20世紀建築の巨匠の「人や芸術は機械に対応せねば」という問題意識

20世紀建築の巨匠の「人や芸術は機械に対応せねば」という問題意識

《円卓の前の女性と蹉跌》(部分)シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ 1928年 パリ、ル・コルビュジエ 財団

 20世紀の建築界、最大の巨匠はだれか。

 真っ先に名前が挙がるのは、ル・コルビュジエである。近代建築の基礎を打ち立てて、現在に至る建築の、いや都市や社会のありようの基礎を築いたのが彼だった。

 日本にもル・コルビュジエ の設計した建築が、だれでもアクセスできるかたちで存在する。東京上野の国立西洋美術館本館だ。2016年に世界遺産登録された同館で、設計者当人をテーマにした展覧会が始まっている。「ル・コルビュジエ 絵画から建築へ−−ピュリスムの時代」である。

■絵画から始まったコルビュジエのキャリア

 ル・コルビュジエ の個展とはいうものの、これは建築展といった趣ではない。展示の中心は約100点に及ぶ絵画なのだ。ル・コルビュジエ 本人のものもあれば、志を同じにした仲間たちの描いたものもある。それらはいずれも、タイトルにあるとおり芸術潮流「ピュリスム」の実践例となっている。

 ときは第一次世界大戦直後の1918年のこと。シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(ル・コルビュジエ はペンネームであって、こちらが本名)と画家のアメデ・オザンファンによって「ピュリスム」運動が始められた。

 訳せば純粋主義といった意になるこの運動、激しく進展し押し寄せてくる機械文明に芸術は、そして人は対応し変化していかねばならぬとの思いが中心にあった。「機械」を「コンピュータ」に置き換えれば、100年後を生きる私たちとほぼ同じ問題意識を共有しているといえそうだ。

 そうしてジャンヌレとオザンファンは「構築と総合」の芸術を目指し、絵画と日々格闘した。彼らが何を絵のモチーフにしたかといえば、多くはビンや食器、弦楽器などの日用品。そうしたありふれたものを幾何学的に組み合わせて、画面に秩序を与えていく。線でもののかたちを成し、それを積み重ね総合して、まとまった印象を創出していったのである。

 この画風は、同じ時代を生きたピカソやブラックらのキュビズム作品や、機械化される世界を絵画に落とし込んだレジェの絵画などと呼応している。現代から見れば「ジャンヌレとオザンファン」は「ピカソ」に知名度で劣るけれど、当時はともに、絵画表現の最先端をめざしていたわけだ。

■絵画の経験が建築にすべて流れ込む

 ジャンヌレとオザンファンの絵は時代を経るごとに、色彩が華やかで、かつ自由に用いられるようになっていき、かたちもいっそう入り組んでいく。まるで描かれた一つひとつのものが溶け合って、なんらかの機能を持った巨大ななにものかに生まれ変わっていくかのよう。絵の各部分は、何かの部品か代数みたいに入れ替え可能かと思われてくるし、部分と全体も入れ替わってしまえるんじゃないかという不思議な感覚に陥る。

 およそ10年のピュリスム活動を経て、ジャンヌレ=ル・コルビュジエ は、もともと手がけていた建築へと軸足を移し、「サヴォワ邸」など彼の、いや20世紀建築の代表作をつくり上げていく。

 ではピュリスム絵画に打ち込んだ時期は、コルビュジエのモラトリアムまたは回り道だったのかといえば、そうではない。ピュリスムの活動を通して得た感覚や理論が、のちの彼の建築にそのまま流れ込んでいるのであって、ピュリスムがあってこそコルビュジエ建築は生まれたと、今展を観ると実感できる。

 機能性と合理性を追求した、しかしそれは人間やその身体への深い考察から端を発している表現。ジャンヌレの絵画とコルビュジエの建築は、当然ながら同じ特長を有していて、どちらも観て触れる側の者の奥深いところを揺さぶる強い力があるのだ。

(山内 宏泰)

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