「すごい汗で、下着を1日に3組ぐらい取り替えて」 加賀まりこ78歳が明かす、“罰”と思うほどひどかった50代の更年期

「すごい汗で、下着を1日に3組ぐらい取り替えて」 加賀まりこ78歳が明かす、“罰”と思うほどひどかった50代の更年期

「すごい汗で、下着を1日に3組ぐらい取り替えて」 加賀まりこ78歳が明かす、“罰”と思うほどひどかった50代の更年期の画像

「私の連れ合いの息子が、自閉症なんです。すごく可愛いのよ」 加賀まりこ78歳が60代で育んだ新しい“家族” から続く

 17歳でデビューし、20歳でひとり、パリに逃避。写真家・立木義浩に乞われ、27歳でヌード写真集を出版。シングルマザーとして27歳の時出産した子は、わずか7時間でこの世を去った――。

 波乱万丈な女優人生を送る加賀まりこさんが、59歳から育んできた最後の恋をせきららに語ります。

「加賀まりこ77歳。59歳から育む、おだやかな最後の恋。」を、「 週刊文春WOMAN2021年秋号 」より全文転載します。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

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■初めての海外でパリに住むことに

 20歳で女優を一時休業し、単身パリに渡った加賀さんらしい。フランスではカトリーヌ・ドヌーヴのような大物女優でも、運転以外なんでも自分でする。「あら、そうなの?知らなかった。でもなんでも自分でやるのは、普通じゃない?」と言うが、個人主義の国フランスとはとても相性が良かったようだ。

 17歳から仕事をしていて、恋愛もろくにできないし、不健康に感じたのね。それで稼いだお金を全部使ってしまおうと、パリに住むことにした。1964年。初めての海外で、まずカンヌ映画祭に行ったんだけど、それはびっくりしたわね。いまだに日独伊が同じホテルっていうのが、すごい差別というか、「なんでこうなの?」って思った。ピエトロ・ジェルミ(『鉄道員』などで知られる監督)ってイタリアの監督さんと一緒だったのを覚えている。

■映画の出演依頼を「ノー」と断る

 私が出ている『乾いた花』(篠田正浩監督)も見本市で上映されてたので、着物を着せられてパーティーに連れ回されたけど、ヤダヤダと思って、カジノに行ったの。それでルーレットの自分の好きな数字に置いたわけ。5フランくらいの、安いチップよ。そしたらディーラーが23に置き直すのよ。「なにすんだよ」って見たらウィンクされて、そこに入っちゃった。36倍。びっくりするわよ(笑)。それで私は毎晩のようにカジノに行き、そのディーラーに賭けた。ディーラーがこの角度、スピードで投げ入れたら、狙った数字が出る。「そういうことだな」っていうのは子供心にもわかった。

 カンヌでは他にも大人の事情がわかって、面白かった。ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、ロマン・ポランスキーといった監督が『乾いた花』を観に来て、「素敵だ」っていって、ご飯をご馳走してくれたりしたけど、全く私を子供扱い。だって、ゴダールが次の日に私にくれたのは、クマのぬいぐるみ。「なあに、これ?」って(笑)。

 フランソワとは仲良くなって、パリの家に遊びに行った。当時、彼はカトリーヌ・ドヌーヴのお姉さん、フランソワーズ・ドルレアックと一緒に住んでいてね。ゴダールは『中国女』に出ないか、って誘ってくれたんだけど、その価値を私は分かってなかった。フランス語も上手じゃないから、「ノー」って言ったの。

■川端康成との出会い

 当時、私はフランス語を勉強して、女優とは違うものになろうとしていた。あの頃、ヨーロッパからいろんなものが入ってきていたでしょ? そういうのを買い付ける仕事をしたかった。イヴ・サン=ローランも日本に入っていなかった時代。自分の目利きには自信があった。一番の秘訣は、何でも聞くこと。パリのディスコですごくセンスの良い子がいて「あの靴、どこで買ったんだろう?」と思ったら、片言のフランス語ですぐ聞く。お店を教えてもらったら、すぐ見に行って。そうやってセンスも知識もどんどん広げていった。

 だが半年後、劇団四季の舞台「オンディーヌ」への出演依頼がくる。負けん気が騒ぎ、帰国。稽古でしごかれたが初舞台は大成功し、演技の面白さに目覚めた。そして出演した映画『美しさと哀しみと』(65)で、原作者の川端康成と出会う。

 文豪だけど、あのおじいさんは単なる私のファン。『美しさと哀しみと』の撮影中は、しょっちゅう大船の撮影所まで来て、私をジーーッと見てた。「ねえ、ちょっと気を遣って。監督もいるんだから」って、諭してたのよ。あんまり大物扱いしない私を気に入ってたのね。

 あるとき朝ごはんデートで箱膳が出ているお座敷に座った瞬間、私のスカートが少し翻ってたのね。それをあの人「ちょっと上げてごらん」って。でもその言い方が全然いやらしくない。だって、鶴のように痩せたおじいさんだもの、私から見たら。「オンディーヌ」にも、アングラの小劇場にも、来なくていいっていうのに観に来て。でも小劇場のコンクリートの床に直に座らせるのは痛々しいから、私が楽屋からクッション持ってきて座らせてやる。手数がかかるの(笑)。大作家だから利用しようなんて全く思わなかった。

■更年期を乗り越えるために

 30代、40代の頃には人目を忍ぶ恋も、息子のような年齢の男性との恋もあったが、50代ではしばらく恋愛から遠ざかっていた。

 50代は何がひどかったって、更年期。「何これ、罰?」って思うぐらいひどかった。すごい汗で、下着を1日に3組ぐらい取り替えて。これはトンネル抜けるまで仕方ないって納得するまで、1年ぐらいかかったかな。どんどん太るし、楽な人が羨ましかった。

 更年期を乗り越えるには、楽しみを見つけることよね。私の場合は、麻雀。集中できるから、その間はもう「体が辛い」とか忘れられるのよ。頭の中がウニみたいに煮詰まったときは「もういいわ」って、友達を集めて3時間ぐらい麻雀をやった方が、セリフもスッキリ入った。

■コーヒー代は絶対おごらせずに自分で払う

 私はお酒は飲まないんです。飲むと具合が悪くなるので病院で調べてもらったら、飲めない体質だというのがわかった。だから若い頃は、六本木族だなんて言われてたけど、全然遊んでなんかいないわよ。キャンティだって、ボウリング仲間のご両親がお店を開くっていうので高校生の頃から通っていたけど、あそこはご飯を食べるところだから。三島由紀夫とか丹下健三とか、芸能界じゃ会えない人たちがいっぱい来るから、その面白さはあったけれど。

 みんながお酒を飲んでも、私はコーヒー。だって、自分で払うんだもん。小娘にみんな奢りたいと思ってたかもしれないけど、私は絶対それはさせなかった。

 17歳の時、『涙を、獅子のたて髪に』(62)のヒロインを探していた寺山修司と篠田正浩にスカウトされて、松竹に入社。以来、コケティッシュな魅力を放った『月曜日のユカ』(64)、船で春をひさぐ母親を演じた『泥の河』(81)、「花より男子」シリーズ(05〜08)といつの時代も代表作があるが、女性として年輪を刻むことを恐れていない。

■なんでもお品良く、万事無難じゃつまらない

 77にもなって歳をとった役じゃなかったら、怖いでしょ。若く見せたいという欲は更年期の頃に吹っ飛んだ。もちろん40代、50代の頃は悩んだし、太ってくるとやっぱり焦る。若い男にモテたかったから(笑)。

『月曜日のユカ』は、それまでなら清純なヒロインに対する敵役になった役を、主役で撮れるようにした、っていう自負はある。『美しさと哀しみと』もそうね。男に縛られない強い女。今はそういう映画が作られないのは、女優に魅力がないからでしょうね。それとも、強い女にあしらわれることをよしとする、大人の男がいないからかしら? 世の中、なんでもお品良く、万事無難っていう感じになってるけど、それじゃ、つまんないぜ、人生。振り込まないと。

text:Ayako Ishizu
photographs:Asami Enomoto
hair & make-up:Hiroshi Nomura
styling:Satoko Iida

(加賀 まりこ/週刊文春WOMAN 2021年 秋号)

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