松たか子45歳に デビュー後は「親の七光り」と常に言われて…理不尽すぎるバッシングを乗り越えられた“きっかけ”

松たか子45歳に デビュー後は「親の七光り」と常に言われて…理不尽すぎるバッシングを乗り越えられた“きっかけ”

松たか子 ©文藝春秋

 俳優の松たか子がきょう6月10日、45歳の誕生日を迎えた。今月17日には出演映画『峠 最後のサムライ』の公開が控え(松の役は主人公・河井継之助の妻・おすが)、さらに7月からは、NODA MAPの舞台『Q:A Night At The Kabuki』の3年ぶりの再演も国内外で予定されるなど、ますます活躍著しい。

 松はよく知られるように、父親は松本白鸚(2代目)、兄は松本幸四郎(10代目)という歌舞伎の名家に生まれた。姉の松本紀保も舞台を中心に出演し、演出やプロデュースも手がける。また最近では、幸四郎の息子で松の甥である市川染五郎(8代目)が大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で木曽義仲の嫡男・源義高を好演し、歌舞伎界の新星として脚光を浴びている。

■父・白鸚に感じた“怒り”

 松が俳優の道に進んだのも、中学卒業直後の1993年春、翌年の大河ドラマ『花の乱』への出演を脚本家の市川森一から勧められたのがきっかけだった。市川は、父・白鸚が6代目染五郎時代と9代目幸四郎時代にそれぞれ主演した大河『黄金の日日』と『山河燃ゆ』の脚本を担当しており、松の家とは長い付き合いであった。なお、室町時代を舞台とした『花の乱』での松の役は少女時代の日野富子で、その夫となる足利義政の少年時代を現在の市川海老蔵(当時は新之助)が演じた。

 松は『花の乱』の放送を前に、1993年には歌舞伎座での『人情噺 文七元結』で初舞台を踏んでいる。松たか子という芸名は、本名の隆子に、父方の祖母の藤間正子(松正子)が小唄の家元として名乗った松派の「松」をつけたものだ。じつは彼女が俳優の道に進んだのには、この祖母の存在がかかわっていた。父・白鸚(当時は幸四郎)との往復書簡集(※1)で、彼女はこんな話を明かしている。

 祖母は松が小学6年生のときに亡くなった。ちょうど祖母の危篤の知らせが入るのと同じくして、父が主演するミュージカル『ラ・マンチャの男』の大阪公演の幕が開ける。そのとき父は自分の母親が危篤だとはまだ知らなかったものの、それまでに病院と稽古場の往復で疲労はピークに達し、声の調子もあきらかにベストではなかった。

 それまで松にとって父は常に完璧で格好よく、弱みを1ミリたりとも見せないヒーローであった。それがこのときは違い、彼女は「こんな姿をお客さんに見せてほしくない」と一瞬怒りを感じたという。だが、その思いはすぐに変わった。

《次の瞬間、あなた(引用者注:父)が、「ドン・キホーテ」そのものに見えてしまった。ボロボロになっても、夢を追い続ける男ドン・キホーテに。そして、そんな男の物語を描いたセルバンテスに重なって見えた。そしてそんな姿に拍手を送るお客さんたちの様子に心から感動していた。

 祖母への思いなのか、泣きながら観ている兄の隣りで、私は不思議と冷静に舞台を見つめていました。そのとき私は、「私も芝居の道に進むのかな」と思ったんです。「芝居がやりたい!」という思いとはまた違うんだけど、あの気持ちは未だに上手く説明できません》

■女性週刊誌でのバッシングに…

 そんな経験もあって大河出演の話が来たときは、「やりたい」と即答したらしい。幼稚園から高校1年の1学期まで通ってきた白百合学園では芸能活動が禁止されていたが、チャンスを逃すまいと2学期から堀越高校に転入する(※2)。デビューから3年後、1996年にはフジテレビの月9ドラマ『ロングバケーション』で木村拓哉と共演し、一躍注目された。出演2作目となる同年の大河ドラマ『秀吉』では淀君を演じ、年末の紅白歌合戦では紅組司会に抜擢される。

 しかし、人気が上がるにともない女性週刊誌などでバッシング記事が何度となく掲載された。松はできるだけ見ないようにしていたが、あるとき空港の売店で手に取った雑誌でその手の記事を目にし、さすがにショックを受けたという。

 それ以前より彼女には常に「幸四郎の娘」「親の七光り」という言葉がつきまとい、本人も少なからず気にしていた。だが、そのころ、何気なく出かけた歌舞伎座で、父と兄(当時・7代目染五郎)が『連獅子』を踊るのを観ているうち、ふと《(この人達は、七光りどころじゃない。一方は九代目、もう一方は七代目……。八も九も、それ以上の先人達の恩恵を受けて、今ここで勝負をしているんじゃないか)と。私が気にしていることなんて、なんてちっぽけなことなんだろう、と》思い、その後は「幸四郎の娘」であることを楽しめるようになったという(※1)。

 そのうちにバッシングも収まっていった。それは彼女がドラマ・映画・舞台と作品ごとに努力を重ねて演技力をつけ、「七光り」という言葉を完全に退けたからだろう。再び木村拓哉と共演し映画化もされたドラマ『HERO』シリーズや映画『告白』など、代表作というべき作品も続々と生まれた。

■“黒い魅力”を引き出した脚本家

 歌手としても、1997年に「明日、春が来たら」でシングルデビューして以来、コンスタントにシングルやアルバムをリリースしている。ディズニーアニメ『アナと雪の女王』の日本語吹き替え版の劇中で歌った「レット・イット・ゴー」はフル配信100万ダウンロードを達成した。

 ちなみにデビュー曲を作詞したのは脚本家の坂元裕二だが、彼の書くドラマに出演したのはそれから20年後、2017年放送の『カルテット』が最初である。同作のプロデューサーの佐野亜裕美(当時TBSに在職)は、松とはその5年前に『運命の人』でアシスタントプロデューサーとして一緒になったが、当時の彼女はテレビドラマではいわゆる良妻の役が多かった。しかし佐野は、黒目が真っ黒な松の底知れない魅力を、ぜひ坂元裕二の脚本で観たいと思い、まず坂元にオファーしたという(※3)。

『カルテット』で松は、秘められた過去を抱えたバイオリン奏者をコミカルに演じ、新たな一面をのぞかせた。佐野はその後、フジテレビ系列の関西テレビに移り、昨年には再び坂元作・松主演で『大豆田とわ子と三人の元夫』を手がけ、ドラマファンを中心に話題を呼ぶ。

『大豆田とわ子〜』では、ひょんなことから社長になった松演じる建築士・とわ子と、3人の元夫たちとの悲喜こもごもが描かれた。やはり昨年、藤本有紀の脚本、松尾スズキ演出により上演された舞台『パ・ラパパンパン』で演じた小説家にしてもそうだが、いずれの主人公もどこか運に恵まれない。おそらく演じる彼女とは程遠いキャラクターのはずだが、それをごく自然に演じてしまうところに松たか子という俳優の凄みを感じる。

■「女優界の中で一人孤島ですからね」

 このほか、一昨年に公開された映画『ラストレター』など、近年の出演作で彼女の演じる人たちは、いずれもそれぞれの作品世界のなかで年齢を重ねてきたかのような雰囲気を感じさせる。それはもはや演技の幅という技術的な域を超え、人間としての余裕がなせるわざなのかもしれない。

 松が俳優としてスタートしたのは、小劇場出身の劇団や演出家がプロデュース公演に重点を置くようになり、テレビや映画で活躍する俳優たちを盛んに起用し始めた時期にあたる。そのなかで松も、劇団☆新感線や野田秀樹のNODA MAPなどの公演に参加し、舞台経験を重ねていった。

 思えば、父・松本白鸚は、染五郎・幸四郎時代を通じて歌舞伎だけでなく現代劇やテレビドラマにも積極的に出演してきたパイオニアである。アングラ演劇出身の蜷川幸雄が1974年に初めて商業演劇に進出し、演出したシェイクスピア劇『ロミオとジュリエット』の主演も彼だった。後年、娘の松もまた『ハムレット』や『ひばり』といった舞台で蜷川演出の洗礼を受ける。『ひばり』の公演初日、劇場に観に来ていた父は、終演後に蜷川から「染さん、たかちゃん、いいでしょう!」と昔の呼び名で声をかけられ、感慨で胸がいっぱいになったという(※1)。

『パ・ラパパンパン』を演出した松尾スズキもまた小劇場出身である。公演時の対談で松尾は《僕はアングラとかサブカルと呼ばれる孤島のような場所でずっと芝居を作ってきた》と語ったうえで、《松さんも女優界の中で一人孤島ですからね》、《松さんっていう島しかない》と彼女を評した(※4)。

■松たか子の独特のポジション

 言われてみると、松はたしかに俳優の世界にあって独特のポジションにある。ライバルといえるような存在もちょっと思い浮かばない。まさに孤島である。

 もともと彼女は、子供のときから歌舞伎が大好きで、専門誌を愛読し、劇場にも足繁く通っては演目の細かなところまで記憶していた。戦後を代表する立女形・中村歌右衛門(6代目)の花魁姿にも魅力を感じたというから、かなりの通である(※5)。そんな女優はやはり(少なくとも同世代には)皆無だろう。

 再び島にたとえるなら、根っからの芝居好きで俳優になる土壌を持っていた彼女は、父という太陽の光を浴びつつ、それを耕し続けることで多様な役柄が共存する豊かな生態系を育んだ。ここから今後さらにどんなものが飛び出すか、楽しみである。

※1 松本幸四郎(9代目)・松たか子『父と娘の往復書簡』(文藝春秋、2008年)
※2 藤間紀子『高麗屋の女房』(毎日新聞社、1997年)
※3 「おかねチップス」2021年7月19日配信
※4 『AERA』2021年11月15日号
※5 『週刊朝日』1997年12月5日号

(近藤 正高)

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