「なぜ捕手2人?」元巨人スカウト部長・岡崎郁が明かす2017年“謎ドラフト”の全真相
2022年06月03日 12時00分 文春オンライン

岸田行倫と大城卓三
プロ野球の世界には、毎年100人ほどの新人選手が入ってきます。100人の選手が入るということは、当然ながら100人の選手が去ることを意味します。
全員が活躍することなどありえませんが、少しでも爪痕を残してほしい。そう願わずにはいられないのは、僕が2017年から2018年10月まで巨人のスカウト部長を務めたからかもしれません。
2017年の巨人のドラフトは、当時かなり叩かれました。僕に直接批判してくる人はいませんでしたが、インターネット上では「謎ドラフト」だの「失敗ドラフト」だの散々言われていたようですね。
とくにドラフト2位で岸田行倫(大阪ガス)、3位で大城卓三(NTT西日本)と捕手を立て続けに指名したことがやり玉にあがっていたようです。それでは、当時のチーム状況とドラフトについて振り返ってみましょうか。
■村上宗隆が巨人に入ったら捕手だった?
2017年は高橋由伸監督になって2年目のシーズンで、リーグ4位に終わりました。岡本和真も吉川尚輝もレギュラーに定着する前。球団史上ワーストの13連敗を喫するなど、苦しい時期でした。
巨人のドラフト1位は清宮幸太郎(早稲田実)でした。高校通算111本塁打を放った超高校級のスラッガーです。結果的に清宮には高校生最多タイとなる7球団の指名が重複。当たりくじは日本ハムに渡り、巨人との縁は結ばれませんでした。
その時、僕は円卓に同席した鹿取義隆GM(当時)にこう耳打ちしました。
「村上でいいですよね?」
九州学院の村上宗隆を外れ1位で指名しようと提案したのです。当時、高校野球界では清宮と安田尚憲(履正社)と甲子園で活躍したスラッガーが注目され、村上は全国区とは言いがたい存在でした。
でも、僕のなかでは「村上が一番いいかもしれない」という思いがずっとありました。熊本の藤崎台球場で見た場外弾が、目に焼きついていたのです。
そして、僕が何より惚れたポイントは、大型選手なのに足が速かったこと。足と肩は指導者がどんなに力を尽くしても、伸ばしてやることはできません。村上はそんな天性の才能を両方持っていました。
練習も2〜3回見に行きました。常に先頭に立ってランニングする姿にリーダーシップを感じました。もし巨人が村上を獲得できていたら、おそらく最初は捕手で育てようとしたはずです。
誤算だったのは、ヤクルトと楽天も村上に入札したこと。先にくじを引いたヤクルトに当たりを持っていかれてしまいました。
外れ1位で村上を外したことで、のちに「最初から村上に入札すれば単独指名できたじゃないか」という批判も受けました。でも、それは結果論でしょう。今でも清宮を最初に入札したことに異論はありませんし、清宮も盛り返してくるはず。まだ高卒5年目のこれからの選手なのですから。
くじを2度外した巨人は、ここで中央大の速球派右腕・鍬原拓也を指名しました。
本来であれば、1位で清宮か村上を獲得して、2位で鍬原を指名する予定でした。他に1位にふさわしい野手がいなかったため、鍬原を繰り上げた格好です。
他の候補の名前も出ましたが、僕の意見を尊重してもらいました。大学3年時から見てきて、しなやかな投球フォームを高く買っていたのです。
ヒジのしなる投げ方ですから、体への負担も大きかったのでしょう。プロ入り後は相次ぐ故障に見舞われ、2度の育成選手降格を味わいました。回り道はしたものの、今年は開幕から中継ぎ陣の一角を占め、ブレークの兆しを見せています。球持ちのいいフォームから放たれるストレートは、ほれぼれします。遅ればせながら1軍で地位を獲得してほしいものです。
さて、ここからが問題の連続捕手指名です。
■二塁送球に難があった大城卓三
なぜ岸田と大城を立て続けに指名したか。それは、単純に捕手の数が足りなかったからです。
当時は長らく正捕手を務めた阿部慎之助が首の故障もあって、一塁手にコンバートされていました。小林誠司が正捕手に定着したとはいえ、存在感のあったベテランの相川亮二が引退。その他にも戦力外になる捕手もいて、「どうしても支配下で2人は欲しい」と考えていました。結果的に2018年は岸田と大城を入れても、支配下の捕手が6人しかいなかったのです。
村上を獲得しようとしたのも、捕手補強の一環でもありました。村上が獲れなかったこともあり、捕手としてもっとも高く評価していた岸田を2位で指名したのです。
当時の岸田は高卒3年目と若く、他球団からの評価も高い存在でした。若くして強豪社会人で揉まれ、素晴らしいスローイング能力がありました。キャッチングもよく、打撃力も悪くない。非常にバランスのとれた好素材でした。
一方、3位で指名した大城は、捕手としての守備力は岸田に劣るという評価をしていました。二塁送球が乱れることが多かったからです。
その代わり、左打者としての打撃は素晴らしいものがありました。強豪社会人でクリーンアップを任され、プロでも通用する能力でした。その時点で大卒3年が経過した年齢でしたが、高く評価していました。
スローイングに課題はあったものの、大城には「後ろに逸らさない」という長所もありました。ワンバウンド投球をことごとく止め、投手が安心して投げられるブロッキングができたのです。
プロ入り後、チャンスをものにしたのは大城でした。課題のスローイングも、試合に出続けることでどんどん洗練されていきました。プロ入り3年目の2020年には、小林が故障した窮地を救い正捕手に。昨季はリーグ1位の盗塁阻止率.447を記録して、驚かされました。
現時点では大城がリードしていますが、岸田も年齢的にまだこれからの選手です。プロ入り後はムードメーカーとしてクローズアップされていますが、社会人時代はあれほど明るい選手とは知りませんでした。寡黙な選手が多い捕手というポジションで、貴重なキャラクターだと感じます。
ただし、原辰徳監督に聞くと「試合になるとおとなしい」ということだったので、ぜひ試合でも明るく元気なプレーでチームを引っ張ってもらいたいですね。
■プロ野球は称賛も罵声も浴びる世界
当時は世間から批判を浴びましたが、大城と岸田の2人をドラフト指名したことに何の後悔もありませんでした。ドラフトの目的は、チーム編成のバランスをよくするため。その原則にのっとって、あの年は2人が必要だったのです。
4位以下も北村拓己(亜細亜大)、田中俊太(日立製作所/DeNAへ移籍)、若林晃弘(JX-ENEOS)、湯浅大(健大高崎)と、脇を固める貴重な人材として選手層の底上げに貢献してくれています。7位の村上海斗(奈良学園大/現堺シュライクス)が2020年限りで戦力外通告を受けたのは残念でした。
僕は現役時代から巨人という特殊なチームにいたこともあって、バッシングを受けることに慣れていました。「みんなから称賛されることもないけど、全員から嫌われることもないだろう」と楽観的に考えていました。
プロ野球はファンからお金をもらう職業です。お客さんは自分の思いを込めて、身銭を切ってくれる。活躍した時だけ称賛してもらって、ダメだった時は黙ってくれ……なんて道理は通じません。それがプロ野球という世界だと思うのです。
厳しい世界で戦う選手たちが、1年でも長く輝けることを――。一人の野球人として祈っています。
◆ ◆ ◆
※「文春野球コラム ペナントレース2022」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイト https://bunshun.jp/articles/54548 でHITボタンを押してください。
(岡崎 郁)
記事にコメントを書いてみませんか?