「役者は地獄を見なきゃダメだよ」坂東玉三郎の言葉を喜多村緑郎、河合雪之丞がいま噛みしめる理由

「役者は地獄を見なきゃダメだよ」坂東玉三郎の言葉を喜多村緑郎、河合雪之丞がいま噛みしめる理由

左より、河合雪之丞、坂東玉三郎、喜多村緑郎

 いま「六月大歌舞伎」第3部が評判を呼んでいる。

 もともとは片岡仁左衛門と坂東玉三郎による『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』が予定されていたが、5月半ばに仁左衛門が帯状疱疹の発症により休演に。6月2日の初日までわずか半月という中、玉三郎の主役はそのままに、歌舞伎と新派の合同で、有吉佐和子原作『ふるあめりかに袖はぬらさじ』に演目差し替えと決まった。

 そして迎えた初日。3時間余の観劇を終えて、歌舞伎座を後にする人々が口にしたのは「凄いものを見た」という感想。まるでこの時代のために書き下ろされたかのような題材で、玉三郎が幕末の動乱を生き抜く芸者お園をいきいきと演じている。

「枠があるところには、私は土足で踏み込むのよ(笑)」と自らのモットーを説明する玉三郎が、いま新派と組んだ『ふるあめりかに袖はぬらさじ』で伝えたいこととは? 玉三郎がこの演目のために自ら声をかけた、新派の喜多村緑郎、河合雪之丞の二人と語り合った。

◆ ◆ ◆

■読み書きできない遊女が辞世の句を遺したことに

――『ふるあめりかに袖はぬらさじ』は、幕末という、世の中の仕組みも価値観もガラリと変わった時代のお話です。コロナでエンターテイメントが大きく影響を受ける中、今年に入って戦争まで始まった。これを今、上演することには運命のようなものも感じます。

玉三郎 そうですね。松嶋屋さんが体調をお崩しになられて、松竹から、泉鏡花先生の『日本橋』なのか有吉佐和子先生の『ふるあめりか』なのか、ちょっと雰囲気の変わった演目にしたいとお話があったんです。ただ今やるなら、笑いのある『ふるあめりか』のほうがいいんじゃないかと。

 これは有吉先生が1970年代という、日本が政治的にも経済的にも大きな変化を迎えていた時代に書かれた“幕末もの”ですけど、今の日本にもまったく同じことが当てはまると思うんです。

 舞台は、開港まもない幕末の横浜。遊郭「岩亀楼」の遊女・亀遊(河合雪之丞)は、外国人客の通辞を務める藤吉(中村福之助)と恋仲だったが、アメリカ人客イルウスに身請けを申し込まれ、世を儚んで自害する。吉原時代から亀遊とは馴染みの芸者お園(坂東玉三郎)は、その一部始終を目撃していた。

 しかし「万金を積まれてもアメリカ人への身請けを断り自害した攘夷女郎」と、事実を歪曲した瓦版が評判に。読み書きのできない亀遊が“露をだにいとふ倭の女郎花 ふるあめりかに袖はぬらさじ”なる辞世の句まで残したことになっていた。事実を正そうとしたお園も、気づけば嘘に嘘を重ねて、三味線を手に攘夷女郎の物語を勇ましく語る名物芸者に――。

 そんなある日、攘夷派の志士、思誠塾岡田(喜多村緑郎)が塾生達と岩亀楼にやって来る。

■「玉三郎さんがあまりに綺麗でよだれ垂らしそうになっちゃって」

玉三郎 お二人と出会ったのは、30年以上前。研修生を卒業なさって、澤瀉屋さんのところに弟子入りされた時ですよね。喜多村君で印象深かったのは、歌六さんの代役で『太功記』十段目の久吉をなさって『あ、研修生で代役ができるんだな』と。まだ20歳ぐらいだった?

緑郎 19ですね。

玉三郎 19……。そんなに若い頃から知っているのよね。

緑郎 僕が覚えているのは、玉三郎さんが『金閣寺』の雪姫をおやりになった時、研修生を卒業したばかりの僕が、上から桜を散らす役目を務めたんです。そうしたら、もう綺麗で綺麗で見惚れちゃって。思わずね、口開いてたんでしょう……よだれ垂らしそうになっちゃって(苦笑)。

玉三郎 あなた上にいたの? それは知りませんでした。

雪之丞 私は研修を卒業して初めての舞台が『忠臣蔵』で、若旦那(玉三郎)は亡くなった團十郎さんと三段目の落人をやられていました。私は三段目、四段目に出たんですが、あんぽつ(駕籠)に踵を引っ掛けられてしまって……。舞台中血まみれだから何でだろうって思ったら、自分の踵だったんです。

玉三郎 そうでした。

雪之丞 あの時、由良之助役が仁左衛門さんで、おもむろに懐紙を懐から出すと、演じながら舞台中の血を拭いていって下さったんです。その後の場面で、奥方から腰元から真っ白の着物でそこを通らなきゃいけないものだから。結局、私は翌日から休演することになって、若旦那に「申し訳ございません、踵をケガしたので休ませていただきます」と申し上げたら、「ああ、大事にしておくれ」と仰ったのを覚えています。

 その後、博多座で『三人吉三』を若旦那がなさった時には夜鷹で出たんですが、若旦那を見て「ああ、綺麗だなぁ」って思ったら、花道でセリフを忘れちゃったということもありました……いまだに同じ状況です(苦笑)。

緑郎 稽古のために『ふるあめりか』の映像を観返しているんですが、観るたびに大笑いしちゃうんですよ。お園が登場するところから、もうずーっと。自分の役のところを後回しにして、何回も巻き戻してしまいます。すると最後に、雰囲気が一転して、雨がザーッと降る音の中、お園がはじめて心の内を明かす「ふるあめりかに袖はびしょぬれ」「みんな嘘さ、嘘っぱっちだよ。おいらんは、亀勇さんは、淋しくって、悲しくって、心細くって、ひとりで死んでしまったのさ」という言葉が立ち上がってくる。

雪之丞 私もほんとに同じで。今回の私のお役は序幕の行燈部屋がメイン。そこを何回も観るべきなのに、どうしても続きが観たくなって、最後まで観て、また頭から観るというのを日々繰り返しております。

――『ふるあめりかに袖はぬらさじ』は、もともと有吉佐和子さんが文学座の杉村春子さんのために書き下ろし、1972年に初演された戯曲です。

玉三郎 初めて拝見したのは、初演の翌年、国立小劇場でした。有吉先生の世の中を俯瞰する洞察力は感じるんですが、それを芝居上は言わないところに、私はものすごく感銘を受けた。笑いで話を転がしていきながら、日本の有り様の真髄を突いている。

 この芝居は、「海の向こうって、どんなところなんだろう」と思いながら、外に出られず死んでいく人達の話だと思うんです。勤王だ、佐幕だと騒ぐ男達だって、アメリカのことを何もわかっていやしない。ましてや、亀遊は借金があって廓の外にさえ出られない。だけど想い人の藤吉は英語を喋って、海の向こうへ行こうとしている。お園は「そういう志を持っている人にとっちゃ、女なんて生きていく目的の二の次、三の次なんだから」とはっきり言う。それでいながら、お園もまったく外に出られない。日本は今も海の外では活躍できない人が多いわよね。そこを有吉さんが見て、書いている。

■「これが僕にとっての地獄なのかな」

――雪之丞さんは『与話情浮名横櫛』にも出ることになっていましたが、緑郎さんのお名前は、演目変更後、突然発表されて驚きました。

緑郎 お声がけいただいて、私もびっくりしたんです。新派入団以来8年ぶりですから。最初は演目を聞かされていなかったので、「やったことないお芝居だったらどうしよう」ともうドキドキして。

雪之丞 新派に移籍した私たちが歌舞伎座に出ることは死ぬまでないと思っておりました。いま一番にあるのは、嬉しさと有り難いという気持ちです。若旦那はさらっとおっしゃるけど、誰かに「うん」と言わせるっていうことの大変さがなかったはずがありません。

緑郎 私たちはそれを忘れちゃいけないですよね。

雪之丞 しかも今回は本当にほとんどの新派の俳優さん、女優さんを呼んでいただいてるんです。

玉三郎 私は澤瀉屋さんの具合が悪くなった後、この二人がどうやって生きていくのかしらと、とても気がかりだったんです。新派に移籍したのも私は客観的に見てきたので、二人のためにも歌舞伎、新派という枠を外していけたらと思うんです。

緑郎 昔、若旦那が「役者は地獄を見なきゃダメだよ」という言葉をくださいました。新派に移籍をして二年ぐらい経ってからですかね、ある日、ふっとその言葉が出てきて。やはり、僕と雪之丞ではまだまだ思っているものができないので。

玉三郎 わかります。

緑郎 そういうものが毎日毎日枷になって苦しくて、でもこれ乗り越えないとな、これがたぶん若旦那が仰った地獄、僕にとっての地獄なのかな、というのは常に考えていました。

■「EXILEやジャニーズも一緒でいいんじゃない」

玉三郎 今後は歌舞伎と新派がもっと気楽に行ったり来たりしたらいいでしょう。そういう意味では、私はもう土足でね、垣根を越えてきたんです。でもたぶんヨーロッパでもアメリカでも、そういうことをしたものが成功してきたんだと思う。「シルク・ド・ソレイユ」を見て下さい。世界の金メダリストを集めてエンターテイメントをしたわけじゃないですか。どうしてそういう発想になれないのか、ということです。

――今回は、新派と合同でという話が来た時にはもう「乗った」みたいな感じだったのでしょうか? 

玉三郎 もう一瞬で決めました。 でもね、『与話情』ならば稽古は要らなかったから、5月29日まで御園座の舞踊公演を入れちゃっていたのね。おかげさまで、今は移動中ずっと、脚本を読んでいる。有吉先生が演出してくれたら何て言うのかしらって、ちょっと想像しながら読んでいるのだけど。

 この前、劇団EXILEの子(秋山真太郎)が新派の舞台(『黒蜥蜴』)に出てたじゃない? EXILEとかジャニーズとかみんな入ってやれるような時代でいいと思う。芝居志望の子たちにも門を開けて。

雪之丞 それが新派ですよね。

玉三郎 そう。こういうふうに枠が入っちゃってるから、もう私は土足で踏み込むのよ(笑)。とはいえ私の考えを皆さんに押し付けることはできない。ということは、今回の試みが成功しなければ、何も言えないし、不成功で終わったら元の枠組みへお帰り!ということになってしまう。とにかく芝居だけはね、開けなくちゃわからないし、閉めなくちゃわからない。もうこれはね、実を毎日踏むしかないわね。

(聞き手:九龍ジョー 構成:週刊文春WOMAN編集部 写真提供:松竹)

*この鼎談は、6月21日に発売する 『週刊文春WOMAN』2022夏号 の記事の一部を先行公開しています。『週刊文春WOMAN』2022夏号には、鼎談の完全バージョンに加えて、坂東玉三郎『ふるあめりかに袖はぬらさじ』特別グラビアも掲載します。

ばんどうたまさぶろう/1950年生まれ。56年、十四代目守田勘弥の部屋子となる。57年、坂東喜の字を名乗り、初舞台。64年、十四代目守田勘弥の養子となり、五代目坂東玉三郎を襲名。重要無形文化財保持者。舞踊家、演出家、映画監督としても国内外で活躍する。

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きたむらろくろう/1969年生まれ。88年、歌舞伎座にて本名で初舞台。同年7月、市川段四郎に入門し、市川段治郎を名乗る。94年、三代目市川猿之助の部屋子となる。2011年、二代目市川月乃助と改名。16年、劇団新派に移籍し、二代目喜多村緑郎を襲名。

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かわいゆきのじょう/1970年生まれ。88年、三代目市川猿之助に入門し、市川春猿を名乗る。94年、三代目市川猿之助の部屋子となる。2017年、劇団新派に移籍し、河合雪之丞と改名。

INFORMATION

【作品情報】
『ふるあめりかに袖はぬらさじ』

 開港まもない幕末、横浜の遊郭・岩亀楼。遊女・亀遊(河合雪之丞)はアメリカ人客から身請けを申し込まれた日に自害し、死後「攘夷女郎」に祭り上げられる。やがて、真相を知る芸者お園(坂東玉三郎)までもが「攘夷女郎の物語」の語り部となってゆく。

歌舞伎座「六月大歌舞伎」第3部(午後6時開演)
6月27日(月)まで東京・歌舞伎座にて上演中
https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/761

(「週刊文春WOMAN」編集部/週刊文春WOMAN 2022夏号)

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