「杏さんと唐田さんのどちらが好きなんですか?」東出昌大に“キラー質問”で“炎上”したリポーターが明かす《不倫会見の裏事情》ベッキー、円楽、渡部建は…

「杏さんと唐田さんのどちらが好きなんですか?」東出昌大に“キラー質問”で“炎上”したリポーターが明かす《不倫会見の裏事情》ベッキー、円楽、渡部建は…

平野さん(左)と小柳さん ©文藝春秋 撮影/深野未季

「阿佐ヶ谷姉妹」といえば、江里子さん(姉)と美穂さん(妹)。ピンク色のドレスでお馴染みだが、こちらは真っ赤な衣装の「河田町姉妹」。

 フジテレビのワイドショー、「おはようナイスデイ」や「とくダネ!」などでリポーターとして長く活躍してきた小柳美江さんと平野早苗さんが昨年結成したもうひとつの“姉妹”だ。名前の由来は、フジテレビ社屋が1997年まであった新宿区河田町。現在のお台場に移転したのはもう25年前のこととなる。

 河田町時代から、ワイドショーの事件や芸能取材などで他局と丁々発止してきたおふたりは、昨年9月から当時の裏話などをYouTubeチャンネル「河田町姉妹のおしゃべりワイドショー」にアップしている。

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■「杏さんと唐田さんのどちらが好き?」

――まず、どちらがお姉さん(役)かをハッキリさせるところからお願いします。

平野早苗さん(以下・平野) コレが微妙なところなんです! リポーター歴は私が38年なんですけれど……。

小柳美江さん(以下・小柳) 私は36年。でも生まれたのは私が10カ月はやくって、学年がいっこ上。こういうのって微妙でしょ(笑)。

平野 同世代ということで。どっちでもいいです(笑)。

――昨年3月に終了した小倉智昭さん司会の「とくダネ!」で、今でも印象が鮮やかなのは、唐田えりかさんとの不倫が発覚した東出昌大さんの「謝罪会見」(2020年3月)です。あのときの平野さんの“キラー質問”は話題になりましたね。

平野 前日の打ち合わせのときから、1回(当時の妻)杏さんに浮気が見つかってるのにどういうことなのかしら、と。「いったいどっちが好きなのか」ってチャンスがあれば聞きたいなとは思っていました。当日、とにかくどの質問にも東出さんは沈黙が続くんですよ。「なぜ唐田さんと付き合ったんですか」だとか、杏さんやお子さんに関する質問が出ても、とにかく20秒も30秒も沈黙。だから私は単純に、「杏さんと唐田さんのどちらが好きなんですか?」、と。

――東出さんは絶句したあと、「申し訳ございませんが、お相手のこともあるので。また、私の心の内を今しゃべることは妻を傷つけることになると思いますので」と答えました。

平野 え! そっちだったの? わああって感じですよね。

小柳 びっくりしちゃったわよね、本当に。会見の準備の時間はたっぷりあったと思うんですけど……。

平野 あの場面がね、なんども繰り返して流れたもので、すごくイヤな質問に見えちゃったのか、ちょっとした“炎上”のようになっちゃったんですけれど……。特別に意地悪な質問じゃないと思います。

■“不倫会見”の成功と失敗を分けるのは…

小柳 いままでも不倫の会見ってたくさんあったけど、うまく答えた方もいますもんね。円楽さんなんて「いやいや、もう東京湾から出た船みたいなもんですよ。航海(後悔)の真っただ中」なんて、さすがにお見事で。

平野 円楽さんはそれができるキャラだけど、東出さんはそれはできないものねぇ。でももう少しだけ答えようがあったんじゃないかって思いましたけれど。所属事務所の対応とかでも、いろいろと変わりますよね。

小柳 そう! 例えばベッキーさんの騒動のときの最初の会見(2016年1月)。あのときにも事務所でやったけれど、「質問はしないでください。マイクも持たないでください」って最初に言われちゃった。

 でもそう言われても私たちはマイクを持つ。出さなくても持つんです。だって「ベッキーさんが入ってきました、こんな面持ちです」ってリポートはとらなきゃいけないから。そしたら本当に一言だけ喋って帰ってしまった。

平野 ああいうのはザワつくわよね。結局、そのあと私たちは追いかけなきゃいけなくなるし、ベッキーさんは追いかけられてしまう。大手の事務所としては失敗なんじゃないかしらって。

小柳 あれはしないほうがよかった会見かもしれないですね。そういえばアンジャッシュの渡部建さんの時(2020年12月)もタイヘンだったでしょ。

■イマドキ会見の大変さ「配信の生中継が…」

平野 私、会見に行ってるんですよ。あのときには事務所サイドで仕切る人がいなかった。渡部さんが喋るのを止めに入る人がいないので際限なく聞かれてしまって……。しかもイマドキで、配信の生中継が入ってたんですよ。

小柳 そうするとね、もうぜーんぶ流れてしまうから。

平野 そうなの。私たちの感覚だと、ちゃんとルールのある会見をさらに編集したものが番組で流れる。それが変わってきたことに時代を感じますよね。コロナ禍での「密」の防止もあるし。

――時代の変遷のお話のために、まずおふたりはどうやってリポーターになられたのか教えてください。

平野 私は、宮崎放送のアナウンサーを、「出身が宮崎でもないのにこのままここにいるのかなぁ」なんて思いつつ6年やったあと、なんのツテもないまま東京に来ました。「おはようナイスデイ」(フジテレビ系・1982〜1999年)が始まった翌年のことです。そんなとき姉から「早苗ちゃん、ナイスデイのリポーター募集してるよ」って教えてもらって、応募して合格しました。たしかオーディションでは小舟にだれか乗ってるような写真を見せられて、喋るテストでしたね。同期は7人いましたけれど、もう残ってるひとはいませんね……。

 はじめての現場は、有馬稲子さんの舞台の会見取材。何聞いたかは覚えてないんですけれど、3つ4つ質問だけはして局に戻ったら、「よくできたね」って褒められて。それで「これくらいだったらできるかも!」って(笑)。地方局にいたらありえない大女優の取材は緊張もしましたね。

■「正直言うと、もうワイドショーはやりたくなかった」

小柳 マイクスタンドにはならなくてすんだのね。

平野 そうそう、私たちの業界では、ひとつも質問できないことを「マイクスタンドになる」って言うんです。

小柳 「お前、マイクスタンドじゃないんだから!」って怒られるのよね。

平野 最初はギャラもいっぽん2万5000円とかからスタートで、そこからはなかなかあがらない(笑)。事務所にも入ってなかったから交渉の仕方もよくわからないままでしたが、そこからずっとフジテレビとの仕事をしてきました。

小柳 私は事務所に入ってたから、3割引かれてタイヘンだった(笑)。短大を出て、東京アナウンスアカデミーに入って、アナウンサーやリポーターの事務所に所属して司会とか単発のリポートとかを。そのうち信越放送の旅番組のレギュラーが決まってやったあとに、「ルックルックこんにちは」(1979〜2001・日本テレビ)のオーディションに合格しました。岸部シローさんが司会の頃で、そこで3年。当時は、月曜日は「レンズポート!」っていうコーナーで事件を扱っていて、とにかく週末は取材して、月曜日に放送の日々でした。

 そのあと結婚のタイミングで少しお仕事お休みしていたら、「おはようナイスデイ」のオーディションがあるって事務所から言われて。正直言うと、もうワイドショーはやりたくなかったの(笑)。でもナイスデイに受かって、またリポーターやりだしたらそのうち楽しくなっちゃって、結局36年!

■経費削減で食事代がなくなりおにぎりに…

――90年代、2000年代初頭までは賑やかだった「ワイドショー」も、徐々に数も減ってきましたね。

小柳 「とくダネ!」(1999〜2021)の途中くらいから、リポーターが休みもなくフル稼働という状態はなくなりましたよね……。もちろん経費削減の流れは大きいのですけれど。いつのまにか経費の食事代もなくなって、それぞれがおにぎりなどを買って現場に臨むようになってきました。

平野 それまでは、事件でも芸能でもリポーターが取材に出ていました。ディレクターにカメラマン、VEさんにロケ車の運転手さんの5人体制で現場に行く。その取材映像をスタジオや中継で使ういわば「VTRショー」だったんです。でも近年は、地方取材などはディレクターだけで行ってレポーターはなし。私たちはディレクターが撮ってきた映像をスタジオで受ける「プレゼンター」となったんですね。

小柳 すっかり変わってしまいました。スタジオにあるマルチと呼ばれるモニターを使う「マルチショー」に。

平野 リポーターが地方に長く滞在する、なんてなくなりましたものね。

小柳 たぶん「おはようナイスデイ」から「とくダネ!」になってからが本当の転換期だったと思うんです。コンプライアンスの意識も高まってきて、作業が倍に増えたような気がします。

平野 映像や言葉のチェックが増えたんですね。例えばリポートでも、事件関係者の名前を出すパターンと出さないパターンの2種類だとか、背景に住宅が映るパターンと映らないパターンを2種類撮っておいて、局の上層部の判断にゆだねる――、とかね。

小柳 やっぱりそういう厳しさがなかった頃のほうが、芸能人や事件関係者の口も軽やかだったように思っちゃいますね。

■直接取材した強烈な“大事件の容疑者”

平野 事件現場を振り返ると、「よく喋る人物は要注意!」って思いますね。例えば私は、出身地で起きた「秋田児童連続殺害事件」(2006年発生・2009年無期懲役確定)の畠山鈴香受刑囚。自分の娘と、近所の男の子に手をかけておきながら、連日報道陣の取材には「探してください」とよく喋っていたでしょう。

小柳 「本庄保険金殺人事件」(1999年発覚・2008年死刑確定)の八木茂死刑囚もすごかったわよね。私は一報のときに取材に行きましたが、自分が経営するスナックで取材陣から会費をとって喋りまくるんです。彼のオンステージ状態。でも事件は3人の男性に愛人を使って「毒物」を飲ませた、というものだったから、スナックで出される飲み物をどうするのかっていう躊躇が取材陣みんなにありましたよね。

平野 そしてやっぱり強烈だったのは、「和歌山カレー事件」(1998年発生・2009年死刑確定)の林眞須美死刑囚です。非常に長く続く現場でした。当初、林死刑囚はピンポンを押せばちゃんと話すし、そのうちに部屋にも上げて貰い話を聞いたりーー。そう、あのときもアイスコーヒーを出して貰ったけど、飲む怖さと、飲まなきゃ失礼かもという逡巡があったんですよ、飲みましたけどね。

■「よく喋る人物は要注意!」

小柳 最初は「ヒ素」なんて言葉と林死刑囚のイメージなんてぜんぜん繋がらなかった。

平野 そうそう。でも次第に報道もヒートアップして、彼女もまっすぐ家に入って報道陣に答えないようになってきたんです。

小柳 でもある時電話を入れて単独インタビューを申し込んだら、OKが出たんですね。近所に場所を借りて、そこに夫妻で来られて。

 取材慣れしてるなと思ったのは、もうアレだけテレビにも雑誌にも顔は出ていたのに、そのインタビューのときには「映すのは首から下にして」、と。でも林死刑囚はひとつのことを聞けば10答える、という感じで非常によく喋ったのを覚えています。

平野 まさに、「よく喋る人物は要注意!」ですよね。芸能人には、よく喋ってもらえるのはありがたいですけれど……。

「結婚前の上戸彩さんに『ダンスが上手い男性は好み?』と質問したらボツに…」リポーターユニット『河田町姉妹』が経験した“芸能界の舞台裏” 「大女優口ふさぎ事件」も… へ続く

(名村 さえ/Webオリジナル(特集班))

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