「史上最も衝撃的なデビュー作」から26年…“韓国映画の巨匠”ホン・サンス作品に見る変化

「史上最も衝撃的なデビュー作」から26年…“韓国映画の巨匠”ホン・サンス作品に見る変化

ホン・サンス監督 ©AFLO

「ホン・サンス以前とホン・サンス以後」と言われるほど韓国映画界に影響を与え、その独特な作風は「韓国のエリック・ロメール」とよばれ熱烈な支持を得ているホン・サンス。これまであまり語られることがなかったその素顔を徹底解剖する。

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 1996年は韓国映画を代表する2人の天才監督、キム・ギドクとホン・サンスがデビューした、記念碑的な年だ。しかし、同じ1960年生まれで全く無名だったという共通点を持つ2人のデビュー作への反応はあまりにも違っていた。

 キム・ギドクのデビュー作である『鰐 ワニ』は、ごく少数の専門家にだけ注目されたとすれば、ホン・サンスの『豚が井戸に落ちた日』は韓国映画界全体が揺れるほどの話題を集めた。

 三流小説家のヒョソプが愛する既婚者のポギョン、ヒョソプに片思いするミンジェとポギョンの夫。この4人と4つのエピソードを通じて彼らの日常の中の関係をのぞき込んだこの映画は、「韓国映画が近寄らなかった地平を征服した」という賛辞を受け、史上最も衝撃的なデビュー作として記憶されている。

 ホン・サンス監督と親交のある映画専門記者で評論家のオ・ドンジンは、当時の映画界の反応について次のように回想する。

「当時、ハリウッド映画を模倣した小規模の商業映画が現れ始めた時期だったが、彼の映画は物語の展開方式やテーマに対するアプローチも異なりすべてが新しかった。テーマをよりリアルに捕まえ、人間が持っている“偽善”“低劣さ”“卑屈さ”“窮乏”などを隠さず私たちの自画像を逆説的に見せてくれる。“韓国映画はホン・サンス以前とホン・サンス以後に分かれる”という話がでたほどだった」

■「愚かなことをし、自殺するところだった」

 ホン・サンスは、韓国初の女流映画製作者として映画史に足跡を残したチョン・オクスク氏の息子として生まれ、裕福な幼い時代を送った。両親の離婚で青少年期は彷徨っていたが、一時、作曲家を夢見たりもした。やがて中央(チュンアン)大学演劇映画科に進学した。

 80年代の韓国社会は、軍部独裁とそれに抵抗する学生たちの「民主化運動」で混乱した時期だった。ホン・サンスは03年、フランスの「ルモンド紙」のインタビューで、「当時、自分は愚かなことをし、自殺するところだった」と打ち明けている。

 暴力的で躍動的な社会の雰囲気に適応できず、現実から逃げるように退学して米国留学をする。韓国映画でよく見られる政治的、かつ社会的イシューに対するメッセージがホン・サンス映画ではあまり見られないのは、彼の成長過程から背景を見出すことができるかもしれない。

 米・カリフォルニア芸術大学とシカゴ芸術大学などで映画を学び、約10年間米国に滞在し1992年32歳で帰国する。母親が設立した番組制作プロダクションのプロデューサーとして働いていたが、デビュー作で映画界のすべてのスポットライトを一身に浴びたのだ。

■「ホン・サンスユニバース」を構築

 その後、『カンウォンドのチカラ』(98)、『オー!スジョン』(00)、『気まぐれな唇』(02)などの作品を通じて「ホン・サンスユニバース」というユニークな映画世界を構築し、海外でも独歩的な地位を確立していった。

「一般的な映画は一つの事件を中心にストーリーを展開していくが、ホン・サンス作品は対話を中心に展開される。自分の周りで起こったことや行き交った会話などを脚色して登場人物の日常を描き出す。その中から人間関係や奥底にある心理など、人生の多様な側面を観客に発見させる。100人が見れば100個の解釈が出るのがホン・サンス映画の魅力だ」(チェ・グァンヒ、映画評論家)

「彼の映画は一見直観的に作られたように見えるが、実はとても論理的だ。テキストを細かく切り取ってみると、場面や台詞をすべて分析できる。日常の平凡さを超えた“非日常性”があり、人生の深淵にあるものを見抜き、発見させる。

 彼はよくフランス・ヌーベルバーグの代表的監督であるエリック・ロメールと比較される。自身もロメールが好きだと言い、影響を受けたという点を否定していない。でもいつの間にか乗り超えて自分だけの映画の世界を見つけたのではないだろうか」(オ・ドンジン)

■撮影現場で台本を執筆する演出法

「ホン・サンスユニバース」を論じる時、欠かせないのが彼のユニークな製作技法だ。中低予算映画を毎年地道に製作してきたホン・サンスは、『浜辺の女』(2006)以降、製作会社を設立し、デジタルカメラの使用とともに超低予算映画製作システムに方向転換した。また、完成したシナリオがないまま撮影現場で台本を執筆する、即興演出法を持続している。

「監督初期時代に出資者のために事前にシナリオを書きました。ところが、現場では撮影環境の変動などによってしょっちゅう修正しなければならない。その後、私が数作品発表してからは、トリートメント(筋と構成)だけで人々が想像してくれて出資してくれるようになりました。話の始まりと終わりなど全体の流れは握っているので現場を見て判断しようと思いました」(〈ビニール袋がダサく見えるのも通念…それを捨てなければ〉イーデイリーSPN・2008年3月3日)

 セット撮影がなく、すべてロケ撮影を好むホン・サンスは、1台もしくは2台のカメラを使って特有のロングテイク(長回し)とズームを繰り返すユニークなカメラワークを駆使する。自分のカメラ技法について08年、映画評論家イ・ドンジンのインタビューで次のように話している。

「作る側がこったアングルでメッセージを伝えるより、観客に自由にみてもらった方がいいと思うのでロングテイクを好みます。また、ロングテイクで撮ると、持続時間が長くなり、監督も意図しなかった創造的な演技が俳優から発生することが多々あります。ロングテイクのカメラとは、俳優の偶然生まれる一回だけの演技をとらえる機械のようなものです」(イ・ドンジン著『イ・ドンジンブーメランインタビューその映画の秘密』より)

■年下女優との“不倫スキャンダル”

 ホン・サンスの映画はいまやカンヌ映画祭やベルリン映画祭、評壇からも「高貴な映画」として位置づけられるようになった。役者たちは彼の映画に出演することを光栄に思い、韓国はもちろん、世界の映画界の巨匠として認められてきた。

 しかし、『正しい日 間違えた日』(15)で出会った女優キム・ミニとの不倫スキャンダルで、保守的な韓国社会は彼に背を向けることになる。美しくて若い女優と中年の既婚者監督の不倫はゴシップ好きな大衆とマスコミの良い餌食となる。

 その後、「ホン・サンスが母親から1000億ウォン台の莫大な遺産を受け継いだ」「奥さんは経済的困難に直面しているのに、娘の学費さえ支払わない」などのデマも広がり、国民的に指弾される「ゲス不倫」の当事者となる。その後、韓国内ではすべての公の場に姿を現わさなくなった。

「キム・ミニと出会い、恋に落ちスキャンダルで騒がれた後、『夜の浜辺でひとり』(17)という映画で、ホン・サンスは自分が社会で経験するジレンマについて告白した。キム・ミニという人生の変数の前で、戸惑う姿がよく現れたかなり激情的な映画だった。世間の非難にひどく苦しんだのだろうが、それも自分の作品に見事に昇華させたのだ」(チェ・グァンヒ)

■キム・ミニとの出会いで生まれたもの

 以後、『逃げた女』(20)まで、7本の映画をキム・ミニと撮り続けてきたが、『イントロダクション』(21)からは、新しい俳優たちがホン・サンス映画を率いている。

「最近の映画ではウィットや嘲弄は減り、洞察力が熟した。キム・ミニとの出会いで経験したことで世の中を眺める目が温かくなったのでないか。映画監督以前に個人的な屈折を通過して、映画も熟して行くようだ」(チェ・グァンヒ)

「ホン・サンスにとって映画とは“日記”のようなものだ。最新作『小説家の映画』(22)でも、イ・ヘヨンの口を通じて自身の話をしている。いつからか彼の人生はキム・ミニに傾いており、関連した些細な話がモチーフになっている。ところが、それが世の中を生きていくための不思議な見透す力をもつ。人々の果てしない二重性と偽善、その中の不安と焦燥に、人生の真実が隠れていると語っているようだ」(オ・ドンジン)

 ホン・サンスは、キム・ミニとの出会いによって、壊れてしまった関係、あるいは新たに生まれた関係を作品に昇華させている。発表された作品が以前に比べてマイルドになったと評価されるのは、ホン・サンスが自分の傷を通じて世の中を眺めることができるようになったためかもしれない。

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『 週刊文春CINEMA! 2022夏号 』では、ホン・サンス監督の新作『イントロダクション』で主演を務めたシン・ソクホ、パク・ミソへの特別インタビューを実施。さらには、日本では『イントロダクション』と同日公開となる『あなたの顔の前に』の紹介や、“どれを見ても同じ!?”なホン・サンス作品のグラフィカル図解など、9ページに渡る大特集を掲載しています。

ホン・サンス 1960年韓国・ソウル生まれ。96年に長編デビュー作『豚が井戸に落ちた日』で絶賛される。2014年、加瀬亮を主演に迎え『自由が丘で』を発表。20年、キム・ミニ主演作『逃げた女』でベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)。22年に最新作『小説家の映画』でも銀熊賞(審査員大賞)を受賞し、3年連続4度目の銀熊賞受賞の快挙を果たした。

(金 敬哲/週刊文春出版部 週刊文春CINEMA! 2022夏号)

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