「ひ弱な選手が多いような印象は受けます」PL学園伝説のスカウト(86)が語った「軟式出身・硬式出身選手の優劣」

「ひ弱な選手が多いような印象は受けます」PL学園伝説のスカウト(86)が語った「軟式出身・硬式出身選手の優劣」

伝説のスカウト・井元俊秀氏(写真:筆者撮影)

「後悔していない」佐々木朗希を登板回避させた結果は大敗…勝利よりも「彼の未来」を選んだ大船渡・元監督のその後 から続く

 軟式出身と硬式出身選手のどちらが大成するのか? そんな難解な問いに説得力を持って答えたのが、KKコンビをPLに導いた伝説のスカウト・井元俊秀氏(86)だ。

 井元氏が「ひ弱な選手が硬式には多いような印象は受けます」と語る理由とは? ノンフィクションライターの柳川悠二氏の新刊『 甲子園と令和の怪物 』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

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■伝説のスカウトの引退

 PL学園(2016年夏に活動停止)の伝説のスカウトとして知られるのが、井元俊秀だ。

 1962年に監督として母校でもあるPL学園を初めての甲子園出場に導き、その後は野球部の顧問として全国の有望中学生に眼を光らせ、学園のある大阪府市富田林に集めて常勝軍団を築き挙げた。

 同校で不祥事が起きた2002年にPLを追われた井元は、青森山田で12年間、秋田のノースアジア大明桜でも8年間にわたってPL同様の役割を担い、近畿圏の中学生球児を東北へと送り出してきた。

「PLが強くなる以前も、選手を集める学校はあったと思いますよ。たとえば、同じ大阪の浪商は尾崎行雄らの時代は選手を集めていたはずです。昔はね、『PLは全国から選手を集めている』と批判され、高野連に睨まれていた。でも、本当の事情は違うんです。PL学園は私学で、寮があった。

 だから、大阪の私学連盟から、『大阪の学生は大阪の学校に通わせたい。寮のあるPL学園さんは地方の生徒を入学させてほしい』という要望が学校に対してあった。仕方なく地方の生徒に声をかけたというのが実状なんです。ところが、そうやって地方の選手が入学してくると、『プロのスカウトみたいだ』と……。だから私は『スカウト』という言葉が嫌いなんです」

 60年以上にわたる高校野球との関わりの中で、これまでに携わった3校が春夏の甲子園に出場した回数は計45回にものぼり、通算の勝利数は99勝だ。この記録は甲子園通算68勝という歴代最多勝利記録を持つ智弁和歌山の前監督・高嶋仁の偉業と、個人的には同等に語り継がれてしかるべき業績と思っている。そして、プロに送り出した球児も総勢83人を数える。

「本当はもう少しプロになった選手はおるんだけど、私が認めていないプロがおるから、その選手はカウントしていません」

 千葉ロッテのベースボールキャップを目深にかぶった井元は、深く刻まれた目元のをさらにギュッと寄せ、ニカッと笑った。井元とは6年以上の付き合いとなる。だが、特定の球団のキャップをかぶって姿を現したことはこれまで一度もなかった。

 2021年に石垣島で行われていた千葉ロッテの春季キャンプに足を運んだ際、明桜のスカウトとして勧誘し、同校からプロに進んだ山口航輝(2018年ドラフト4位)からプレゼントされたという。山口は、井元が最後に送り出した、“83”人目のプロ野球選手となる。

 だが、2022年7月に86歳になった井元が2021年8月、静かに高校野球界を去っていたことを知る者は少ない。

「コロナ禍でそうそう出歩けなくなってしまったし、出歩くことがしんどくなってしまった。幸いにして、車の運転はできるんだけど、足腰が弱ってしまってね。もうあちこちに飛び回ることもできないんです。持病もあるし、潮時かなと。未練なんてありません」

 この年、世代ナンバーワンと評された風間球打(2021年福岡ソフトバンク1位)を擁した明桜は同年夏の甲子園に出場したことで、井元は「お役御免」を自覚したのかもしれない。風間は井元がスカウトした選手ではなかった。

 スカウトの仕事から離れてからも、週末になると中学野球の現場に足を運ぶという。

「それは完全に趣味ですね。甲子園を見るよりも、中学野球の方が面白いんですよ。私がよく足を運ぶチームに素晴らしいキャッチャーがおる。彼の成長を見守るのが楽しみでね。大阪桐蔭の西谷君が声をかけとるらしいです(笑)。その子の進路にタッチしようとは思っていません。もちろん、相談されたら、アドバイスはするだろうけど、彼は私が何者かなんて知らんでしょう」

■軟式か、硬式か

 全国の有望選手の情報が簡単に手に入る現代とは異なり、井元がPLの第一線で活躍していた頃は独自の情報網から連絡が入り、靴底を減らし続けて熱意を伝えた。

 スカウティングで苦労した思い出はいくらでもある。とりわけ、「逆転のPL」が代名詞となった1978年夏の選手権大会の優勝投手である西田真二(元・広島)を口説き落とすために、和歌山にある西田の実家にはギネス級に日参した。

「同級生の捕手・木戸克彦(元・阪神)にも苦労しましたが、西田に関しては36回目の訪問でようやく決断してくれた。そうそう、3年時に甲子園には出場できませんでしたが、同じ和歌山出身の尾花高夫(元・ヤクルト)の時も大変でした。

 PLから社会人の新日本製鐵堺に進み、その後にヤクルトに入団した彼は、九度山出身だった。高野山に向かう途中の山の中に実家があり、1月の末頃に初めて訪ねた。すると私は道に迷ってしまって、草木を掴みながら山を登ってようやくたどり着いた。こんな山を毎日上り下りして学校に通っているんだから、相当、足腰は強いだろうと思ったことを覚えております」

 1983年夏から5季連続で甲子園に出場し、プロの世界で大投手、大打者となったKK(桑田真澄、清原和博)や、1987年に春夏連覇を達成した立浪和義(元・中日)や橋本清(元・巨人ほか)、片岡篤史(元・日本ハムほか)、宮本慎也(元・ヤクルト)らも井元のお眼鏡に適った球児だった。また、福留孝介(現・中日)や松井稼頭央(和夫、元・西武ほか)といった逸材を入学に導いてきた。

 当時のPL学園には、硬式、準硬式、軟式の選手たちが集まってきていた。関西圏の中学生は硬式に慣れた選手が多く、硬式野球チームの少ない地方からやってくる選手は、軟式出身者が多かった。

 近年の高校野球は金足農業で準優勝した吉田輝星や大船渡の佐々木朗希のように、軟式出身選手の活躍も目立つ。また、2019年のプロ野球の開幕投手は、12球団のうち11球団が軟式出身。ちなみに残った1球団の開幕投手は助っ人外国人。つまり、日本人開幕投手の100%が軟式出身だった。

■硬式野球は「塾に通うような形」

 中学時代の過ごし方として、硬式と軟式、どちらがその後の人生で大成するのか。井元に見解を訊ねた。

「私も最近、考えさせられることが多い。明桜は秋田の高校ですから、金足農業にいた吉田輝星くんの高校時代の活躍はずっと見てきていました。中学校の軟式野球部だと、練習を毎日やりますよね。

 一方、ボーイズリーグをはじめ硬式野球は土日の練習が中心で、塾に通うような形で野球をしている。硬式の指導者は野球指導の専門家が多いですから、学校の先生が監督を務める軟式よりは、野球のテクニックは学べるかもしれません。ただ、週末だけの練習では、体力が伴わない。

 だから、ひ弱な選手が硬式には多いような印象は受けます。テクニックは年を重ねていけば覚えていくもの。中学生の年代は、軟式で身体作りを優先的に考えてもいいかもしれません」

 少子化の影響もあって、大阪の中学硬式野球は、部員を確保できないチームも多い。その結果、強豪のチームに選手が集まる傾向は強くなっており、全体のチーム数が減少するというに悪循環に陥っている。このあたりは、強豪校に戦力が集中する一方で、連合チームも増加の一途をたどる高校野球に起きている現象に近い。

「親に練習の手伝いをさせるチームが増えたことも、中学硬式野球のチームを減らした要因かもしれない。子どもにとっては、長く練習できるかもしれないけれど、義務づけられたような手伝いを親が嫌って、硬式に入れたがらないんですね」

 硬式か、軟式か。どちらが高校での大成につながるかは正解がない。だが、投手の負担を考えれば、重たい硬式球を投げるよりも、柔らかく軽い軟式の方が、中学生年代の肉体には負担は少ないのは確かだという。

「軟式の方が、体の張りは軽減できるでしょう。そうしたことを考えて、小学生の頃は硬式で頑張っていながら、中学から準硬式に切り替わったのが桑田でした」

(柳川 悠二)

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