「お前は無価値だ」「女の子は映画監督にはなれないよ」“映画業界の現実”を見た女子大生がそれでも逃げなかった理由

「お前は無価値だ」「女の子は映画監督にはなれないよ」“映画業界の現実”を見た女子大生がそれでも逃げなかった理由

映画業界の現実に直面した彼女はなぜ逃げなかった? 写真はイメージです©iStock.com

 担当教授の誘いを機に、大手広告代理店の内定を蹴って、映画業界の現場に踏み入れた林美千代さん。最初はアメリカの制作現場で働けると思った彼女だったが、ロケ場所は「アメリカ」ではなく、なんと「アフリカ」だった。

「お前は無価値だ」と言われるような厳しい環境でも、彼女が逃げ出さなかった理由とは? のちに世界最高峰のエンターテインメント企業、ウォルト・ディズ
ニー・ジャパンなどで魅力的なコンテンツを次々と成功に導き、独立後は「ゴジラ」「ウルトラマン」「竜とそばかすの姫」など、日本が誇る傑作の世界に向けてのブランディングを手掛けることになる林さんの新刊『 「超」ブランディングで世界を変える 挑戦から学ぶエンタメ流仕事術 』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

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■才能豊かな人は頭の中で旅をする

 高校2年の夏休み、私は日本大学芸術学部に進学することを心に決めます。

 扇風機の回るベッドでゴロゴロと寝転がってアニメ雑誌『アニメージュ』を読んでいると、大好きな『機動戦士ガンダム』の富野由悠季総監督(当時は富野喜幸)の記事のプロフィールに目が留まりました。

「日大芸術学部映画学科卒業……。これだ!」

 子どもの頃から私は、自分でこうと決めたら突き進むのみ。進学校だったので芸術系の進路を選択するのは異例で、親も先生も戸惑っていましたが、当時はアニメの専門学校も見当たらず、アニメを学ぶためにはここしかないという強い思いがあったのです。

 その意志を貫いて日芸の映画学科監督コースに入学すると、そこに集まった25人の同級生は私なんて足元にも及ばない筋金入りのユニークな人たちばかり。想像以上に自由でクリエイティブで、振り切れた人たちが集まっていました。女子はそのうちたったの4人。入試の面接でも「女の子は映画監督にはなれないよ」と言われるような時代でした。

 いざ授業が始まると、最初は主に日常のドキュメンタリーやドラマを制作することが課題となりました。これが思っていた以上に面白い。アニメを学びたくて入学したはずなのに、いつの間にか実写の魅力にひきこまれていました。

 ただ、現場で課題作品の制作に携わるほどに、映画監督や演出家になることを目指して入学してきた同級生たちのセンスに目を見張りました。圧倒的な数の映画を観て、自分なりの確固たる世界をイメージできている彼らと、アニメ業界を志向していた私では明らかに熱量が違いましたし、なによりも彼らの撮る作品は抜群にバカバカしく、面白かった。いつも素直に「すごいなぁ」と感動させられることばかりなのです。

 私は帰国子女でみんなが知らない世界を経験しているし、大好きなアニメや漫画、小説を通して、誰よりも想像力や読解力を磨いてきたという自負はありました。でも、才能豊かな友人たちは、どこで暮らしたか、何を見てきたかなどとは関係なく、頭の中で自由に旅をすることができるのです。

 私は上質な「物語」によって様々な世界に連れて行ってもらっていましたが、彼らは頭の中でゼロから独自の世界を創り出していると思い知らされました。

 そもそも、私には自分の監督した作品をなんとしてでも世に出したいというギラギラした野心のようなものがありません。学年が進むほどに、自分は監督には向かないな、と思うようになっていきました。

「私は作る側ではなく、才能豊かな人の作品づくりを支える仕事をしたい。映画界だったら、やっぱりアメリカで仕事してみたい」

 最終的にはそう考えて、とにかくプロデューサー的な仕事に携われそうなマスコミ関係に絞って就職活動をして、大手の広告代理店に内定をもらいました。

 そして、あとは就職する春を待つばかり、のはずだったのですが……。

■撮影現場での「お前は無価値」という洗礼

「お前さ、面白い仕事あるぞ」

 映画プロデューサー山本又一朗さんの映画制作会社フィルムリンク・インターナショナルが、アメリカで新作を撮影するので英語ができる制作助手を探している。

 私を呼び出してそう教えてくれたのは、大学の担当教授でした。

 当時、山本さんは、『太陽を盗んだ男』『ベルサイユのばら』『がんばれ!!タブチくん!!』など、実写やアニメの新進気鋭の国際派プロデューサーとして注目されていました。しかも、アメリカでの映画制作の現場に入れるチャンスがやってきたわけですから逃すわけにはいきません。私としては願ってもない話です。

 かなり前のめりになって説明会に出向くと、ロケ場所は「アメリカ」ではなく、なんと「アフリカ」だというのです。映画のタイトルは『ピラミッドの彼方に ホワイト・ライオン伝説』。どこから見てもアフリカの映画です。

「アメリカとアフリカじゃ一文字違いで大違いじゃん……」

 驚き、がっかりしたものの、アフリカでの撮影も貴重な経験になりそうです。

 ただ、その映画の現場はフリーランスとして1回きりの仕事でした。その先があるかどうかは全くわかりません。

「それでもまあ、いつか話のタネくらいにはなるだろう」

 ここでも私は、一度決めたら突き進むのみ。私は決まっていた就職の内定を断って、映画制作の現場に足を踏み入れることにしました。

 卒業後、すぐに日本から遥はるか遠いアフリカのケニアに飛び、7ヶ月間にも及ぶ撮影が始まりました。撮影現場に入ると、制作助手とは名ばかりで、実情は一番下っ端の通訳のできる雑用係でした。

 学生時代、アルバイトで東映や日活ロマンポルノの助監督もしましたが、一つの作品に最初から最後まで関わるのは初めてでした。プロの現場では大学で学んだ映画理論や実践なんて何の役にもたちません。高卒でたたき上げた年下の助監督の足元にも及ばない。私にできたのは、必要な時の通訳と先輩から言われた雑用をこなすことだけ。現場で私に何かを期待してくれる人なんて誰一人いないのです。

 食事の準備や車の手配はもちろん、ライオンの襲撃シーンを撮影するために、サバンナのど真ん中でヌーの大群を日が暮れるまでひたすら追い立てたこともありました。撮影に必要となれば、とにかくなんでもやるしかない。

 現場では「できない」という言葉は口にできません。そのうえ、わずかな失敗も許されず、容赦なくとことん怒られます。

 ある程度は覚悟して現場に飛び込んだはずだったのに、数年前、入試の面接で「女の子は映画監督にはなれないよ」と言われたことが頭をよぎります。ふと弱気になることもありました。

「内定を蹴ってまでアフリカに来たのに、毎日、なにしているんだろう」

 そんな気持ちに追い討ちをかけるように、この道20年、30年のベテランから、「お前は無価値だ」と何度も叩きこまれます。ときには、今ならパワハラになりそうな言葉さえ浴びせられましたが、それは、「余計なプライドは捨てろ」という洗礼だったのでしょう。

■120%の力で完走する

 映画撮影の現場は想像以上に過酷です。

 ちっぽけなプライドを捨てられない若手が、「お弁当買いに行ってきます」と言ったきり帰ってこないなんてことは日常茶飯事。たとえ若手が一人くらい失踪しても、代わりはいくらでもいるのです。

 私は最初の現場がアフリカでしたから、もし逃げ出したとしても日本に戻る術すべがありませんでした。諦め半分ではありましたが、「なんとしてでもやり抜くしかない」と逆に腹を括くくることができました。

 さんざん怒鳴られまくる日々でへこみはしたものの、よく考えれば、その大半は納得のいくものでした。

 例えば、夕日が沈む直前、太陽からの光の角度でほんの一瞬、世界が金色に輝く「マジックアワー」と呼ばれる時間帯があります。それを狙っての撮影時に、撮影助手や照明助手がセッティングに手間取ってもたもたしていたら、その日の撮影はできません。撮影を1日延期すれば、人件費や滞在費が余分にかかり、場合によっては何百万、何千万という予算が消えてしまう。それどころか、危険なシーンでは一つのミスが誰かの怪我や命の危険にさえつながってしまうのです。

 確かに、現場ではどのスタッフも、誰に指示されることもなく先を読み、目の前の一瞬一瞬に集中して、それぞれの持ち場で自分のするべき仕事に徹していました。だからこそ、そこにはピリピリとした独特の緊張感が走ります。

 現場に入ってしばらくすると、徐々に私もその空気に慣れ、自分なりにするべき仕事を見つけられるようになっていきました。すると、最初は私をよそ者扱いしていたベテランのスタッフも少しずつ心を開いて、私を認めてくれるようになりました。まだまだ半人前でしたが、自分たちの仲間としてやっと認めてくれたことがうれしかった。

■半人前の私が実力をつけるために

 自分は作品を作るための小さな歯車どころか、その歯車についているほんの小さなビス1つほどの存在かもしれない。それでも、過酷な現場にしがみついて完走すれば、確実に自信になっていく。そのことを、私はアフリカの現場で学びました。

 ただ、完走するためには、自分の力を100%出したとしても、それではとても足りません。半人前の私の100%は、その世界の名だたるプロフェッショナルの前では、ほんの20%ほどでしかない。それを少しでもパワーアップするためには、自分が持っている力の120%を出しきって完走することが必要です。

 先輩たちから見ればそれでもたいして変わりませんが、120%の力で完走できた時、それが自分にとっての新たな100%の力としてしっかりと定着します。それが実力となり、自信となって、幾重にも積み重なっていくのです。

「今日の私は、自分の100%の力を出せているか。120%の力を出すにはどうすればいいのか」

 もちろん失敗を繰り返しながらですが、現場では毎日そんなことを考えながら仕事をしていました。

「声優はダメ」「芝居ができる人でなければならない」吹替版『セサミストリート』担当者が垣間見た“製作者たちのプライド” へ続く

(林 美千代/ノンフィクション出版)

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