「酒乱の父が家で暴れて…私が母と弟を守らなきゃ」山田まりや(42)が15歳の若さでグラビアデビューを決めた“複雑な事情”

「酒乱の父が家で暴れて…私が母と弟を守らなきゃ」山田まりや(42)が15歳の若さでグラビアデビューを決めた“複雑な事情”

山田まりやさん

 1996年、15歳で芸能界デビューを果たした、タレントの山田まりやさん(42)。デビュー後すぐに第1回ミスヤングマガジングランプリを受賞し、グラビアアイドルとしての人気を確立。さらに、軽快なトークと天真爛漫なキャラクターでバラエティ番組でも活躍する。

 しかし山田さんは、23歳のときにハードスケジュールが原因で病に倒れてしまう。いったい彼女は、なぜそこまでして働き続けたのか。そこには、山田さんの生い立ちや、芸能界デビューを決めた経緯が関係しているという。(全3回の1回目/ 2回目 に続く)

◆◆◆

■目立つ服を着ていたら、ラフォーレ手前の交差点で声を掛けられ…

――まずは、芸能界デビューのきっかけから教えていただけますか。

山田まりやさん(以下、山田) もともと、芸能界に入るつもりはまったくなかったんですよね。私は幼少期から家がゴタゴタしていて、芸能界の華やかな世界とはかけ離れた生活を送っていたので。

 でも、14歳のときに友だちと「ラフォーレ原宿」に行く機会があって。そのとき、ラフォーレ手前の交差点で声を掛けられて、ファッション雑誌のスナップ写真を撮ってもらったんです。それが、芸能界に入るきっかけになりましたね。写真を撮ってくれたカメラマンさんが私のことを気に入ってくれて、「芸能界に興味ないの?」って言われて。

――原宿の群衆のなかでも、目を引く存在感があったんですね。

山田 当時は雑誌の『Zipper』や『CUTiE』が全盛期の頃で、「雑誌に載っている鈴木蘭々ちゃんや市川実和子ちゃんみたいになりたい」と思っていたんです。だから、結構派手な服を着たりしていたんですよ。

 スナップ写真を撮ってもらったときも、気合いを入れて目立つ服を着ていたんだと思います。そのとき住んでいた足立区から、「原宿に遠征に行くぞ!」みたいな気持ちで。

――芸能界に誘われたときは、怖くなかったですか。

山田 最初はうれしかったけど、途中で「あっ、でもこれは詐欺かもしれない」と思いました。芸能界を騙った詐欺があることは、足立区でも噂になっていたので(笑)。

 でも結局、カメラマンさんに「スナップ写真を掲載するのに、学校に許可を取ったりしなくちゃいけないから」というもっともらしい理由を言われたので、家電(いえでん、自宅の固定電話)の連絡先を教えたんです。

 それからしばらくは連絡がなかったんですけど、あるとき、「芸能プロダクションの人と会ってみない?」と電話がかかってきて。

――プロダクションの人に会いに行ったんですか?

山田 いや、自分で電車に乗って足立区から都心に出かけるのは、そんな気軽にできることではなかったので。そのときは「行けないです」と断りました。

■「母親と弟と一緒に家を出て、父親から離れる方法を探さないと」

――そこからなぜ、芸能界へ入ることになるのでしょうか。

山田 私の父が、家でお酒を飲んで暴れる人で、当時はそれが日に日にエスカレートしている状況でした。父親がフォークを投げたりしてくるから、家で落ち着いてごはんを食べたことがないくらい酷かった。

 私はそういう家庭環境で育ったので、ずっと「母親と10歳下の弟を守らなきゃいけない」という思いを持っていました。だから自分の進路を考えたときに「のうのうと高校に行っている場合じゃない。何とかして母親と弟と一緒に家を出て、父親から離れる方法を探さないと」って考えていたんですよね。

 そんなときに、カメラマンさんと芸能プロダクションの人からまた連絡が来るようになったんです。「レッスンとかしているから、体験だけでも来てみない?」と言われたので、「もしかしたら、芸能界に入れば家を出るきっかけになるかもしれない」と思って、行ってみることにしました。

――先ほど「家がゴタゴタしていた」とおっしゃっていたのは、そういうご事情だったのですね。

山田 そうなんです。そして、そのレッスンに通っているときに、イエローキャブの野田(義治社長・当時)と出会うことになるんですよね。

 たまたまその事務所の社長と知り合いだった野田がレッスンの見学に来ていて、カメラマンでもないのになぜかレッスン中の女の子たちを呼び出して、一眼レフで撮影し始めた。コワモテの風貌で、容赦なく「おい、コラッ。早くしろ」って女の子に指示を出すから、最初会ったときは「なに、この厚かましいおじさん!」と思っていました。

 しかも野田は、ほかの女の子のときは何回もシャッターを押していたのに、私のときは1回しか押さなかったんですよ。「なぬー。私には魅力がないということか」と思いましたね。

■当時はスクール水着しか着たことがないような“イモ姉ちゃん”だった

 でも確かに、当時の私はほかの子と比べると、色気もへったくれもなかったんですよね。自分の胸が大きいという意識もなかったし、スクール水着しか着たことがないような“イモ姉ちゃん”だったので、野田のお眼鏡にかなわなかったのだと思いました。

――しかしそこから、イエローキャブでデビューすることになります。

山田 しばらく経って、野田が自宅に電話をかけてきたんです。電話を取った父親から「おまえ、六本木に呼ばれてるぞ」と言われて、しかも「水着を持ってこい」とも伝えられたんですよ。「えー?」と思ったんですけど、とりあえず行ってみようと。

 当時、自宅の最寄り駅が日比谷線に乗り入れている竹ノ塚駅だったから、竹ノ塚のイトーヨーカドーで水着を買って、六本木まで地下鉄で行きました。

 六本木に着いたら、車に乗った野田が待ち合わせ場所に現れて。そこから、老舗のスタジオまで車で連れていかれたんです。スタジオに着くと、ビキニがズラッと並べられていました。

 私が持って行った水着を出したら、野田に「なんだその色気のない水着は。ここにあるのを着ろ」って言われてしまって、「えー、無理、無理、無理!」みたいな感じでしたね。

――野田社長の豪放磊落なイメージ、そのままですね。

山田 スタジオに行く車の中でも、「お前、彼氏はいるのか?」とか根掘り葉掘り聞いてくるわけですよ、まだ14~5歳の女の子に。今でいうと確実にセクハラですよね。

 でも、野田は「おまえが芸能界に入ったときに、俺のほうがおまえの親より長く一緒に過ごすことになる。それにもし、おまえの恋愛沙汰が週刊誌に載ったら、守るのは俺の役目だ。10代の子を預かるというのは、それくらいの責任がある。だから何でも聞いておく必要があるんだよ」って、コワモテなのに真っ当なことを言うんです。

 だから信頼して、そのときは「じゃあ、わかりました。彼氏はいます」と答えました。そしたら野田が、「ホテル代はどっちが払ってるんだ?」とか聞いてきたんです。「いやいやいや、まだです」みたいな感じですよ。でもね、そういう物言いも含めて、野田は大きな愛情を持って接してくれました。

――当時のイエローキャブは、グラビアで大活躍している人ばかりでした。

山田 当時は「イエローキャブといえばグラビア」という感じでしたね。私が入ったときはすでに、雛形あきこさん、かとうれいこさん、細川ふみえさん、木内あきらさんたちが大活躍していました。

――デビューするとき、水着への抵抗感はなかったのですか。

■当初は水着グラビアに嫌悪感があったが……

山田 それまで「女を武器にする」みたいなことを人生で考えたことがありませんでした。当時は思春期だったのもあって、水着グラビアというものに嫌悪感もありました。正直、「男の人のために体を見せてお金を稼ぐなんて、汚らわしい」くらいに思っていましたね。

 でもスタジオで水着を着る前には、野田がグラビア撮影についてきちんと説明してくれたんです。

「まずはグラビアでおまえの顔と名前を世間に覚えてもらう。でも、どんなエロ雑誌に載ろうとも、うちの事務所はおまえを脱がすことはない。ほかの事務所は水着を脱がしていくけど、うちは逆だ。最初は水着を着るけど、そこから服を着せていく」って。

 初めて雑誌のグラビア撮影をしたときは、グラビアのポーズを取ったこともない私に対して、スタッフさんたちがとても優しくしてくれました。「まりちゃん、そこに手をついて。こっちを見て、ニコッとして」とアドバイスしてくれたり、「寒いでしょ」と言ってバスローブやベンチコートを掛けてくれたりしたんです。過激な撮影とかもなかったので、私が最初に思っていたグラビア撮影のイメージとは全然違いました。

■デビュー直後に“ミスマガ”グランプリ受賞

――山田さんは、デビュー直後からご活躍されているイメージです。

山田 私はスタートダッシュが早かったんですよ。デビューしてすぐに、雛形あきこさんのバーターでいろいろなお仕事を頂けるようになって。イエローキャブに入って2~3ヶ月後には、サイパンで撮影したりしていました。

 そうこうしているうちに、1996年の第1回ミスヤングマガジングランプリ受賞が決まったんです。そして同年には、フジテレビのビジュアルクイーン・オブ・ザ・イヤーにも選ばれました。

――バラエティやドラマにも活躍の場を広げていきますよね。

山田 96年に円谷プロダクション制作の深夜ドラマ『ムーンスパイラル』(日本テレビ系)への出演が決まって、それが初めてのドラマ出演でした。

 その撮影が始まるとき、野田から「寝坊して撮影に迷惑をかけないように、旧知のカメラマンの山岸伸さんが持っているマンションに引っ越せ」と言われたんですよ。そのマンションには、細川ふみえさんを始め、何人かのタレントが住んでいたんです。

 そのときに、「今しかない!」と思って、母親と弟も一緒に住まわせてもらうよう、野田にお願いしました。そしたら、「いいよ」と言ってくれて。母親と弟には“昼逃げ”みたいな形で、父親がいないタイミングを見計らって実家から逃げて来てもらいました。

 そこからは、私が母と弟を養うために、芸能界でめちゃくちゃ忙しい日々を過ごしながら、お金を稼いでいきましたね。

写真提供=山田まりやさん

23歳で緊急入院し、医者は「もう治ることはない」と…山田まりや(42)が語る、人気絶頂でテレビから姿を消した“本当の理由” へ続く

(「文春オンライン」編集部)

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    自殺したビンボーアイドルいたね。そういえば。徹底的に晒しネタにするかどうかの基準は、ゼニゲバ悪用し放題かどうか?

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