「あの時代の中日の守備は最強だった」名手・赤星憲広が解説する、落合博満監督が8年間で作り上げた“極端な守備隊形”とは

「あの時代の中日の守備は最強だった」名手・赤星憲広が解説する、落合博満監督が8年間で作り上げた“極端な守備隊形”とは

赤星憲広氏 ©文藝春秋

 阪神タイガースで不動のセンターを務めた赤星憲広氏。「赤い彗星」「レッドスター」の愛称で親しまれた同氏は“盗塁王”のイメージが強い。が、ゴールデングラブ賞を6度も受賞するなど、守備の名手でもあるのだ。

 ここでは、そんな赤星氏が「プロの外野守備」を徹底解説した著書『 中堅手論 』(ワニブックス)から一部を抜粋。プロ野球選手やチームの“すごい守備”を事例とともに紹介する。(全2回の1回目/ 2回目に続く )

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■イチローさんの真似をしようとは思わなかった

 僕は外野手になったのが比較的遅いし、誰かを目標にして外野手になったわけでもない。僕のプロ入りは01年なので、ゴールデングラブ賞12度・福本豊さん(阪急)やゴールデングラブ賞10度・山本浩二さん(広島)をはじめとする偉大なプレイヤーの守備をこの目で実際に見て参考にしたかった。

 外野手の守備としてのタイプが全然違うので、正直、イチローさん(オリックス→メジャー)の真似をしようとは一度も思わなかった。

 イチローさんは強肩で、捕ってから投げるまで、しっかりモーションを取って投げるタイプ。だから正確だし、球も強いというメリットがある。

 逆に、捕球から送球までフォームが大きく多少遅れるデメリットもある。強肩のイチローさんだからこそ、あの投げ方を選択できるのだろう。

 僕と似たタイプで近づきたいと思っていたのは、飯田哲也さん(ヤクルト→楽天)だ。

 捕手出身の、飯田さんの捕ってから投げるまでのあの早さは、僕の中で理想形だ。投げた球も強かった。

■飯田さんの「伝説」のバックホーム

 93年、もう四半世紀も前になる。僕は高校2年生だったが、西武との日本シリーズ第4戦の「伝説」のバックホームは記憶に残っている。

 8回表、2死一・二塁。鈴木健さんの打球をセンター・飯田さんがキャッチャーの古田さんにダイレクトのストライク送球で二塁ランナー・笘篠誠治さんを刺したのだ。

 その距離約60メートル。野球記者いわく、これで西武に傾きかけていた流れを引き戻し、日本一に王手をかけたそうだ。

■羽生田さん・新庄さんの「バカ肩」、岡田の「一歩目」

 テレビの「好プレー珍プレー」で見た、山森雅文さん(阪急)の金網によじ登ってのホームランキャッチ(西宮球場)。あのフェンスはかなり高い。

「よじ登りキャッチ」は、阪神で同じ釜の飯を食った赤松真人選手(阪神→広島)もやっている(広島市民球場)。

 羽生田忠克さん(西武)や新庄剛志さん(阪神→メジャー→日本ハム)はとんでもない強肩だった。

 最近の強肩といえば、柳田悠岐君(ソフトバンク)とマーティン(ロッテ)だ。

 一緒にプレーした時代の選手ですごさを実感したのは、福留孝介選手(中日→メジャー→阪神→中日)のポジショニングと強肩。高橋由伸さん(巨人)の捕球から送球への素早さと正確性が目を引いた。

 岡田幸文選手(ロッテ)は、自分でポジショニングを取れる。脚力、1歩目のスタートの早さを生かした守備範囲の広さ。逆方向に守っていても、切り返しが良くて打球に追いつく。千葉マリンの強風に対する反応も良かった。11年・12年にゴールデングラブ賞受賞。活躍したキャリアは短かったが、良いコーチ(現・楽天)になれると思う。

 ほかには松本哲也選手(巨人)や亀井義行選手(巨人)の守備は安定している。

 最近では鈴木誠也選手(広島)が光っている。打球への入り方、チャージの仕方、強肩。どれも一級品だと思う。

■打者によって「シフト」を敷く

 松井秀喜さん(巨人)は、レフト線の打球が少なかったので、レフトが左中間に寄ってきて、センターの僕がかなり右中間に移動した。

 ペタジーニ(ヤクルト→巨人)に対しては、松井さん以上にライト方向に極端に寄った。内野手も右方向に動いた。最近、メジャーで大谷翔平選手(エンゼルス)が打席を迎えると、全体的にかなりライト方向に寄る傾向が見られる。日本でも同様だが、かつてはペタジーニに対するような極端なシフトは珍しかった。

 高橋由伸さんは、どちらかと言うと左方向の打球が多かったが、本当に広角に打つバッターで、極端に左右どちらかに寄れなかった。

 中村剛也選手(西武)は長打警戒でレフトはバック、振り遅れたときの対応としてライトは前進のシフトを取った。

 逆に僕が打席に入ると、左方向に寄った守備シフトを取られた。レフトはかなり前。

 そしてセンターはかなり左中間寄りに守っていた。

 バットを短く持って、なるべく体の近くまでボールを呼び込んで打つので、ショートやレフト方向にいい当たりが飛ぶ。セカンド方向にいい当たりが飛ぶのは僕の中での危険信号。相手チームもそれを調べ上げていた。ライト線への打球がないと思われていたのだ。

■水も漏らさぬ中日の鉄壁の守り

 僕の現役時代、中日は特にデータを活用したであろう極端な守備隊形を敷いてきた。

 メジャー移籍前の福留孝介選手がライトで、アレックス・オチョアがセンター。井上一樹さんの守備固めとして、レフトに英智選手が入った外野陣は「鉄壁」のひとことに尽きた。

 僕が二塁ランナーでいても、いかにして三塁を回るか。強肩でも、少しチャージが弱くて、返球動作が大きいアレックスのところに飛んだときぐらいしか、チャンスがなかった。

 内野は、二・遊間が“アライバ”(荒木雅博・井端弘和)。キャッチャー・谷繁元信さん。

 ショート・セカンド・サードの3ポジションでゴールデングラブ賞を受賞している立浪和義さんは05年のサードを最後に次第に代打の切り札としての出場が多くなったが、そのサードには中村紀洋さん。タイロン・ウッズのファーストも意外に上手かった。「恐竜打線」の豪打が目立ったが、あの時代の中日の守備は最強の布陣だ。とにかく、ヒットにならなかった。

 当時は「竜虎の時代」と呼ばれてチャンピオンフラッグを争った。かたや阪神が03年・05年とリーグ優勝、こなた「落合・中日」は8年間でリーグ優勝4度、2位からの日本一1度。落合中日8年間でゴールデングラブ賞は実にのべ28人を数えた。

 ──「野球で勝つのは、守りだ」三冠王3度の落合博満さんがノックバットをみずから握って鉄壁の守備陣をつくり上げた。

 現実に落合監督1年目の04年、長い歴史の中でチーム守備率・991というセ・リーグ記録を樹立している(138試合5186守備機会で45失策。19年中日が・992で更新)。

 打者が3割の分、投手は7割。その7割の9割9分をアウトにできる。「野球はやはり守備」なのだ。

阪神不動のセンターだった赤星憲広が、恩師・野村克也監督に伝えたかった“唯一の反論”「僕は守備のこと、めちゃくちゃ考えていますよ」 へ続く

(赤星 憲広)

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