あの幸せな日々が甦る…北海道日本ハム初代ユニフォームにジーンときた夜

あの幸せな日々が甦る…北海道日本ハム初代ユニフォームにジーンときた夜

9月6日の「ファイターズ・クラシック」初戦

 今回、僕が書きたいのは「ファイターズ・クラシック」のことだ。9月6、7日のオリックス戦を皮切りに、17、18、19日のロッテ戦、20日のソフトバンク戦まで、都合ホームゲーム6試合で展開される復刻ユニフォーム企画。企画概要はありふれたものだ。選手がオールドユニフォームを着て試合をする。ファイターズはこれまでだって東京時代の(何種類かの)復刻ユニをよみがえらせたことがあるし、東映フライヤーズのユニを再現したこともある。

 たぶん日本球界で先鞭を付けたのは西武の「ライオンズ・クラシック」企画だと思う。頑なに「SINCE1979」をグッズに謳い、黒い霧事件のイメージを遮断してきた西武が「西鉄ライオンズ」を受け入れたのだった。僕らパ・リーグ党は「ついに歴史が繋がった」と感無量だった。あれから各球団は、復刻ユニを毎年のように出し続けたが、所沢に「西鉄ライオンズ」が召喚された日ほどのインパクトは感じない。

 この「ファイターズ・クラシック」の北海道日本ハム初代ユニフォームを除いては。

■全員、むしろこのユニを着るべきだったと思える

 6日、新庄ファイターズの選手らが初代ユニで出てきたときはちょっと震えた。札幌ドームにあの頃のファイターズが帰ってきた。感覚としたら、MLBの「フィールド・オブ・ドリームス・ゲーム」で、トウモロコシ畑から選手が出現した感じに似ている。長年心のなかに仕舞い込んで、忘れられずにいた札幌ファイターズ。

 わけもなく「よっしゃー」などと言っていた。これこれ、これなんだよ。SHINJOフィーバーの、稲葉ジャンプの北海道日本ハムファイターズ。金子誠と田中賢介の二遊間。突撃突撃ひちょり。若きエース、ダルビッシュ有。これが魂のなかでいつも揺れていた。涙が出てきてしまう。北海道日本ハムファイターズはあの頃のように爆発したいんだ。

 僕は「上沢ものすご似合うな……」なんてジーンときている自分が意外だった。懐かしさなら70年代、青赤帽の後楽園ファイターズだ。あれが僕の青春だ。思い入れなら90年代、紺色ストライプの東京ドームファイターズだ。「ビッグバン打線」のニックネームを仕掛けた。だから北海道移転は身体をちぎられて持っていかれるような喪失感だった。何日も何日も心の奥で血を流していた。僕はあそこで半分くらい死んだような気がする。想像してみてほしい。阪神タイガースが鹿児島へ移転するのを。ヤクルトスワローズが愛媛へ移転するのを。心が死んでしまう。北海道のチームなんて応援できるんだろうかと本当に思っていた。

 僕が前線に残ったのは幸運によるものだ。田中幸雄や小笠原道大、岩本勉を見捨てられないファン心理もあった。が、それ以上に家族ぐるみのつき合いになっていた森本稀哲だ。ひちょりは東京っ子で、まだ半人前だった。僕はひちょりに本当に感謝している。彼を応援することで「北海道日本ハムファイターズ」とはぐれずにすんだ。心が死ななかった。北海道新聞とHBCラジオ(ケータイサイト)でコラムの連載も始められた。この文春野球もそうだけど、書いてるうちに夢中になるよ。

 93世代の上沢直之や松本剛、近藤健介はこのユニフォームを着ていない。ぎりぎり中島卓也、杉谷拳士までじゃないか。なのに信じられないほど似合っていた。ていうか、上川畑大悟も谷内亮太もヒルマン監督の胴上げのときいなかったとは思えなかった。清宮幸太郎と万波中正は絶対、ビールかけのときマシーアスとはしゃいでいたに相違なかった。似合ってない選手がいない。全員、むしろこのユニを着るべきだったと思える。

■万波中正のがんばりを見ていて、あの頃のひちょりを思い出す

 なかでもいちばん感激を露わにしていたのは今川優馬だろう。彼は選手であって、ファイターズのファンだ。北海道初代ユニを着た写真を2枚添付して、こうツイートしている。

「また1つ僕の夢が叶いました! とても感慨深いです。ずっと着てみたかったユニフォーム似合ってましたか? お写真撮ってくれると嬉しいです」(今川優馬公式Twitterアカウントより)

 

 今川の「このユニ着て、札幌ドームでファイターズやってるのが嬉しくてしょうがない」風情を見ながら、あぁ、思いの差だなと感じた。今川だけじゃない。札幌ドームのファン全員が幸福な夢を見ている。いちばん最初に、みんなで見た夢。いちばん最初に、憧れた選手。そりゃ日本ハム球団創設時のユニとか、東映ユニを持ってきても(オールドファンはともかく)球場全体は震えない。思いがないから、単なるイベントユニだ。読者は近藤健介がダニエル・パウターの『Bad Day』で打席に入るとき、泣きそうにならなかったか。コンスケが背番号8を継承した金子誠の登場曲だ。思いがあるってそういうことだ。

 僕は例えば万波中正のがんばりを見ていて、あの頃のひちょりを思い出す。万波、簡単にひねられるじゃない。だけど、いっしょうけんめいじゃない。たまに凄いことするじゃない。ひちょりに似ている。ひちょりもあんな風だったよ。西武ドームでひちょりのお父さんと一緒に見てると、息子が打席に立つと息をしなくなる。守備固めでもらった試合終盤のたった1打席。打席のひちょりの心も震えている。親子が震えながら「何とかしたい」って思ってる。で、松坂大輔からフォアボールを取ってガッツポーズだ。ひちょり父は「勝った」と言った。フォアボール選んだだけだよ。日暮里の焼肉絵理花でお母さんと中継を見てたらひちょりが送りバントを失敗した。そうするとテーブルに突っ伏して「お願い~、送りバントさせないで~。バントできないから~」と声を上げた。ひちょりは2番バッターも務めて、バントなんか簡単に決めた印象があるかもしれないが、技術のないうちは必死だった。でも、そんなひちょりが成長して、06年プレーオフ最終戦、ソフトバンク斉藤和巳がマウンドに崩れ落ちた「運命のホームイン」の当事者になる。

「ファイターズ・クラシック」初戦は万波、谷内のタイムリーで先制、松本剛と清宮の中押しも決まって、オリックスを倒すことができた。上沢は手術明けの初勝利、通算成績を7勝7敗とした。このユニフォーム着て負けるわけないという気がした。どっちが最下位でどっちが優勝争いしてるのかわからない試合だった。

 そして、あの頃シンジラレナーイほど幸せだった記憶や、今日の勝利の甘やかな余韻に包まれて、頭がジンジン、ジンギスカン、ホイララハイララなってる最中に、雨粒がぺちっと頬を打つようなやつがやって来た。あれ? ぺちっ。何だこれ。ぺちっ。自分は今、ワハハハオホホホ浮かれてるはずなんだけど。ぺちっ。

 頬に当たるのは寂しさの粒だった。僕らはもうすぐ札幌ドームを出ていく。福住駅からてくてく歩いて、歩道橋のところでドームを見上げる日々が終わるんだ。

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(えのきど いちろう)

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    文春が存在するだけで地獄だわ。知性の貧困の象徴

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