「ショートってどこ?」サッカー少女が「阪神園芸」初の女性グラウンドキーパーになるまで

「ショートってどこ?」サッカー少女が「阪神園芸」初の女性グラウンドキーパーになるまで

石躍奈々さん ©市川いずみ

 嬉しい話が飛び込んできた。この夏、“神整備”で知られる阪神園芸に、史上初の女性グラウンドキーパーが誕生した――。12歳の夏に甲子園球場の美しさに魅せられた筆者は、阪神園芸のグラウンドキーパーになるのが夢でもあった。しかし、当時はもちろん女性の整備士は存在しなかった。女子野球の決勝戦が甲子園球場で開催されるなど、時代の変化があるのはもちろんだが、初の女性グラウンドキーパーが誕生した背景には彼女の熱意、人柄がある。

 2年後に開場100周年を迎える甲子園球場にとっても初めてのこと。現在行われている球児の夢舞台で奮闘する女性整備士に迫った。

■サッカー少女はなぜ、“甲子園のグラウンド整備”を目指すことになったのか?

 石躍(いしおどり)奈々さん(23)は兵庫県西宮市出身。甲子園が目と鼻の先にある場所で生まれ育った。小学生と中学生の時には市の連合体育大会で、甲子園で組体操を披露し、“西宮市民デー”として阪神タイガースが西宮市民を招待する試合を観戦したこともある。聖地といえども、石躍さんにとって“甲子園”は身近な存在だった。

 しかし、自身はサッカー選手。南甲子園小1年時から始め、鳴尾中時代はセレッソ大阪堺レディースでゴールキーパーとして全国3位を経験した。武庫川女子大でもプレーしたが1年生の時に頚椎を損傷。選手を断念せざるをえなくなった。その時芽生えたのが「スポーツをする人を支えたい」という気持ちだった。スポーツ×裏方――。真っ先に浮かんだのが、阪神園芸だった。「地元の企業ということもありましたが、大学の時のグラウンドが土でボコボコやったんです。どうやったら綺麗になるんかなと、整備に興味がありました」

 阪神園芸は甲子園球場のグラウンド整備だけが仕事ではない。公園施設の運営管理やマンション、商業施設の緑地管理など、その業務は多岐にわたる。これまでも女性社員は在籍していたが、グラウンド整備を担当する甲子園施設部にグラウンドキーパーとして所属した者はいない。

「女性がいないというのは知っていました。覚悟の上で入りました」

 入社後はグラウンドキーパーを強く希望した。

 各部署を回る研修中、甲子園のグラウンド整備をまとめる金沢健児甲子園施設部長と顔をあわせるとこう尋ねた。

「どうやったらグラウンド整備(を担当)できますか?」

 石躍さんは阪神園芸に内定後、いつか甲子園球場が仕事場になるかもしれないからと球場でアルバイトをしたことも金沢さんに話した。それほど、この場所で仕事をしたいという想いが強かった。

「女性だからという時代でもないし、何より彼女の熱意がすごかった」と、金沢さんはこの時に見初めていた。

 結局、石躍さんはスポーツ施設部に配属された。基本的には甲子園ではなく、各市町にある球場や商業施設を管理する部署だ。入社1年目の昨夏は兵庫県姫路市の球場に勤務したこともあり、夏の兵庫大会でグラウンド整備に入った。初めて任されたライン引きも現場の上司が「できてますよ」と金沢さんに報告するほどの見事な仕事ぶりだった。その他、地方球場や高校のグラウンド整備で経験を積み、技術を磨いた。

■この夏、ついに甲子園デビュー「女性でもこういう仕事ができるというところをみてもらえたら」

 とはいっても、すぐにできる仕事ではない。最初に必要だったのは野球のルールを覚えることだった。「イニング間の整備でも選手が走る方向によって土がどこに飛ぶか変わってきます。それをみて、土を引いて戻したりしているんです。例えばピッチャーはどこに立っているのか、どこが掘れているのか、どこを埋めなあかんとかそういうところをわかっていないとできません」。サッカー少女だった石躍さん。野球の知識は「ショートってどこ?」のレベルからスタートした。自宅でも野球中継を見るようになり、選手の動き、飛び跳ねる土を必死に追った。

 ストイックな彼女の姿勢。身についたグラウンド技術が評価され、この夏に聖地デビューを果たした。8月2日の全国高校女子硬式野球選手権大会決勝戦に続き、現在は全国高校野球選手権大会で毎日球児と一緒に汗を流している。

 開幕日は雨。さっそく阪神園芸のお家芸ともいえる雨天用シートを敷く作業から始まった。土のグラウンド部分を全面覆うのは20人ほどの力が必要な作業。さらに、雨が降った後はシート上に水が溜まっているため、撤収作業には約30人を要する。「綱引きしてるみたいで、重たいですよ」と話す表情は嬉しそうだ。主に任されるのは打席の整備と、ライン引き。初日は「沢山の観客が入っていて緊張しました」と話すように、慎重にラインを引いていった。風が強い日には石灰が飛ばされないようにゆっくりと……高校野球はイニング間も試合間も整備時間が短いが、そのスピードにも徐々に慣れた。打席の整備もただ均すだけではない。「日中、陽の当たる時間だと土が乾きやすいので、じょうろの水を半分は使います。でも第4試合は打席が日陰になるので、撒く水の量は(じょうろ)半分も使わないですね」。彼女の意識の高さに金沢さんも「緊張もある中で、その意識があるのが良い。みんなができることじゃない」と感覚の世界で生きていく整備士としての素質を感じている。

 さらに、彼女の魅力は選手の気持ちがわかるところにもある。

「勝つか勝たないか、見ていてこちらまで緊張します。負けて泣く球児をみると悔しいやろうなと思いますね」

 競技は違えども、元アスリート。球児の夢舞台を間近にみて、整備をしながら自身が全国大会に出場した時のことを思い出したという。目標は「選手目線で考えられるような、選手の要望に応えられるようなグラウンド整備をすることです」と話すが、すでに選手に寄り添う気持ちは十分兼ね備えている。「グラウンドに立って満足しているのではなく、いいグラウンドを作りたいという気持ちがある」と金沢さんにもその想いは伝わっている。

 球児の熱戦も折り返し。入社後にできたマメはこの夏さらに増えた。審判員や高校野球連盟のスタッフがかけてくれる「ありがとう! 綺麗なグラウンドやね!」という言葉が暑さや疲労を吹き飛ばしてくれる。

「女性でもこういう仕事ができるというところをみてもらえたら」

 日焼けしたとびっきりの笑顔が、充実した夏を物語っていた。

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(市川 いずみ)

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