沖の海底から起こった大地の鳴動は、人智の及ばぬ海水の巨大なうねりとなり、一瞬で1万人以上の命を奪い去っていった。あとに残されたのは変わり果てた街の残骸だけだった。
日常は永遠には続かない。終わりはある日突然やってくる。逃れることのできないこの世界の摂理に人々が打ちのめされるなか、プロ野球も例年より半月遅れの開幕を余儀なくされていた。
生と死、破壊と再生を突きつけられた春に、中日という球団にもひとつの終わりが訪れていた。
■「勝つことが最大のファンサービス」
3月25日、ナゴヤドーム3階の会見場は報道陣で埋まっていた。壇上には10年間、球団社長という地位にいた西川順之助と、その隣には新しい球団トップが並んでいた。
坂井克彦─本社の常務取締役であり、名古屋市の教育委員長も務めている人物だという。細身と白髪が印象的な坂井は柳が揺れるように静かな口調で言った。
「強いチームをつくらなくてはいけません。それと同時にファンを大事にしなくてはいけません」
会見場の隅にいた私は、膝の上に広げたノートにその言葉を書きつけた。他の記者もこのフレーズにペンを走らせていた。坂井の語調は二つ目の言葉をより強めていた。
さりげなく放たれたその言葉の矛先がどこに向けられているのか、このチームを見てきた者なら誰でも察しがつくことだった。坂井の第一声は明らかに落合を意識していた。
メディアが求めるようには語らず、内部情報を閉ざし、「勝つことが最大のファンサービス」と公言する。本社内には、そんな落合に対し、「メディアを、ひいてはファンを軽んじている」という批判が渦巻いていると耳にしたことがある。坂井の発言はそれらを代弁しているかのようにも受け取れた。
■「必死になって戦って勝つ姿を、お客さんは見て喜ぶんだ」
静謐のなかにも凜とした正義感を漂わせた坂井の言葉に対し、去りゆく西川は隣でじっと耳を傾けていた。新旧球団トップの間には微妙な距離があった。隣り合っていても言葉を交わすことはなかった。大島派と小山派の代理戦争を想起させるその光景に、私はまだ冬が到来したばかりの夜に西川と交わした言葉を思い返していた。
「落合のことは私とは関係ない。もし私がいなくなっても、次に就任する社長がどう判断するか─」
あのとき西川はすでに知っていたのではないだろうか。自らの退任についてはもちろん、新しい球団社長として誰がやってくるのかについても─。
「ファンを大事にしなくてはいけません」
番記者、地元テレビ局のカメラを前に、新しい球団社長は繰り返した。
西川の鷹揚さとは対照的に、抑制の利いた諭すような口調だった。まだ球団の内情を知らないはずの人物にしては明確な使命感を帯びていた。
いつだったか、落合がファンサービスについて語ったことがあった。
「よくファンのために野球をやるっていう選手がいるだろう? あれは建前だ。自分がクビになりそうだったら、そんなこと言えるか? みんな突きつめれば自分のために、家族のために野球をやってるんだ。そうやって必死になって戦って勝つ姿を、お客さんは見て喜ぶんだ。俺は建前は言わない。建前を言うのは政治家に任せておけばいいんだ」
私はそれが落合の生き方を象徴する発言のような気がして、ノートに書き残した覚えがあった。坂井とは対照的な言説だった。
■ダグアウトの奥から現れたバッター
中日の球団社長が交代したという記事は、翌日の朝刊紙面の片隅に小さく掲載されただけだったが、私は終わりに向かって大きな流れが動き出したことを感じていた。多くの者にとっては何の変哲もなく、時とともに忘れ去ってしまうような一瞬でも、ある者にとっては生涯の記念碑になることがある。
被災地に仮設住宅が建ち並び、街がわずかに生活の匂いを取り戻し始めた2011年の初夏、小林にそんな瞬間が訪れた。
梅雨明けのナゴヤドームだった。広島カープとのデーゲームは3点をリードされたまま中盤に入っていた。小林はベンチ裏のブルペンに待機していた。いつものように、ゲームの半ば過ぎに巡ってくるであろう出番に備えて、試合状況を映し出すモニターを見つめていた。プロ9年目を迎えた左のワンポイントリリーバーは、このシーズンもパズルのピースとして一軍に必要とされていた。
広島は6回表にランナーを2人出した。相手ベンチから監督の野村謙二郎が立ち上がった。それに呼応するように真っ赤なレフトスタンドからは歓声が上がり、ダグアウトの奥からひとりのバッターが現れた。
■弱い自分を認めて、心の揺れを抑えるために
前田智徳だった。赤ヘルが誇る天才打者は、40歳を迎えても代打の切り札として君臨していた。どうしてもヒットが欲しい。得点を奪いたい。誰もがそう願うとき、彼らは前田に託すのだ。一流のプロも羨望の眼差しを注ぐ前田のスイングは、一振りでスタジアムの空気を変える力があった。
ブルペンの通話機が鳴ったのはそのときだった。小林は名前を呼ばれるまでもなく仕事の時間がきたことを悟っていた。汗を拭ってコップ一杯の水をあおるとブルペンを発った。
薄暗いバックヤードの通路にスパイクの音が冷たく響く。不安が襲ってくる瞬間だ。
ブルペンでマウンドのように。マウンドでブルペンのように……。
心の中でそう唱えながら小林は歓声の中へと飛び出していった。
マウンドに上がると、まずバックスクリーンを仰いだ。イニングと得点差を頭で整理し、レフトからセンター、ライト……味方の誰が、どのポジションを守っているのかを目視した。今、自分が置かれている状況を鳥のような目線から俯瞰するのだ。
それからロジンバッグを触り、ブルペンとまったく同じ所作で投球練習をしながら、相手バッターの心理を思い描く。
小林はいつ、どこの球場においても寸分違わず同じ手順を踏んだ。弱い自分を認めて、心の揺れを抑えるために、自らつくり上げた儀式だった。
腕を下げてワンポイントになったばかりのころ、小林は自分の仕事の重さに負けていた。
■バット一本で何億も稼ぎ出すような男たち
ゲームを左右する一つのアウトを、相手の最も警戒すべきバッターから奪わなければならない。金本に阿部、そして前田、他と隔絶したオーラを放つ男たちに気圧され、気負うあまり、フォアボールで歩かせてしまうことが度々あった。
そんな試合の後は決まって、荷物をまとめて二軍の球場へ向かうことになった。
ある日、同じ過ちを繰り返した小林が降板を告げられ、俯きながらマウンドを降りていくと、落合がベンチに座ったままポツリと言った。
「相手はお前を嫌がっているのに、自分で自分を苦しめることはないんじゃないか」
誰に言うともなしに放たれたその言葉は、小林をハッとさせた。
それまで小林は、リーグを代表するような強打者に対しては、自分の限界を超えるようなボールを投げない限り抑えることはできないと考えていた。だから相手が自分のことを嫌がっているなどとは想像したこともなかった。
本当だろうか?
それから小林は勝負の最中、相手がどんな顔をしているのか、観察するようになった。
すると、バット一本で何億も稼ぎ出すような男たちが、130キロに届かない小林のボールに顔を歪ませているのが見えてきた。なかでも、最もそれが伝わってきたのが前田だった。
■前田の代わりにやってきたのは…
前田は対戦を重ねるうちに、小林がマウンドに上がるとベンチ裏へ一度下がって、右肘にエルボーガードを着けてくるようになった。
背中から襲ってくるような左サイドハンドへの恐怖心なのか、いずれにしても他の投手に対しては見せないその行動は、小林に精神的なゆとりを与えた。
俺を嫌がっているんだ……。
それから小林は、自分のことをトランプカードの「2」であるとイメージするようになった。「2」というカードは平場での序列は低いが、ある特定のゲームにおいて、エースやキングに勝つことができる。
自分は落合にとって、そういうカードなのだと言い聞かせるようになった。
赤く染まったナゴヤドームのレフトスタンドから前田のテーマが流れていた。相手はとっておきのカードを切って、この試合を決めにきていた。小林は5球と定められた投球練習を終えると、もう一度ロジンバッグを触り、打席の前田へと向き直った。
ところが視線の先に前田はいなかった。カープの切り札はベンチを出たところで指揮官の野村と何やら言葉をかわすと、ヘルメットを脱ぎ、ベンチへ戻っていったのだ。
代わりに打席にやってきたのは右バッターの井生崇光であった。
「バッター、前田に代わりまして、井生─」
前田に替わる代打がコールされた。耳慣れないアナウンスにスタジアムは騒然とした。小林はそのざわめきのなかで立ち尽くしていた。
■自分だけの居場所
これまで前田が代打を送られたことなどあっただろうか……。バット一本でこの世界を登りつめてきた孤高の天才が、他者に打席を譲ったことなどあっただろうか。
そうさせたのは、かつてクビに怯え、ひしめく才能の序列に打ちのめされた球速130キロにも満たないサウスポーだった。
その瞬間は小林にとって、ひとつの到達であった。
井生にはツーベースを打たれ、試合には敗れた。だが小林は結果とは別のところで満たされていた。
落合の言葉が胸に響いた。
「相手はお前を嫌がっている─」
小林はかつてレロン・リーを右打席に立たせた永射のように、この世界で自分だけの居場所をつくった。
松坂はもう同じ舞台にはいなかった。遠くメジャーのマウンドに立っていた。
青春の日、怪物とひとつのフレームに収まったサウスポーはまったく別の場所で、彼とは異なる光を放っていた。小林にはそんな自分が、あのころの自分よりも誇らしく思えた。
【前編を読む】 「昔な、こういう投手がいたんだ…」全盛期の落合政権を支えた伝説のワンポイントリリーバー“小林正人”が誕生した“意外なきっかけ”
(鈴木 忠平/週刊文春)
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